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「もう問題ありません。そして、ご懸念の<王妃の鍵>についても」
私の代わりに返事をしたのは、ローマンだった。
ついうっかりローマンを追い越して駆けだしてしまったが、追いついたらしい。
「ローマン! お前も無事でなにより……あれ? 少し雰囲気変わったか?」
「家に戻れない間は色々と世話になったね、ありがとう」
「いえ、口外しないように言われていましたが、実はあれらはリュヒテの指示でしたから……俺はただのお遣いです」
どうやら、王宮に留め置かれた時にリュヒテ様もローマンも色々と気を配ってくれていたようだ。
見捨てられたわけではなかったのだと、安心した。心の中では最悪な状況を想定していたから、よりそう感じた。
父と兄から感謝と親しみを込めて背中を叩かれながら、再会と解放を喜ぶローマンは眉を下げてはにかんでいた。
その、黄みに支配されていく瞳がちらりとこちらを見る。
「だから、マリエッテは自由なんです」
ね、と微笑むローマンはさっぱりとしたものだ。
王妃の鍵のありかを突き止め、魔女の証を手放した私は。ある意味自由を手に入れていた。
私の手には、自由がある。何を選び取っても良い、選択肢が目の前にある。
「──お父様。わたくし、やりたいこと、やらなければならないことができたの」
ローマンの視線を不思議そうに追って、私を見下ろした父と兄に向き直った。
「やりたいこと、ではなく?」
「ええ。夢物語ではなく、必ず果たすこと。詳しくは後で話すから、聞いてくれる?」
あぁそれは聞くが……と、父はタジタジだ。
「陛下も協力してくださるわ、それにアントリューズ国王も」
「は、アントリューズ国王?」
「なんだってそんな、いやまて。そもそも逆だろう、我々が王家に協力を……」
中途半端な説明に混乱させたようだ。大物の名前にギョッとしたと思ったら、お兄様は頭を抱え始めてしまった。
一方で、お父様は厳しい表情で顔を伏せた。
お父様は私の婚約白紙から始まる一連の騒動に、理不尽さを感じているようだ。
それはそうかもしれない。忠誠を誓い、粛々と王家に従順でいることで大局の犠牲側に常に立たされ続けたのだから。
私が感じているなら、お父様はより強く感じていたことだろう。
父の気持ちを想像し、言葉に詰まっているとふと視線を感じた。
人の気配に振り返ると、リュヒテ様が待合室の扉の前に立っていた。
私たち家族と付き添うローマンを、いつから見ていたのか。
リュヒテ様もこちらに来るかと思ったが、視線が合うと悲しそうに微笑み、そのまま身をひるがえした。
抱き着いたままだった私には、とたんに父や兄の身体から力が抜けていったことがわかる。二人はどんな目でリュヒテ様を見たのだろう。
きっと、彼は拒絶されたと感じたに違いない。
「──行くな」
お兄様に腕を掴まれて、自分が扉の方に身体を向けていたことに遅れて気づく。
あぁ、私はリュヒテ様を追いかけようとしていたようだ。
だって、寂しそうに見えたから。
兄の方を振り返れば、真剣な顔で私を見つめている。少し怒ったように見える表情なのに、眉毛が垂れているのは心配している証拠だ。
腕を引かれる力に逆らわず、ぽすりと戻る。
「みんながいて幸せよ」
「あぁ。やっと戻って来たんだ。……私たちは手放すんじゃなかったと後悔しているんだよ」
父の手が優しく私の頭を撫でた。ゆっくり、ゆっくりと。
十歳で王太子妃教育が始まり、最初は王宮で生活するようになった。
数年経って侯爵家に戻ることが許されても、家族と親しく過ごすことは許されなかった。
次第に家族としての過ごし方もわからなくなった。
私が本当に家族のもとに戻れたのは、魔女の秘薬を飲んだ翌日からだ。
幼い頃はこうして寂しくなると抱き着いて、撫でてもらっていたことを思い出した。
怖かったこと、悲しかったこと、つらかったこと。
