妻を探す冴えない男 5
|Side:けい
彼の手伝いを引き受けたあと、静まり返った事務所の中で一人立ち尽くしていた。
正直なところ、他人の失踪などどうでもいい。
わざわざ面倒ごとに関わる必要もない。
この街では、よくあることだ。
それでも、ふと考えてしまった。
ここに探偵がいたのなら、どうしたのだろうかと。
探偵の不在は思っている以上に、私に影響を与えていたらしい。
それに、この探偵事務所は休業中だ。
暇を持て余していたのも事実だった。
流れに身を任せ、面倒ごとに首を突っ込むのも悪くない気がした。
ただあの男に対して、何も思うところがないわけではない。
事件に関する情報が、少ないこと自体は珍しくない。
だが、酒折の話からは、妻であるユイの人物像がほとんど見えてこなかった。
一緒に暮らしていたはずなのに、どんな人間なのかが驚くほど伝わってこない。
それが少し引っかかった。
もっとも、今のところ考えても仕方がない。
視線を机の上へ向ける。
そこには、少しくたびれた一冊の本が置かれていた。
そう、本来の目的はこれだった。
本を手に取って事務所を出ると、鍵をかけた。
アパートの階段を下り、少し歩いた先に停まっている車へ向かう。
後部座席に乗り込むと、運転席から声が飛んできた。
「遅かったですね」
「なんか、客がいた」
「お客さんって……休業中でしたよね?」
車を停めて待っていたのは、私に妙に懐いている青年――はじめだ。
事務所へ行くと言ったら、休日だった彼が送り迎えを買って出た。
運転手をしているが、仕事のない日はこうして私の周りをうろついていることが多い。
「うん、だけど個人的に受けることにした」
「えっ?! 受けるって依頼をですか? えぇ……な、なんでです?」
はじめは露骨に驚いていた。
「暇つぶし」
「……暇つぶしって。まぁ、それはそれでけいさんらしいですけど」
はじめは納得したように頷き、エンジンをかけた。
車がゆっくりと動き出す。
気付けば自宅に着いていた。
見慣れた高層マンションへ足を踏み入れる。
エレベーターを待つ間、ふと思い出したように口を開いた。
「ご飯、奢るよ」
「本当ですか! じゃあ、久しぶりに手料理が食べたいです!」
「……」
はじめは嬉しそうに目を輝かせる。
外食かデリバリーで済ませるつもりだったが、面倒なことを言い出した。
送り迎えをしてもらった手前、文句は言わない。
エレベーターの扉が開き、私は無言のまま乗り込んだ。
はじめも慌てて後を追ってくる。
ほどなくして目的の階へ到着し、自宅の前までやってきた。
鍵を開け、ドアを押し開ける。
低層階なこともあり、カーテンを閉めた室内は昼でも暗い。だが、私はこの暗さを気に入っていた。
手探りで電気のスイッチを押す。
その瞬間――
目の前には、男が一人立っていた。
「ぎゃ、ぎゃああああああぁぁぁぁっ!!!」
悲鳴が響く。
叫んだのは後ろにいたはじめだ。振り返るまでもない。
私はその悲鳴など意に介さず、何事もなかったかのように部屋へ入った。
「おかえりなさい、けいちゃん」
「ただいま」
この部屋の住人である私より先に待ち構えていた男は、当たり前のように出迎えの言葉を掛けてきた。
もちろん見知らぬ相手ではない。幼馴染のシュウという男だ。
時折こうして無断で部屋にいることがあるが、今さら気にすることでもない。
「はぁ……はぁ……せ、せめて電気つけて待つとか……!」
ようやく落ち着いたのか、はじめは息を整えながら抗議する。
しかし、シュウは気にも留めていない。
「忘れ物は見つかった?」
「うん」
私ははじめの要望に応えるため、手を洗ってキッチンへ向かった。
シュウとはじめも、慣れた様子でリビングに集まっている。
「けいさん、依頼を受けることにしたらしいですよ」
「依頼?」
はじめは車で話したことを、シュウに伝えているようだった。
シュウは少し驚いた様子でこちらを見る。
「珍しいね」
「……まぁ」
短く返し、冷蔵庫を開ける。
中には食材がぎっしり詰まっていた。シュウが補充したのは明らかだった。
ろくに食事もせず、自堕落に暮らしている私を気遣ったのだろう。
どう考えても、使い切れる気はしない。
深く考えるのをやめ、適当に食材を取り出した。
*
「はい」
「わーい! いただきます」
「いただきます」
机の上に、人数分の料理を並べる。
はじめは子供のようにはしゃぎながら、嬉しそうに料理を頬張っていた。
そういえば昔から、私が気まぐれに作る料理を気に入っていた気がする。
もっとも、私自身は料理に特別な思い入れがあるわけではない。
幼い頃から、何事も完璧にこなすよう求められてきた。
料理も例外ではない。
数々の習い事と同じように身につけた技術の一つだった。
食事を終えたところで、シュウが声をかけてきた。
「何か手伝おうか?」
「ん?」
「さっき言ってた依頼」
すっかり忘れていたが、酒折という男の頼みを引き受けたのだった。
「あー酒折ユイって人。調べて欲しいかも」
改めて考えると、なかなか面倒な頼みごとだ。
今さらながら、後悔が押し寄せてくる。
「そういえば、けいさんは依頼を引き受けて、どう調査するつもりだったんですか?」
「いや、普通にシュウに頼もうと思ってた。最初から」
はじめは好奇心から尋ねたのだろうが、返ってきたあまりにも無責任な答えに不満そうな顔をした。
「それ、ずるじゃないですか?」
「そうなの?」
「俺は嬉しいけどね、頼られて。お前と違って役に立つから」
「オレも今日、けいさんを送り迎えしたんですよ!」
案の定、言い合いが始まる。
そんな二人をよそに、私は探偵事務所から持ってきた本を手に取った。
しばらくして言い合いは収まったらしく、はじめはテレビを見始め、シュウは近くでスマホをいじっていた。
二人とも、まるで自分の家のようにくつろいでいる。
なぜわざわざここに集まるのかと毎回思う。
それでも、この時間は嫌いではなかった。




