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第3話: “本気チョコ”の定義(宮本玲奈 )

 ――その日の午後。

 GAIALINQ広報スペースは、ほとんど災害現場そのものになった。


 パソコンの画面には、ニュース、SNS、内部チャット。

 “バレンタイン寄付発言”は依然として炎上中。

 いや、もはや“炎上”というより、“社会的儀式の崩壊”というべきかもしれない。


「……やれやれ。」


 私は一人、深呼吸した。

 外では2月の晴天からっ風。でも、このフロアだけは湿度120%。

 亜紀さんは電話応対、麻里さんは会議室へ、私は――火消しの文章をひたすら書いていた。


> 『GAIALINQは、社会的責任と共感に基づく寄付文化の発展を支持します。

> ただし、個人の想いを大切にする行為を否定するものではありません。』


 文章を読み返して、軽く頭を押さえた。

 ――何だこの言葉のパズル。

 まるで “愛と寄付と義理と倫理” の間を、言語でつなぐバンジージャンプだ。


 そんな時、社内チャットの通知音が鳴った。

> 【総務部】

> 『当部門も困惑しております。再度、“本気チョコ”の定義について、GAIALINQプロジェクトとしての統一見解をお出し頂きたく、ご検討よろしくお願いいたします。』


 ……出た。

 “本気チョコ”の定義の丸投げ。

 もはや“哲学”を超えて“宗教”の領域である。


「――玲奈、来て」

 亜紀さんが手招きした。

 会議室に入ると、社内の女性職員代表と総務課長がずらりと並んでいた。


「ええと、皆さん集まってもらったのは、“本気チョコ”に関するルール化の件で――」

 亜紀さんが言いかけると、総務課長が眉をひそめて言った。

「“義理チョコ禁止” の流れが出ていますが、“本命チョコ” はいいのかという質問が多数来ています。

 正直、判断できません。」


 私は軽く咳払いして口を開いた。

「“愛の定義”を総務が決めようとしてる時点で、組織が “カルト化” してると思います。」

 静寂。

 そして、どっと笑いが起きた。


「つまり、“本気” とは、贈る側が本気であるだけでなく、それを受け取る側が本気で受けとめたいと思える関係にのみ成立する――そう整理すればいいと思うのですが」

「……つまり、双方の合意がある場合のみ?」

「ええ。恋愛も契約も、それこそ結婚に至るまで、結局は “双方の合意” の上に成り立ちますから」


 総務課長が感心したように頷く。

「なるほど。……さすがGAIALINQプロジェクト。非常に明確だね」

「ありがとうございます。

 ただ、念のため申し上げると、GAIALINQは恋愛のコンサルティング事業は、SPVの定款にも記載しておりません」


 会議室の空気が一瞬にして緩む。

 亜紀さんが苦笑しながら肩をすくめた。

「……玲奈、そういうとこ、好きよ。」


 私は笑って、手元のメモに書き込む。

 ――“双方の合意による本気の想いの伝達行為を妨げない”

 とりあえず、言葉の上では収まった。

 現実的には誰も幸せにならないけれど。

 

 この定義の調整に、五井物産の多くの優秀な人材の時間と労力が費やされた訳だが、それに見合っただけの幸せが生み出されたとは到底思えない。


 本当、なんなんだろうね――。


※※※


 午後三時。

 社内チャットの通知がまた鳴った。


> 【食品事業部】

> 『GAIALINQの寄付コメントにより、バレンタイン関連商品の発注減少が顕著に見られる為、メーカー側から“風評被害”との指摘あり。対応を求む。』


(……もう笑うしかない。)


 私はキーボードを打ち始めた。


> 『“寄付”は“消費”の代替ではなく、“選択肢の多様化”として理解願います。』

> 『愛の形を一つに固定しない――それがGAIALINQの理念です。』


 ふと手が止まる。

 直也は今日もリモートワークだ。

 もう去年のような事は絶対防ぎたいから、それは全然構わない。

 普段なら、この手の問題はすぐに彼が調整してくれる訳だが。

 でも、今回はむしろリモートで、こんな下らないやり取りをさせずに済んで本当に良かった。こんなのは直也の無駄遣いに他ならないのだから。


「……まぁでも……ほんとに、“全女性の敵” って、違う意味で合ってるかも。」


 呟きながら、紅茶をひとくち。

 画面には、ニュース速報が流れていた。


> 『“寄付で愛を表現する” 動き、全国に拡大。

> SNSでは “#愛の形を変えよう” がトレンド1位に。』


(……いや、もう直也を理由にするの止めてくれない?)


※※※


 その日の夕方、ビジネスチャットの通知がひとつ。

 チャンネルはGAIALINQとDeepFuture AIの若手が自発的に結成しているラボメンバーとが構成員として参加しているものだった。


 チャット内容はDeepFuture AI Labからの情報共有みたいだ。


> 『テスト中のアプリ生成用のAI Agentが、“寄付を可視化する”アプリを生成してしまいました。

今回の社会現象を面白がったメンバーが、試験的にプロンプトして作成したみたいですが、“LoveBank(β)”という名前で、そのまま誤ってパブリッシュされてしまったみたいなんです。

……すると、SNSで少しバズり始めてて……止めた方がいいですか?』


 私は画面を見つめたまま、しばらく固まった。


 “寄付を可視化する”――嫌な予感しかしない。


> 『……“寄付額で愛を証明する”とか言ってない?』


> 『はい。まさにその方向で。自律駆動型のAgentic AI が機能しているので、ユーザー受けしそうなアプリ宣伝用のコピーまで自動生成してて……。』


> 『……すぐに止めて。絶対に止めて!!』


 エンターを叩いた瞬間、心の奥で寒気がした。

 直也の思想を、もっとも誤解される形でAgentic AIが増幅してしまっている――。


 窓の外は、すでに雨が雪に変わっていた。

 ホットティーの香りが、わずかに冷たい空気に溶ける。


 私は小さくつぶやいた。


 「……麻里。コレ、相当マズいかも……」


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