頑張ったこと、立ち向かったこと、嬉しかったこと。
たくさんのことを話して、腕の中で守られた。
その思い出が、孤独の私を支えていたと今ならわかる。
「お父様も、お母様も、お兄様も。わたくしのやりたいことを応援してくれるんでしょう?」
「……あぁ、そうだな」
「でも俺たちのそばでもできるだろう!」
期待を込めて見上げれば、何が言いたいのか察した父は寂しそうな目で微笑み、お兄様は慌てたようにぎゅっと更に抱きしめた。少し苦しいほど。
私にはこうして、優しく温かい休める場所がある。傷ついた時は羽を休められる場所がある。
だけど、彼にはこんな場所があるだろうか。
「でも……」
眉を下げる家族を見ていると私だって寂しくなってくる。どうしようと困ったように私もお揃いの垂れた眉になりそうな時だった。トンと踵を軽く蹴られたのは。
お兄様も何が起きたのかと腕の力を緩めた。その隙をついて振り返れば、ローマンがしてやったりと得意気な顔をしていた。
「おまじない」
もう一度、トンと靴を小突かれる。二回で【魔女のおまじない】は完成だ。
何度、このおまじないに助けられただろう。
ローマンはあの時のように笑っていた。迷子になった私を見つけてくれたのに『ごめんね』と謝るときの、仕方ないという時の顔で見るから。
そうだ。私はもう迷子ではない。もうどうするべきか知っている。
誰よりも優しい幼馴染に応援され、お父様とお兄様をそれぞれしっかりと見上げた。
「ここで進まなかったら、きっと後悔する。失敗しても慰めてくれるでしょう。”勇者の一歩”」
幼い頃に教えてもらった言葉を使えば、悔しそうな顔をした兄と仕方ないと眉を下げた父の顔が返ってきた。
「~~~わかったよ! そんなの当たり前だろう!」
「大好き」
改めてぎゅっと二人に抱き着き、引き留められる前に扉へ向かって駆けだした。
「だー! マリエッテ、こうなったら王家を牛耳ってしまおう!」
「こら、アシュバルト!」
後ろでは不謹慎な言葉が聞こえたが、お父様が止めただろう。
走って、走って、追いかける。
そういえば、リュヒテ様と初めて会話した時もこんな風に走って追いかけた。
傷ついた顔を見せたリュヒテ様がなんとなく放っておけなかったから。
ふと中庭の渡り廊下から階下を覗き込むとリュヒテ様が去るのが見えた。
ここから回って降りても間に合わないだろう。
「リュヒテ様!」
王太子妃教育では、貴婦人は駆けることも大声を上げることもあってはならない。
でも、今はそんなことを守っていたらいけない瞬間だ。
振り返るリュヒテ様は、夕陽を浴びて、いつかのように橙色に染まっていた。
私に気付くと目を凝らしてこちらを見上げ、綺麗に微笑んだ。あちらから私はどんな風に見えているのだろうか。
私の決死の大声も虚しく、彼は背を向けて去ろうとする。
もう! だからその恋愛小説のように勿体ぶった顔で何も言わないのはなんなのよ!
わけのわからない背中を睨むだけでは、彼を止められそうにない。
ここは一応、裁判所の敷地内ではあるが一般通路とは別の、関係者通路にあたる場所だ。人通りは今のところ見えないが、きっと死角にリュヒテ様の護衛はいるのだろう。
でも、そんなことを言っていられる場合ではない。
覚悟を決めて靴を脱いだ。足を降ろすと絨毯がふわふわしていて、なんだか変な気分だ。靴を渡り廊下から階下に落として、ポトンと跳ねる靴を見送った。……靴は落ちても破裂しないようで一応、安心した。
「……は? マリエッテ! 何をッ」
渡り廊下は中二階のような扱いで、そこまで高さはない。手すりに膝をかけ、乗り上げた。手すりは大理石でヒヤリとする。長い裾が邪魔だが、これのおかげで万が一落ちてもクッションになるだろう。きっと、たぶん。
十歳までは、同年代の貴族子女より快活な方だったのだ。木登りだって得意だった。
一応、足場は近くに見えている。伝って降りれば、無事に降りられるはずだ。




