妻を探す冴えない男 6
「けいちゃん、俺はもう帰るけど、ちゃんとベッドで寝てね」
「……あぁ、うん」
読書に没頭するあまり、家の中に二人がいることさえ、すっかり意識の外へ追いやっていた。
宣言どおりシュウは帰るようで、だらしなく椅子にもたれかかりながら本を読んでいた私の顔を、上から覗き込んでくる。
読書やスマートフォンの操作にかまけ、そのまま床やソファで眠り込んでしまうことがあり、こうして注意を受けることが多い。
シュウは渋るはじめの襟首を掴みながら、手際よく帰り支度を整えていた。
とりあえず、シュウに妻のことを調べてもらい、情報を得てから今後の動きを検討するべきだろう。
かなり行き当たりばったりだが、依頼料についてもまだ話していない。
何も分からなければ、そこで終わりにしても構わないだろう。
そうして簡単に方針だけを決めると、私は再び本へと視線を落とした。
*
翌朝、目を覚ますと、シュウからすでに連絡が入っていた。
何か分かったらしい。
昨晩は風呂を済ませたあと、再び本を読んでいた。
気づけばそのまま床で眠ってしまったようで、身体が軋むような感覚がある。
この不摂生は簡単には改まらない。
マンション近くのカフェで落ち合うことになり、身支度を整えてから向かった。
店の前に着くと、シュウはすでに来ており、こちらに気づいて小さく手を振ってきた。
「おはよう。もしかしてまた床で寝た?」
「……おはよ」
妙に勘の鋭いシュウの問いには答えず、挨拶だけを返した。
目を逸らした私にそれ以上言及することはなく、シュウはカフェのドアを開け、私はそのまま店内へ入る。
「何か食べる?」
「いや、いいや」
何か言いたげな顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
シュウが注文を取りに行っている間、私は空いている席へと向かった。
やがて、二人分のコーヒーを持ったシュウが戻ってくる。
そのうちの片方を差し出しながら席に着くと、懐から封筒を取り出した。
「はい、これ」
こちらに差し出された封筒を開け、中身を確認する。
中には、女性の顔が明瞭に写った写真が一枚と、その女性が数名の男性と会話している様子を捉えた写真が二枚収められていた。
写っている女性は、先日酒折に見せてもらった写真の女性と同じだ。
ほぼ同一人物と見て間違いないだろう。
「住民記録を調べたけど、そもそも酒折ユイっていう名前自体はなかったよ。稲田ユイのほうはあったけどね。籍は入れてないんじゃないかな」
「へぇ」
入籍していないという話は聞いていない。
単なる伝え忘れという可能性もあるだろう。
互いに納得した上での事実婚なのか、それとも妻が隠していたのか、あるいは夫が嘘をついているのか。
いずれにしても、たった一度顔を合わせただけの依頼人の内情など、知りようがない。
この件に関しては、次に会った際に確認すればいいだろう。
「二枚目の写真は、失踪前に撮られたものだよ。一緒に写っている男たちは、真示会の人間らしい」
――真示会。
数年前に現れた新興企業だ。
神を崇拝し、独自の思想を掲げるその在り方から、カルト集団に近いと揶揄されることもある。
急速に勢力を拡大し、最近では中枢企業入りも果たした。
黒い噂の絶えない企業だった。
「真示会絡みは、面倒そうだね」
「手を引けば? 正式に契約したわけでもないんでしょ」
「まぁ、そうだけど」
大企業を相手取るとなれば、わずかな情報を拾うだけでも容易ではない。
場合によっては、命のやり取りに発展しかねない。
妻の生死すら定かでない現状で、そこまで踏み込む価値があるのか。
そう考えると、シュウの言い分にも納得がいく。
「危ない目にあって欲しくないからさ」
念を押すように、シュウが言う。
彼の目から見ても、この案件は厄介なのだろう。
「情報ありがとう。いくら?」
「依頼料、払ってくれるの?」
「うん」
だが、私のよく知る探偵なら、一度やると決めた以上、引き下がることはないだろう。
自分の中ではすでに答えは出ていたが、心配してくれている手前、どこか居心地の悪さを覚える。
私は話を打ち切るように、改めて礼を述べた。
「じゃあ、今度デートしよう」
「……」
手料理だったり、デートだったり。お金で済む話だと思うのだが、周囲の人間はそう考えていないらしい。
私がそういう性格であるということは、彼もよく分かっているはずだ。
それでも、私の望みに沿った形で話が進むことは少ない。
「依頼が終わってからでいいなら」
「やっぱり、依頼は受けるんだね」
数分前にはぐらかしたつもりだったのだが、意味はなかったらしい。
シュウは真っ直ぐにこちらを見据えている。
「……まあ、手伝うって言っちゃったからね」
「そっか」
「うん」
短いやり取りの末、彼はそれ以上追及することなく引き下がった。
私は手元のコーヒーに口をつける。
少し冷めていた。
「気を付けてね」
「うん」
私の素直な返事に満足したのか、彼はふっと笑みを浮かべる。
その表情を見て、随分と過保護な男だと思った。
「ちなみに、まずはどうする予定なの?」
「とりあえずエツコさんに会いに行くよ」
「はは、中枢企業を総当たりすることになるんじゃないの」
彼は冗談めかして笑うが、実際のところ、すでにそんな気配はあった。
暇つぶしのつもりで引き受けたが、少々面倒なことになってきた。
これで酒折の妻が生きていなかったとなれば、割に合わない。
そう思いながら、もう一口コーヒーを飲んだ。




