勝利の行方
大講堂から少し奥まった場所にある審議の間には、神殿長と国王、そして王太子がすでに揃っていた。
そこに遅れて入室したことを恭しく詫びたグレイヴリス公爵は、迷わず空席に腰掛けた。
「ダリバン嬢が最後、ですか。身支度でも始めたのですかな」
逃げていないといいですが。そう冗談めかした発言は、どこか白けた空気のまま消えた。
ここにはグレイヴリス公爵に阿る者はいないのだから当然なのだが、老人は不満気にフンと鼻を鳴らした。
男は不愉快な気分でしょうがなかった。
自分の時間をこのように消費されることも、一足飛びに邪魔なダリバン侯爵を片付けられないのも、自分を軽んじられることも。
男が不愉快な思いをぐらぐらと煮立たせていたのは、今日のことだけではなかった。
老人の計画では侯爵邸に調査と称して入り、この機に乗じていくつか身辺を片付けようと考えていたのだ。娘が王家に輿入れするための掃除だ。
それを邪魔したのが、あの娘だと聞いてから不愉快なことばかり。
あまつさえ、あの女は裁判で正当性を主張すると、浅知恵で余計な仕事を増やした。
そして争点となっている手紙を裁判所に持参し、現れた。
グレイヴリス公爵はギリギリと杖を強く握った。
だが、その持参した手紙が偽造でないと証明する方法はあるのか等、いくらでも言いようがある。老人にとって、策略も駆け引きも日常の延長に過ぎない。小娘に負けるはずがないのだ。
──それに、その証拠はどうせこの部屋に届かない。
この部屋にいる誰よりも尊く、賢い存在だと自負するグレイヴリス公爵は知っていたのだ。いくら待ってもあの薄汚い魔女は現れないと。
なにせ、味方は王太子殿下その人だったのだから。
ちらりと視線を投げられたリュヒテは、眉一つ動かさず視線を返した。
そこには好も悪もない。ただ目の前にある贄を見定めるような、静寂があった。
自然と喉が鳴る。
はっ、と息をついて視線を先に逸らしたのは老齢の男の方だった。
あんな若造に、自分がのまれているはずがない。
宮廷貴族であるグレイヴリス公爵にとって、策略も駆け引きも日常の延長に過ぎない。
そのはずだったのだ、と。記憶より節が目立つようになった手が杖を強く握りしめた。
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グレイヴリス公爵が仲間を得たのは、ダリバン侯爵邸への調査の差し止めの一報が入り、王宮へ事態の説明と弁明のために陛下の至急の目通りを待っていた日のことだった。
「グレイヴリス公、派手にやっているみたいじゃないか」
陛下が移動する時を狙って弁明の時間を得ようと待ち構えていた時に現れたのは、王太子であるリュヒテだった。
「おや、王太子殿下ではありませんか。ご無沙汰しております。さて、陛下のご様子は」
「陛下は多忙故、私が話を聞こう。……不満そうだな」
「いえいえ、そんなことはございません! わざわざ殿下のお耳を借りることが出来るなど、私は幸せ者です」
リュヒテは学生の身でありながら、精力的に公務に当たっていると宮廷貴族なら誰でも知っていた。同時に飛び交う噂は、王妃が早世したことで陛下は気落ちされているためだとか。この機に乗じて父王を追い落としたい野心家だとか。様々だ。
グレイヴリス公爵から見たリュヒテは、いつまでも若造で未熟な王子だった。
不自然なほどに素行の悪い話も出てこない。周囲が創り上げた不気味なほど理想の王子たる姿は、まるで温室の植物だと。その印象は今も変わらなかった。
悪い意味ではない。グレイヴリス公爵はリュヒテのことを気に入っている。
若者特有の理想を振りかざし、現存の仕組みを軽んじ革命だと周囲を振り回す無能より、幾段もマシな飾りだった。
そんな不遜な感情を綺麗に隠し、グレイヴリス公爵はにこりと人好きのする笑顔を返した。
「──訴状の件、貴公の思い違いということはないだろうか」
近くの客室に入るなり、殿下は書類をいくつか机の上に滑らせた。
どうやら、何の用件で陛下に目通りを願っていたかは把握しているらしい。
その上で、私の不備を突こうというのか。
「確固たる証拠がございます」
「随分な自信だな」
「もちろんですとも。裏付けはしっかり」
グレイヴリス公爵は苛立ちを抑え込むように腕を組んだ。
目の前の男が国王陛下だったならば、腕は組まなかっただろう。相手によって態度を変えることは当然で、グレイヴリス公爵の中ではリュヒテは自分より格下だと判断していたからだ。
相手が陛下であればいくつか取引材料を用意して、便宜を図っていただくようお願いしたところだが。王太子殿下相手であれば、訴状の内容のみで押し通せるだろうと。
そう思い描いていた。
「──では、何を賭ける」
人好きのする顔がピクリと跳ねた。
「賭ける、とおっしゃいますと」
「公爵は王国随一の忠臣といえるダリバン侯爵を吊るすのだ。何か相応のものを賭けるのだろう?」
さあ聞かせてくれ、と殿下はさらりと手を広げた。
この小僧は、私と取引をしようというのか。
「いやはや、これはこれは。まさか……本件は殿下にとっても悪くないお話でしょう」
「つまり?」
「娘から、聞いております。大変可愛がってくださっていると」
若い男なぞ、女でもあてがっておけば大人しくなる。しかも、ただの女ではない。このグレイヴリス公爵家の娘だ。文句はないだろう。
まあ、リュヒテに使いこなせるかは別の話だが。




