132話 霧に現れた亡霊の船
白い霧が、まるで生き物のように船体へまとわりついてくる。
視界はほんの数メートル先さえ怪しく、潮の匂いに混じって、生臭い……腐った木材の臭気が漂った。
「来るぞっ!!」
アレフが叫んだ瞬間――
白煙の奥から、巨大な黒影が突っ込んできた。
ギィィィ……!
軋む音を立て、朽ちた外殻をまとった“幽霊船”が、まるで獲物に襲いかかる獣のように迫ってくる。
「回避ーッ!!」
ジェームスが舵輪を乱暴に切る。
船体が大きく傾き、《黒衣の英雄号》の甲板をライカが悲鳴と共につかんだ。
「きゃあああっ!!?」
「ライカ、しっかり捕まってろ!」
アレフが叫ぶより早く、幽霊船が横腹に迫る。
――ぶつかるッ!!
誰もがそう思った、その刹那。
ジェームスが風魔法の補助を叫ぶ。
「ライカ、右後方へ風を!!」
「う、うんっ!!」
ライカとグリモワールが風を放ち、帆が突如膨らむ。
《黒衣の英雄号》はギリギリの回避で幽霊船の進路から逸れた。
そのすれ違いざま――
「行くぞ!!」
「ふむ……任せておけ」
「うおおおおっ!! やってやるぜぇ!!」
アレフ、シノ、アスタロスが同時に飛び上がり、幽霊船の甲板へと飛び移った。
《黒衣の英雄号》の方ではジェームスたちが残り、船体を整えながら戦闘態勢へ入る。
幽霊船の甲板は、空気そのものが死んでいた。
木材は黒く腐り、板の隙間には何かが蠢くような影がある。
「く……うわ、なんだこの臭い……」
アスタロスが鼻をつまむ。
「死人の船……そういうことじゃろ」
シノが穏やかな声で言う。だが、その目は鋭い。
そして――
船内の奥から、ゆらり……ゆらり……と影が浮かび上がる。
ぼろ切れのような服。
干からびた皮膚と、空洞の眼窩。
骨の軋むような音を立てて、十数体のアンデッドが甲板へ姿を現した。
「やっぱり……船員の成れの果てってやつか」
アレフが黒い魔剣を握る。
「うへぇぇ……出たよ……死霊系は苦手なんだよなぁ……」
「文句を言っておる暇はないぞ?」
シノが一歩前へ出て、竜爪を構えた。
「アレフ。船長は任せたのじゃ。雑魚は、わらわとアスタロス殿で引き受けよう」
「お、おう! やってやんよぉ!!」
アスタロスは戦斧を構えつつ、嫌悪を隠しきれていない。
そのとき。
幽霊船の最奥――船長室の扉が、ゆっくりと開いた。
鍵穴もないのに、勝手に。
ギィ……ィィ……
扉の中から現れたのは、他とは桁違いの気配を持ったアンデッドだった。
かつて船長であったのだろう。
帽子は朽ち、衣服は腐り落ちているのに、威圧感だけは生者のそれを凌駕していた。
「ギ……ィィィ……」
口のない顎から、悲鳴とも呻きともつかぬ声を漏らす。
「……あいつか」
アレフは魔剣を抜き放ち、シノたちが左右へ散った。
アンデッドの船長が腕を上げると、雑魚アンデッドが一斉に動き出す。
「かかってこいってかよッ!!」
「アスタロス。調子に乗るでないぞ?」
「わかってるよ!!」
シノとアスタロスが同時に雑魚アンデッドへ突撃した。
そしてアレフは――
まっすぐに船長へ向かう。
「ギィィ……ッ!!」
船長アンデッドが振り下ろす骨の腕。
アレフは横へ跳んでかわし、反撃の一閃を叩き込む。
闇をまとった魔剣が、アンデッドの身体を両断した。
――バラバラッ
腐肉と骨が、乾いた音を立てて散らばる。
「よし――!」
アレフが息をつくより早く。
ぐずっ……
骨が、突然逆再生するように寄り集まり、瞬く間に元の形へ戻った。
「は……?」
「ギ……ィィィ……!」
船長が再生し、腕を振り上げる。
再びアレフへ襲いかかる。
「くそっ、再生すんのかよ!」
アレフはさらにもう一撃。
今度は上半身を粉砕した。
だが――
ガチャガチャガチャ……ガキン!!
