114話 帰還ーーそして収穫祭の鐘が鳴る
――崩壊の轟音が、遠ざかっていく。
空中庭園の上層で、すべてが静まり返った。
嫉妬の守護者が光となって消えたあと、
アレフたちの足元には新たな転移陣が浮かび上がっていた。
アレフは剣を背に収め、短く息を吐く。
「……終わったな」
ライカが隣で頷く。
「うん。……やっと、だね」
空を見上げる。
青空のように見えて、その実、ここはまだ“閉じた空”。
幾重にも張り巡らされた古代魔法の層が、薄膜のように空気を歪めている。
だが、その向こうには――
懐かしい大地の気配が確かに感じられた。
「行くか」
アレフが転移陣に足を踏み入れる。
その瞬間、足元の光紋が膨張し、世界が白光に包まれた。
――まぶしさのあとに訪れたのは、
柔らかな風と、土と麦の香りだった。
空を渡る鷹の鳴き声。
遠くに見えるのは、金色に揺れる穂の海――
「……帰ってきた、か」
アレフが小さく呟く。
懐かしい、地上の空気。
あの狂った空中庭園とは違う、生命の息吹。
ライカが両手を広げ、嬉しそうに笑う。
「見て、お兄ちゃん! 風が、ちゃんと暖かい!」
「はしゃぐな。転移直後に倒れるぞ」
「むぅ……お兄ちゃん、冷たい!」
そんなやり取りをしていると、後方の転移光が揺れ、
シノ、ジェームス、デュラ、アスタロス、グリモワールが次々と姿を現した。
「ふぅ……地に足がつくとは、こうもありがたいものですな」
ジェームスが肩を回しながら言い、
デュラが苦笑交じりに地面を叩く。
「岩の感触が懐かしいな。あの浮かれた空よりずっといい」
「まったく、上層界の魔力は味気なかったったらないわ」
グリモワールが呟くと、アスタロスがふっと笑った。
「そうか? 俺様は手応えのある敵とやれて楽しめたけどな」
嬉しそうに言う彼女の声に、ライカがにやりと口角を上げる。
「アスタロスさんって、脳筋なとこあるよね?」
「……あまり褒めんじゃねぇよ。照れんだろ」
アスタロスがにやける。
「褒めてないわ!」
思わずツッコミを入れるシノ。
軽口が交わされる。
その穏やかな空気に、アレフの頬が自然と緩んだ。
戦いの終わり。
心の緊張がほどけていく。
やがて、丘を越えた先に――
豊穣の街が見えた。
陽光を受けて輝く白壁。
風にたなびく旗には麦の紋章が描かれている。
人々の声、鐘の音、香ばしい焼き菓子の匂いが風に乗って流れてきた。
「ずいぶん……賑やかだな」
デュラが意外そうに呟く。
街の門の外では露店が並び、子供たちが花を編み、
大人たちは豊作を祝うための準備に追われていた。
「どうやら、収穫祭が近いようですな」
ジェームスの言葉にライカが目を輝かせる。
アレフが肩をすくめる。
「たまたまいい時期に帰ってきたもんだ」
「どうしますか? まず宿を……」
ジェームスが尋ねるが、アレフは首を振った。
「いや。まずは《慈愛の神殿》だ。――約束してたからな」
仲間たちは頷き、街の石畳を歩き出す。
祭りの音楽が流れる中、アレフの靴音だけが少し重たかった。
空中庭園で手に入れた“嫉妬の鏡”。
あのとき感じた、エンヴィの最後の言葉が頭を離れない。
――人よ、嫉妬を恐れるな。
――それは、まだ誰かを愛している証だから。
その意味を考えるたび、胸の奥に微かな熱が灯る。
街の中央を抜けると、丘の上に白い尖塔が見えた。
《慈愛の神殿》――聖女ジャンヌが祈りを捧げる場所だ。
祭りの喧噪から離れたその一角は、
まるで時が緩やかに流れているような静けさを保っていた。
アレフが石段を登りきり、扉を軽く叩く。
中から、柔らかな声が返ってきた。
「――どうぞ」
扉を開けた瞬間、光が差し込む。
祭壇の前で、白衣を纏った少女が祈りの姿勢で立っていた。
聖女ジャンヌ。
柔らかな金髪が陽に透け、
