117話 第八の器――聖浄神殿の暗黒計画
王都から遠く離れた辺境の街バロール――
白亜の大理石で組まれた巨大建造物――聖浄の神殿は、陽光を反射して聖域のように輝いていた。
だが。
その眩さの奥に広がるのは、古より禁忌とされた“呪い”の研究で染まった暗黒。
誰一人立ち入ることを許されぬ最奥聖堂。
そこで、白の法衣に身を包む男――神官長は緊張した面持ちで口を開く。
「大神官セレーネ様……完成したコアの最終実験なのですが、どのようになさいましょう?」
光の差し込まぬ空間。
その中央に佇む女性――大神官セレーネは、白銀の髪を揺らしながら薄く笑った。
氷のような瞳。
神々に仕える聖職者のそれではない。
すべてを切り捨てる裁断者の目。
「そうですね……聖女ジャンヌ・セイン。彼女の浄化能力は、わたくしたちの研究にとって“危険因子”です」
セレーネの声は穏やかだった。
しかし――
その内容は、どの呪術師よりも残酷で冷たい。
「良い機会です。慈愛の神殿ごと……彼女には消えてもらいましょう」
「は、はは……はい。かしこまりました」
神官長は震える声で返事をする。
それでも、まだ続きがあると直感した。
不安を押し殺しつつ、彼は次の議題を持ち出す。
「次に……侵入者の件ですが、こちらはいかように?」
セレーネの瞳が細く鋭く光る。
「……Sランク冒険者、《灰域の亡剣》リシェル。彼女ほどの実力者はそうそうおりません。きっと良い被験体となってくれるでしょう」
神官長の背に冷汗が流れる。
セレーネがわずかに見せた笑み――
それは、美しさよりも“醜悪さ”を感じさせる異形の表情だった。
「で、では……最終実験の結果がまとまり次第、あの者への移植を試みましょう」
そう言って神官長は深く頭を下げると、逃げるように聖堂を後にした。
扉が閉まる。
残された大神官セレーネは、髭を撫でながらくすりと笑った。
「さあ……“第八の神の器”の誕生まで、あとわずかです」
その頃――
アレフたちが収穫祭に浮かれる豊穣の街アバンダス。
表向きには平和そのものだが、背後では密かに“恐るべき準備”が進んでいた。
聖浄の神殿の神官長は、側近の神官たちを集めて低く命令を下す。
「最終実験を開始する。狙いは豊穣の街――アバンダスの周囲に広がる森林地帯。あの一帯を“ダンジョン化”させる」
「はっ!」
神官たちが散っていく。
神官長は続けた。
「ダンジョン・コアから生み出された魔物の群れを暴走させ、アバンダスへ向かって進軍させる」
「しかし……街には聖女ジャンヌが」
「だからこそだ」
瞳に狂信の光が宿る。
「我らと敵対する慈愛の神殿ごと、彼女には消えていただく。
なんとしても、第八の神器を我々の手で完成させるのだ!」
そしてもう一人、この計画に巻き込まれた人物がいた。
Sランク冒険者、リシェル・ヴァルン。
“灰域の亡剣”の二つ名を持ち、数々の災害級の魔物を単独討伐した記録を持つ化け物級の剣士。
その彼女が、王都へ蔓延した“奇妙な呪いの病”の出所を追っていた。
(奇病を引き起こしているのは……“呪い”。しかも人工的に操られている。
なら、黒幕はもっと近くにいるはず……)
行きついた先は――
二大信仰勢力の一つ、聖浄の神殿。
「やっぱりここか……予想通りすぎて、逆に拍子抜けだぜ」
リシェルは祭服を奪い、神殿内部へ潜入する。
だが、罠が張られていないはずがない。
「侵入者を確認。対象は――リシェル・ヴァルン」
神官たちが一斉に神術を展開。
リシェルは剣を抜く。
「悪いけど、アンタらごときじゃ止められないよ」
灰色のオーラが迸る。
――その実力は、確かにSランク。
次々と神官が倒れ、聖堂の奥へ迫る。
しかし。
「こちらへどうぞ、リシェルさん」
「ッ!?」
突然、聖なる光が降り注ぎ、彼女の身体が硬直する。
動けないほどの強烈な拘束力。
神聖魔法とは思えない、呪術的な強引さ。
「な……に、これ……?」
現れたのは大神官セレーネ。
白銀の法衣。聖人のような微笑み。
「お疲れさまでした。あなたほどの逸材が自ら捕まりに来てくれるとは、僥倖です」
「……クソッ……!」
「ご安心を。あなたはすぐに“被験体”として生まれ変わります。あなたには期待していますよ。“適合者”の前段階としてね」
その瞳には慈悲も躊躇もなかった。
「連れていきなさい」
「はっ!」
リシェルは拘束具でぐるぐると封印され、地下実験区へ運ばれていった。
そのまま戻らぬ者の多い、呪われた研究室へ――。
地下深く広がる禁断の研究施設。
壁には魔法陣。
床には追いつめられた魔物の死骸。
天井には呪符が無数に貼り付けられている。
その中央に、巨大な黒い結晶――
“人工ダンジョン・コア”が鎮座していた。
淡く響く、胎動のような脈動。
それは、まるで生きた悪魔の心臓。
「ようこそリシェルさん。ここがあなたの“死に場所”であり、“再誕の場所”です」
セレーネが嬉しそうに呟く。
リシェルは拘束されたまま、苦笑して返す。
「アンタ……狂ってるね」
「狂気こそ、人を神へと昇華させる道です」
そうつぶやき、セレーネは手をかざす。
「さて……適合試験を始めましょうか」
黒い結晶が激しく脈動し、リシェルの身体に黒い霧がまとわりつく。
「ぐっ……!」
骨が軋み、血が逆流しそうになる。
それでも――リシェルは気絶しない。
これまで幾度も死線を潜った彼女は、硬く心を保つ。
(死ぬんじゃない……ここで死んだら、王都もアバンダスも……)
意識を保ち続ける。
そんな彼女を見て、セレーネはうっとりとした目を向けた。
「すばらしい耐久力……これなら、“前段階”としては十分です」
「……前段階……?」
「ええ。真の適合者は――すでに見つけてありますから」
セレーネは薄く笑った。
憐れみの一かけらもない、氷のような残酷さで。
「あなたは……神を創るための礎となるのです」
翌夜。
アバンダスから一日ほどの距離にある広大な森林地帯。
神官長を中心に、聖浄の神殿の術者たちが円陣を組む。
「コア、稼働。術式、《ダンジョン適応環境》展開!」
大地が脈動した。
木々がねじれ、土が裂け、瘴気があふれ出す。
生命豊かな大森林は――
一瞬で、魔物が繁殖する“地獄の大地”へと変貌していく。
「一帯の境界を閉鎖……ダンジョン化成功です!」
神官が報告する。
「よし。魔物の生成を開始せよ」
「はっ!」
コアが黒い光を放ち、地面が泡立つ。
そこから無数の魔物が生まれ落ちてくる。
――一体、また一体。
――百。
――千。
――やがて一万を超える。
「スタンピード発生。目標、豊穣の街アバンダス」
「よろしい」
神官長は冷たく笑った。
「聖女ジャンヌ・セイン……あなたには、尊い目的の礎となっていただきましょう」
その言葉に、誰一人疑問を抱かない。
この神殿は、もはや“光”の陣営ではなく、“呪い”と“欲望”の巣窟と化していた。
次回タイトル:118話 仕組まれたスタンピード




