118話 仕組まれたスタンピード
収穫祭の最終日。
豊穣の街アバンダスは一年で最も華やぐ日を迎えていた。
露店から香る焼き果実の甘い匂いと、祭りの歌声が街いっぱいに広がり、人々は幸福に満ちた笑顔を浮かべていた。
——だが、その幸福は、誰にも知られぬまま崩れ落ちようとしていた。
森の奥深く、陽光の届かない静寂の中。
白い法衣をまとった神官長は、巨大な魔術陣の中心に立ち、手のひらをコアへとかざしていた。
コアは球体。淡い蒼色の光を脈動させながら、まるで呼吸をしているかのように不気味に揺れる。
「……実験用とはいえ、実に見事な出来映えです。これならば、“第八の呪われた神器”の母体にもきっと馴染むでしょう」
ごう……と地面が震える。
森全体が緑の脈動を始める。
木々が呻き、草が蠢き、森全域がじわりと“境界線”に飲まれていった。
神官長は恍惚の溜息を漏らす。
「聖都からの命……ここで最終実験を。
豊穣の街アバンダスに、一万の魔物による“スタンピード”を引き起こす。
そして混乱の最中、聖女ジャンヌ……あなたには消えていただく」
セレーネ大神官が浮かべた、あの醜悪な笑みが脳裏をよぎる。
神官長はぞくりと震えるが、職務のためと心を押し殺した。
「始めましょう——」
手をかざした瞬間。
大地が割れた。
地中から、瘴気をまとった魔物たちが這い出してくる。牙、角、黒い羽、骨のように痩せた脚——。
その数は、瞬く間に百、二百、五百へと膨れ上がり……
「……よい、実に良い。ダンジョン化、成功。
あとは都市へ向けて歩を進めるだけ……!」
スタンピードが動き出した。
豊穣の街アバンダスへ向かって——
*
同じ頃、慈愛の神殿。
白銀の髪を揺らし、ジャンヌ・セインは祈りを終えたあと、わずかな違和感に額を押さえていた。
「……胸が、重い。なんだろう、この嫌な感じ……」
シスターたちは心配そうに覗き込む。
「ジャンヌ様、体調でも……?」
「ううん、違うの。ただ……何か、すごく良くないものが近づいてきてる気がする」
その言葉とほぼ同時に——
ごうん、と地鳴りが鳴った。
神殿の窓がびり、と震え、外の鳥たちが一斉に飛び立っていく。
ジャンヌの心臓が早鐘を打った。
「……これは……ダンジョンの気配……?」
彼女の浄化の力は、呪い・瘴気に対して特に鋭い感覚を持つ。
森の方向から押し寄せる濃密な瘴気は、尋常なものではなかった。
息が浅くなる。
喉が締め付けられるような悪寒が走る。
「いや……違う。これは……もっと大きい……!」
シスターの一人が慌てて駆け込んだ。
「ジャンヌ様!森の方角から……大量の魔物が……!」
ジャンヌははっと息を飲む。
「……そんな……だって、森は結界で守られて……」
そこまで言って、彼女は悟った。
結界を破るほどの“別の力”が働いている。
そして——
その力を生み出しているのは、おそらく人間側。
(……まさか、聖浄の神殿が……?)
(いや、そんなはず……だけど……)
彼女は震える両手を組み直し、祈りを捧げた。
「神よ……どうか、街をお守りください……」
*
収穫祭の帰還後。
アレフ、ジェームス、ライカ、シノ、アスタロス、デュラ、グリモワールの一行は、ギルド前で露店の軽食をつついていた。
「アレフお兄ちゃん、今日の祭りすっごく楽しかったね!」
ライカは頬を緩ませながら果実パイをほおばる。
「ええ。アレフ様のダンス……大変美しかったです」
ジェームスが優雅に微笑む。
「いや……あれは流れで……」
アレフは苦笑しながら頭を掻いた。
そんな和やかな空気の中で——
グリモワールがゆっくりと目を細めた。
「……妙ですわ」
「妙?」
シノが首を傾げる。
「この街の外……森の方向から、異常な魔力密度を感じます。通常の魔物の比ではありません」
アレフは顔を上げた。
「本当か?」
グリモワールは頷く。
「ええ。まるで……“森全体が、ダンジョンに呑み込まれた”ような……そんな強烈な波動」
「ダンジョン化……? でも、ダンジョンコアなんて、この国では厳重管理されてるはず……」
アレフが言いかけた時だった。
暴食の魔剣グラトニーが、ぞくりと震えた。
《アレフ、聞け。あれは……ダンジョンの“核”の波動だ》
《森が一帯、その内部構造に置き換えられている》
《“ダンジョンコア”を破壊せねば……魔物は生まれ続けるぞ》
アレフの表情が固まる。
「……ダンジョンコア……?この街の近くに……?」
グラトニーは低く唸った。
《ああ。しかも……異様に強い。人工的に強化された……“異常なコア”だ》
(人工……まさか、聖浄の神殿か!)
アレフの背筋に冷たいものが流れた。
「みんな……宿に戻るぞ。嫌な予感しかしない」
その瞬間、街の中心部に向かって――
轟音が鳴り響いた。
いや、轟音という言葉では足りない。
大地そのものが揺れ、建物の壁が崩れ落ち、悲鳴が上がり、地鳴りは太鼓のごとく街の隅々まで響き渡る。
アバンダスの外壁に立つ見張りの兵士が、闇の中から迫る異様な黒い波を目撃する。
「な、なんだ……あれは……?」
次第に近づき、月明かりの下で明らかになる。
無数の魔物。
地響きを伴いながら、森全体がうねるように魔物が押し寄せる。
「す、スタンピードだァァァ!!多数の魔物が迫っているぞ!!」
「キャアアアア!!」
悲鳴が夜空に響き、鐘の音がアバンダス中に鳴り響く。
その光景は――
聖浄の神殿が放った、死の予兆。
「急いで街を封鎖しろ!外から魔物が押し寄せてくるぞ!!」
空気が震えた。
森の方向から、黒い波のような軍勢が——押し寄せてくる。
牙の群れ。巨躯の影。翼の塊。
そのどれもが、尋常な魔物ではない。
一万。
そしてなお、“増え続けている”。
ジャンヌは慈愛の神殿の前で両手をかざし、祈りの光で周囲を包んでいた。
「神よ……浄化の光を……!」
白い光が弾け、迫り来る魔物の先端を焼き払う。
だが——
「……くっ……倒しても……倒しても……!」
魔物の群れは全く減らなかった。
浄化された場所から、次の群れが雪崩れ込んでくる。
「ジャンヌ様、これ以上は危険です!」
「私たちが援護を……!」
「いいえ、下がって!あなたたちは避難誘導を!
街の人たちが逃げる時間を……私が稼ぐ……!」
ジャンヌは蒼白になりながらも、全力で光を放ち続けた。
しかし、彼女の力には限界がある。
瘴気と呪いの濃度は、彼女が知るどのダンジョンよりも深い。
(……これ、何?どうして……こんな……)
答えは、あの聖浄の神殿にある——
彼女は薄々気づいていた。
次回タイトル:119話 鏡界のアレフ




