123話 傷痕の街で交わす決意
――焦げた森の匂いが、まだアレフの鼻に残っていた。
魔樹と化した神官長を討伐し、“魔樹の種”を回収したアレフたち三人は、シノの魔竜の背に乗って豊穣の街へと急行していた。
風を裂く音が耳を打つ。
ライカはアレフの腰にしがみつき、震える声で呟いた。
「……お兄ちゃん、街、無事だよね……?」
「……大丈夫だ。俺の分身とジェームスたちが戦ってる」
アレフは言い切った。
不安を断ち切るように。
彼の胸の奥では、魔剣グラトニーが低く笑う。
《用が済んだら、小僧の分身は喰っていいのか?》
「黙れ。てめぇは黙ってろ」
《ふふ。珍しく焦っているな》
その軽口すら、アレフには街の惨状を想像させる材料になった。
シノが眼下を見下ろし、低く唸る。
「アレフ、街が……」
「……ああ」
煙が上がっていた。
遠くに見える豊穣の街。
収穫祭を祝うための広場は裂け、建物のいくつかは倒壊し、道には魔物の屍が積み上がっていた。
その中心で――
複製アレフと、ジェームスの闘気が交錯しているのが見える。
「急ぐぞ!!」
シノが大きく翼を広げ、街の中心へと急降下した。
複製アレフはグリードの鎖を振り回し、アスタロスは巨斧を振りかざし、デュラは魔導砲銃を連射し、ジェームスは戦場の中央で“教育的指導”の鉄拳を振るっていた。
空から降り立ったアレフ、ライカ、シノは、真っ先に仲間——いや、“もう一人のアレフ”が戦っていた中央広場へ向かった。
彼らが到着した時には既にスタンピードは止み、街を巡っていた怒号と悲鳴は、ようやく静まろうとしていた。
しかしそれは“終わり”ではなく、“後始末”と“再生”の始まりでしかない。
そこでは、五人が魔物の軍勢を押し返した余波がはっきりと残っている。
崩れた家々。
魔物の影に怯えて泣きじゃくる子どもたち。
絶え間なく怪我人を運び込む人々。
そして、魔物の残骸を焼き払う臭いが、空気に濃く残っていた。
広場の石畳には無数のひびが走り、爆ぜた魔力の跡が焦げついていた。
大剣を担いだデュラが仲間に指示を出しながら、周囲の警戒を続けている。
アスタロスは崩れた建物の瓦礫を軽々とどかし、下敷きになった人々を救助していた。
グリモワールは魔導を行使して治癒魔法の補助を行い、ジャンヌは大量の負傷者を休む間もなく癒していた。
そして——
「……本物のほうか」
ジェームスが、汗と土埃にまみれながらも凛としてアレフを一瞥した。
「……やはりご無事でしたか、アレフ様」
彼は闘気を収め、汗を拭うように両手を払った。
「お帰りなさいませ」
「ジェームス……!」
アレフの後ろから、ライカとシノも続いた。
――その時。
聖女ジャンヌが駆け寄ってきた。
戦闘で汚れた白い衣を翻し、大きく見開いた瞳が二人のアレフを交互に映す。
「ア、アレフさんが二人、いる……?」
ジャンヌが、傷だらけの両手をぶら下げたまま、ぽかんとアレフを見ていた。
正確には、本物と複製の“二人のアレフ”。
アレフは苦笑する。
「ああ。嫉妬の鏡の能力で作った複製……“分身体”みたいなもんだ」
アレフは短く説明した。
「ぶ、分身体……? つまりもう一人のアレフ様、ですか?」
「そういうこった」
ジャンヌは、驚きで一瞬だけ目を丸くしたが——すぐに微笑んだ。
「……街を守ってくださって、本当にありがとうございました」
複製アレフは無言だったが、確かな誇りを宿して頷いた。
だが、その身体はすでに霧が溶けるように薄くなっていた。
「俺の役目はもう終わった。元の本物が戻った以上、俺は消えるだけだ」
複製アレフが、自分とは思えないほど落ち着いた声で言った。
「……すまねぇ、お前に任せっきりで」
「なに、同じ“俺”だろ? 礼を言われる筋合いはねぇさ」
複製アレフは笑い――
その身体が黒い光へと変わり始めた。
「……ありがとう」
ライカが涙をこぼす。
複製アレフは、消えゆく縁の中で小さな手に触れた。
「泣くなよ、ライカ。――お前を守るのは、本物のアレフの仕事だ」
そして、アレフの肩を軽く拳で叩く。
「役目は果たした。あとは頼んだぜ、“俺”」
黒い光は霧のように消え、風に溶けた。
ジャンヌは胸に手を当て、静かに祈りを捧げる。
残ったのは、一人のアレフ——そして、深い傷跡が刻まれた街だった。
アレフは静かに街並みを見渡した。
崩れた壁、焦げ付いた大地、泣きながら家族を探す人々。
その景色に、彼の脳裏に嫌な記憶がぶり返す。
——標的にされた異端者の街ベレティック。
——王都に持ち込まれ、国全体を揺るがした奇病。
——そして今、豊穣の街アバンダスの悲劇。
いずれも、中心に“聖浄の神殿”の影があった。
拳を握る。
骨の軋む音がした。
(ベレティックを……あの街を、救えなかった。
王都の病も、誰かの人生を奪った。
そして今回は、アバンダスが……)
怒りが背筋から全身に走り、憤怒のラースが黒い呪力を微かに漏らす。
「アレフお兄ちゃん……?」
ライカが不安そうに見上げた。
アレフは肩を上下させながら——低い声で言った。
「これ以上……聖浄の神殿を野放しにはできねぇ」
アレフの声は震えていた。
怒りだけではない。
悔しさ、無力感、恐怖……多くの感情が混ざっていた。
ジェームス、アスタロス、デュラ、シノ、グリモワール、そしてジャンヌまでもが、アレフに視線を集める。
「ここで終わりじゃねぇ。俺は……あいつらを止める。ベレティックや王都、アバンダスみたいな悲劇を、二度と起こさせねぇために」
アレフは天を見上げた。
聖浄の神殿——その本拠は、王都から遠く離れた辺境の街にある。
あそこには、大神官セレーネがいる。
「ここからは……“やられっぱなし”じゃ済まねぇ」
アレフの言葉に、仲間たちは静かに頷く。
新たな戦い——聖浄の神殿との決着が始まろうとしていた。
次回タイトル:124話 連鎖する狂気




