121話 呪果の森胎
彼らの戦いを、遠く離れた聖浄の神殿で見ている者がいた。
大神官セレーネ。
あの悪意の声が、静かに満ちる。
「第八の神器の誕生まで――あとわずか」
神殿の奥で、セレーネは静かに瞳を閉じた。
「さあ、アレフ・カース――」
呟きは甘く、毒のように美しい。
「あなたが手にした“大罪神器”……
あれがどこまで呪いを育てるか……わたくしは楽しみで仕方ないのです」
聖なる光に包まれたはずの聖浄の神殿。
だがそこには、神聖さという名の仮面の下で――
人の欲望と狂気から生まれた“闇”が蔓延していた。
「始まりましょう……“神を創る”ための大いなる祭りが」
その声は静かで。
しかし、世界を震わせるほど確かな悪意を含んでいた。
その背後では、拘束されたリシェルが冷たい檻の中で眠っていた。
「灰域の亡剣……あなたには、前段階の被験体として働いてもらいますよ」
セレーネの声は甘く、それでいて氷のように冷たかった。
*
魔竜化したシノの背に跨り、アレフとライカは夜風を切り裂くように飛んでいた。
眼下には、闇に沈んだ豊穣の森。
もとは収穫をもたらす生命の森であったはずが、今や大地は黒く枯れ、木々は瘴気に蝕まれて腐り落ちている。あちこちに、魔物の軍勢が行進した痕跡が残っていた。
「……ひどいな」
アレフは呟いた。
腐臭と熱気。血と焦げた土の匂い。
夜風に混じるその臭いは、森全体が“別の何か”に書き換えられている証拠だった。
「この森……全部がダンジョンになってるみたい」
ライカが震える声で言う。
《間違いないわ。森そのものが“巨大なダンジョン・コアの枝葉”みたいに再構築されている》
耳元に、グリモワールの声が響いた。
「ダンジョン全体が……枝葉?」
《そう。中心に“幹”になる本体があって、そこから瘴気が流れ出し、森のすべてをダンジョンへと変えていく。だけど……さすがにこれは異常な速度だわ》
そんな会話の最中、アレフは背後で光る閃光を見た。
街の方向だ。
ジャンヌたちが死力を尽くし戦っている光だ。
――急がなければ。
アレフは歯を噛みしめた。
「姫さん!もっと速度を上げられるか!」
「任せるのじゃ!!」
魔竜シノが、翼の竜鱗を震わせると、竜気が渦を巻き、次の瞬間、凄まじい加速が起こった。
「うわぁぁぁ!? は、はやっ……!!」
ライカはシノの背にしがみつき、叫んだ。
黒い森が、線のように後ろへと流れていく。
そして――
「……見えてきた」
アレフの目が、森の中央部の異様な塊を捉えた。
その“塊”は、森の色が変わっている部分だった。
まるで巨大な花が咲いているようにも、巨大な木が根腐れしたようにも見える。
だが、そこには明らかな“生命の悪意”があった。
何本もの太い根のような触手が地表を走り、周囲の腐った木々に絡みついて養分を吸い取っている。幹のような巨大な柱は脈動し、光る瘴気が内部を流れている。
頂上には――奇妙な果実が無数にぶら下がっていた。
人間の顔ほどの大きさ。
黒く、僅かに揺れ、まるで呼吸をしているかのよう。
《あれは……呪果の実よ》
グリモワールの声が、凍えるほど冷たかった。
「……呪果?」
《呪力を養分にする魔樹が実らせる、最悪の“種”。中には濃密な呪いと瘴気が詰まっている。落ちれば砕け、呪力が溢れ、魔物へと変換されるわ》
「つまり、“魔物の生産工場”か」
《そういうこと》
アレフは深く息を吸った。
多くの実が今にも落ちそうに揺れている。
その度に、森の奥から新たな魔物の咆哮が響いてきた。
「ありゃあ……まるで、死ぬ気で魔物を生み出しているようじゃの」
シノが低い声で言った。
そのとき――
巨大な幹から“目”のようなものが開いた。
ギロリ。
瞳孔のない白い目が、空を飛ぶアレフたちを捉える。
次の瞬間、地鳴りが走った。
幹の根元が裂け、巨大な“口”が開いた。
そして……ついに現れた。
幹の中央が破れ、そこからぐにゃりと伸び出したのは――
無数の枝、蔦、肉塊、そして、かつて人間だった痕跡。
頭部らしき部分には、神官長の面影がわずかに残っていた。
だが、口は裂け、眼は落ち、頭蓋は植物の根に侵食されて形を失っている。
全身の80%以上が、魔樹と融合していた。
《あれは……確か聖浄の神殿の神官長ーー!? 彼が自分の身体にダンジョン・コアを取り込んだようね》
「……あれが、聖浄の神殿の神官長……」
「もう人とは呼べぬ、化け物じゃの」
シノが、怒りを滲ませた声で唸る。
異形は、腐敗した声で言葉にならない呻きを漏らした。
『……ぎ……ぎ……あ、あ……れ……ふ……』
「俺の名前を呼んだか?」
『……アラ……タナ……ジ……ジン……ギ……コウホ』
か細い人間の意識が残っているのかもしれなかった。
「新たな神器……候補……? 何のことだ……」
アレフが首をかしげていると、無数の呪果が揺れ、ぶるりと震えた。
その瞬間ーー
異形は完全に狂った。
次回タイトル:122話 灰の底に芽吹く黒き種




