妻を探す冴えない男 4
「まあ、この街で失踪なんて、九割死んでると思うけど」
妻の捜索に協力してくれると聞き、浮き立っていた気持ちは、その無慈悲な一言であっさりと撃ち落とされた。
何か言い返したかったが、情けないことに言葉が出てこない。
もしかすると、この人は結構無神経な人なのかもしれない。
「取り敢えず、三日後ここ集合で」
「え? あ、はい……」
落ち込む私をよそに、彼女は今後の待ち合わせを告げた。
まだ日も明るい。聞き込みでもするのかと思ったが、今日はここで解散らしい。
話を聞かれた時間は拍子抜けするほど短かった。
警察でさえ辿り着けなかった真実に、探偵ですらない彼女と私が、何か掴めるのだろうか。
不安は拭えない。しかし、立ち止まったところで何も変わらない。
それでも、このまま帰るのはやはり気が重かった。
彼女と話が弾んだわけではない。それでも、久しぶりに誰かと言葉を交わした時間は、思っていた以上に気分転換になっていたらしい。
あの静まり返った空間を思い浮かべるだけで、気が滅入る。
「……何か、気を紛らわせる方法ってありますかね?」
いつの間にか、泣き言にも等しい質問を彼女に投げかけていた。
すると、彼女は少し考え込むように視線を落とした。やがて何か思いついたのか、顔を上げる。
「趣味とかは?」
「今は特にないですね」
「昔はあったの?」
「はい。昔はアイドルが好きで、CDやグッズを集めたり、ライブに通ったりしてました。それこそ、妻とはライブ会場で出会ったんです。仕事に追われるうちに、気づけば自然と離れてしまいましたが」
「気を紛らわすには、良い趣味だと思うけど」
彼女の抑揚のない返事からして、その言葉に深い意味はないのだろう。
しかし今の私にとって趣味への肯定は、自分自身を肯定されたような気さえした。
「そうですかね? 久しぶりに、また触れてみようと思います」
こんな状況で、とも思わないわけではなかった。しかし、塞ぎ込んでいても何も変わらない。
気を紛らわせるために趣味を頼ることを、妻だってきっと否定はしないだろう。
彼女のアドバイスを聞き、少しだけ気持ちが軽くなった。
そろそろ帰ろうと思い、ドアに手をかけたとき、ふと些細なことが気になった。
彼女はなぜ休業中の探偵事務所を訪れていたのだろうか、と。
「そういえば、けいさんは休業中に何の用だったんですか?」
「あー、忘れ物を取りに」
相変わらず、雑な返答が返ってくる。
「運が良かったね」
「はは……そうですかね」
休業中にも関わらず、忘れ物を取りに来たけいさんと偶然出会えた。
思っていたより、幸先は悪くないのかもしれない。
再度礼を述べて、探偵事務所を後にする。
まだ昼過ぎだからだろうか、外のほうが明るくて思わず目を細めた。しかし、その眩しさがなんだか心地が良かった。
私は軽い足取りで、近くの大きなショッピングモールへ向かうことにした。
*
――Ciel-Cage。
通称CC。それが、かつて私が推していた三人組の人気アイドルグループだ。
今でもその人気は健在で、店に入るとすぐ大きな特設コーナーが目に入った。
迷うことなく、目当ての場所へ向かう。久しぶりに訪れたというのに、不思議と安心感があった。
かつて夢中になっていたアイドルのCDジャケットたちが、ずらりと並んでいる。
仕事に追われるようになってからは、街で広告を見かけても足を止めることはなくなっていた。
心が擦り切れれば、世界もまた色を失う。
しかし、今は何も解決していないはずなのに目の前に広がる陳列棚は、どこかキラキラと眩しく見えた。
懐かしいものから、初めて目にする新しいジャケットまで、ひとつひとつ確かめるように視線を走らせる。
夢中になっていたせいか、周囲の気配が抜け落ちていた。
ふと隣の棚のジャケットを手に取ろうと、横に一歩踏み出した瞬間――誰かと肩がぶつかる。
「あ、すみません……っ!」
反射的に謝りながら顔を上げると、そこにはフードを深く被った男性が立っていた。
彼は驚いたようにわずかに身を引き、こちらに向かって頭を下げる。
「……こちらこそ、すみません」
掠れたか細い声だった。
一方的にぶつかったのはこちらなのに、彼まで謝ってきた。
その手には、CCの特装版らしき、やけに豪華な装丁のアルバムが握られていた。
「それって、新曲だったりするんですか?」
気づけば声をかけていた。
「え、あ……はい。数日前に発売されたアルバムで、今回はめずらしく、みーなんが中心になってプロデュースしてるんです。だから、みーなん推しの間では結構話題になってて……」
彼は最初こそ戸惑っていたが、話題が推しに及ぶと饒舌になった。しかし途中で我に返ったのか、気まずそうに口を閉じてしまった。
「あ……すみません、話しすぎました……」
みーなんこと――槻木沢ミナト。
CCを構成する三人のうちの一人だ。
センターを務めることの多いルルが特に人気で、マフが続く。ミナトはどちらかと言えば控えめな立ち位置だった。
本人のマイペースな性格もあってか、前に出る機会は多くない。
だからこそ、今回のように彼女が中心になるのは珍しい。
彼があれほど熱く語るのも、納得だった。
――何より。
私自身、箱推しではあるが敢えて一人選ぶなら、みーなんが好きだった。
こんな機会は滅多にない。そう思い、黙り込んでしまった彼に、もう一度問いかけた。
「みーなん推しなんですか?」
「あ、いえ僕は箱推しです……みーなんお好きなんですか?」
「私も箱推しなんですけど、強いて言うならみーなんかなって感じで。でもやっぱり、あの三人の空気感が好きでしたね、カリスマ性もあって」
「わ、分かります! 三人とも歌もダンスもすごいし、本当にバランスの良いグループですよね」
「そうなんですよ。本当に目の離せないグループで……ってすみません。私の方こそたくさん話してしまいましたね。私もこれ、買うことにします!」
彼が熱心に説明してくれた特装版を、私も手に取った。
「僕の方こそ、たくさんお話できて楽しかったです」
フードを深く被っていて表情は見えない。それでも、声が弾んでいることだけは伝わってきた。
彼とは初対面だったものの、共通の趣味を持つ者同士、会話は心地よく弾んだ。こんな気持ちは、いつぶりだろうか。
私は軽く手を振り、レジへと向かった。
ふと、こんな状況でもなければ連絡先を交換して、友達になれた可能性もあったかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。
だが、今の私には妻を探すこと以外に意識を向ける余裕はなかった。
そんなことを考えながら帰路につく。
家に着くと、早速パソコンにCDをセットし、近所迷惑にならない程度の音量で曲を再生した。
満たされた心地のままネクタイを緩め、そのままベッドに身を沈める。
少し休むつもりだったのに、そのまま眠ってしまっていたらしい。目が覚めたのは、まだ夜とも朝ともつかない曖昧な時間だった。
浅い意識の中でも、音楽だけが静かに流れ続けている。
どれだけ時間がかかろうと構わない。
必ず、彼女を見つけ出してみせる。