その瞳には春のような慈しみが宿っている。
「よぉ、ぼっ痴女。約束通り、塔の鍵を返しに来たぜ」
アレフが笑顔で軽口を叩く。
「だから……わたくしはぼっ痴女なんかじゃありませんと何度言えば……!」
ジャンヌが顔を赤くして言い返す。
けれど、声が震えていた。
涙ぐむ瞳は、怒りではなく――安堵の色。
「無事で……本当に、よかった……!」
ジャンヌは両手を胸に当て、
堪えていた涙をこぼした。
その姿に、アレフが少し照れたように頭をかく。
「ま、俺らはしぶといんでね」
ライカが笑って頷く。
「ほんとだよね。途中でアレフお兄ちゃんに襲われたけど!」
「おい、やめろ!そいつは偽者の俺だろ!!」
アレフが叫ぶと、ライカはペロッと舌を出す。
神殿の奥に、仲間たちが並ぶ。
アスタロスは少し緊張気味に、
ジェームスとグリモワールは二人のやりとりに微笑んでいた。
デュラは腕を組み、祭壇を見上げて呟く。
「こうして見ると、やっぱり地上はいい。……穏やかでな」
ジャンヌが涙を拭い、アレフの方を向く。
「それで……聞かせてください。バベルの塔で、何があったのですか?」
アレフは少し息を吐き、
短く頷いて語り始めた。
浮遊大陸のこと。
古代王国バビロニア。
そして、空中庭園に潜む“嫉妬”の試練。
アレフは、エンヴィとの戦い、鏡に映る己の影、
そして“嫉妬の鏡”を喰らって得た新たな呪いのことを話した。
語るたび、ジャンヌの表情は複雑に揺れていく。
怒り、悲しみ、そして――心配。
「どうしてあなたは、そんな無茶ばかりするのですか!!」
声が響いた。
神殿の天井にまで届くほどの勢いに、アレフが一瞬たじろぐ。
そして、目を逸らしながら、ぼそりと呟いた。
「……はい、すみません」
静まり返る神殿。
そして次の瞬間、ライカたちが一斉に吹き出した。
「ぷっ……! 兄貴が謝ってる!」
「ふふっ、ジャンヌ殿の前ではさすがのアレフも子犬じゃの」
シノも口を押さえて笑う。
「珍しい光景ですねぇ」
「アレフ殿が叱られておるのを見るのは、なかなか乙なものだ」
ジェームスが苦笑し、デュラは呆れたようにため息をつく。
グリモワールは手を口元に当てて、くすくすと笑っていた。
ジャンヌはそんな彼らを見て、少しだけ微笑んだ。
そして再びアレフに向き直り、右手を胸に当てる。
「……以前にも言いましたが、わたくしの力では、呪いの侵食を“抑える”ことしかできません。けれど、それでも――」
彼女は歩み寄り、アレフの胸に手を置いた。
柔らかな光が溢れ、
神殿中に甘い香が満ちる。
アレフの体を覆う黒紋が一瞬、赤く脈動し――やがて沈静化していく。
苦痛ではなく、心地よい温もり。
その光の中で、ジャンヌが祈るように呟く。
「あなたが“誰かを羨む”ことなく、あなたのままで在れますように……」
静かな時間が流れた。
やがて光が収まり、アレフは小さく息を吐いた。
「……心配かけちまって、悪かったよ」
「もういいです……ですが、油断は禁物ですよ」
「わかってる。けど、俺も言ったはずだぜ? “呪いに喰われたりなんかしねぇ”ってな」
ジャンヌは、呆れと安心が混じった笑みを浮かべた。
「……ほんと、あなたって人は」
神殿の外から、太鼓と笛の音が聞こえてくる。
祭りの始まりを告げる音だ。
アレフが音の方へ顔を向け、笑う。
「なぁ、せっかくだ。せめて祭りの間くらい、戦いのことは忘れて――楽しもうぜ」
ジャンヌが驚いたように目を瞬かせる。
そして、柔らかに頷いた。
「ええ。……それが、“生きて帰ってきた者”の特権ですから」
アレフは満足げに笑い、
仲間たちと共に神殿を後にした。
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