粉々になったはずの骨が再結合し、立ち上がる。
「まじかよ……!」
アレフは顔を歪めた。
背後では、シノが無数のアンデッドを風のような速さで切り刻み、アスタロスが迫りくるゾンビの顔面へ戦斧を叩き込み続けている。
「アレフ! どうしたのじゃ、早く決着をつけぬか!」
「簡単に言ってくれる!!」
アレフはもう一度突撃し、魔剣を船長アンデッドの胴体へ叩き込む。
しかし――
何度倒しても、倒しても、倒しても。
船長アンデッドは、そのたびに淡々と復活するのだ。
「くそっ……! きりがねぇ!! どうやったら、こいつを倒せるんだッ!?」
アレフが歯噛みして叫んだ、その瞬間。
脳内に、低く響く声が流れ込んできた。
《――影だ、小僧》
「……影?」
《やつの影を狙え。本体と繋がる“核”が、そこにある》
グラトニーの声だ。
アレフは反射的に足元を見る。
――この霧の中で、ただ一つ、はっきり存在している影がある。
船長アンデッドの影だけが、霧に溶けず濃く残っているのだ。
「あれか……!」
アレフは魔剣を逆手に持ち替え、一気に駆けた。
「ギィィィィ……!!」
アンデッド船長が腕を広げる。
その巨腕がアレフへ迫る直前――
アレフは影へ向かって魔剣を振り下ろした。
「――うおおおおおッ!!」
刃が、影を貫いた瞬間。
「ギギギギギギギギギィィィィィィアアアアアアアアア!!!!!」
船長アンデッドは、今までとは違う、地獄の叫びのような悲鳴を上げた。
影が裂ける。
本体の骨が軋み、ひび割れ、崩壊が始まる。
そして――
船長アンデッドは、塵へと還った。
「……ふぅ。やっと……やったか」
アレフが汗を拭った瞬間。
――船が、うねった。
「っ……!?」
足元の甲板が生き物のように盛り上がり、アレフたちの身体が跳ね上がる。
「兄貴、気をつけろ!!」
「船が……動いておる!?」
シノの声が震える。
幽霊船そのものが、波を割って立ち上がろうとしていた。
甲板全体が歪み、腐った板が口のように裂け、杭のような木材が槍のように伸びる。
まるで――
船自体が、巨大な生物のように“殺意”を持って襲いかかってくる。
「なんだよこれぇぇぇぇっ!!? 船が怒ってるぞぉおおお!!」
アスタロスが絶叫する。
アレフは歯を食いしばった。
「そうか……こいつ――
“船そのもの”が守護者だったのか!!」
幽霊船はアンデッドの巣窟ではなく、
ダンジョンとしての“本体”を持った守護者。
つまり。
「俺たちが倒したのは……“外皮”の一つだけってわけかよ……!」
アレフが魔剣を構えた瞬間――
幽霊船が咆哮した。
ギギギギギギギギギギギギィィィィィ!!
甲板がねじれ、巨大な木の槍がアレフたちへ向けて迫る。
「アレフ、避けるのじゃ!!」
「わかってる!!」
三人は散開するが、船の攻撃は止まない。
「おい!! これ、マジで沈むぞ!!」
「沈む前に……粉砕するしかあるまい!!」
「くっそぉぉぉっ!!?」
幽霊船は、生き物のようにうねり、
アレフたちを殺そうと全身を歪ませて迫ってくる。
霧の中、戦いの火蓋は切って落とされた。
その頃、《黒衣の英雄号》ではーー
次回タイトル:133話 海を裂く咆哮と覚醒する幽霊船




