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妻を探す冴えない男 2

 私が住んでいるここは、『管理領域センゴク 南区域』。

 約十年前に国から切り離されたこの街は、隔離以前の区分を廃し、現在では東西南北の四区域に分けられている。


 この狭い箱庭では、常識は通用しない。

 ある意味では、最も自由な街ともいえるだろう。


 そんな街にある、少し古びたアパートの前に私は立っていた。

 気づけば、ここで数時間は待ち続けていた。


山火(やまび)探偵事務所』


 調べて辿り着いたその場所は、ネットの評判も上々で、「丁寧で親身に話を聞いてくれる」――そんな言葉が並んでいた。


 テレビを見るまですっかり忘れていたが、そもそもこの街で探偵という職業はそう珍しくない。

 警察では手に余るほどの厄介ごとが、日常的に起こるからだ。


 探偵は国から積極的に支援されており、様々な手厚い補助が用意されている。

 手続きを踏めば医療費まで賄われることもあり、裏を返せばそれだけ危険が伴う仕事だということでもある。


 待遇に惹かれて探偵になる者は多い。

 だが同じくらい辞めていく者も多く、長く続けられる仕事ではないという話をよく耳にする。


 ぼんやりとスマートフォンを眺めながら時間を潰していると、静かなゆっくりとした足音が微かに聞こえた。

 規則的に近づいてくるその気配に、思わず期待を込めて視線をそちらへと向ける。


 現れたのは一人の女性で、淡い黄蘗色の髪を後ろで一つに結び、白い肌と整った顔立ちがどこか儚い印象を与えていた。

 しかしその容姿の印象とは裏腹に、身に纏っているのは妙にカジュアルな服装で、独特な雰囲気を纏った女性だった。


 古びたマンションの狭い通路だ。視界に入らないはずはない距離だが、その女性はこちらを一顧だにしない。


 彼女はそのまま探偵事務所の前で立ち止まり、慣れた手つきでドアの鍵を開け始めた。


「……あの」


 その背中に思い切って声をかけてみる。

 すると彼女はゆっくりとこちらを振り返った。なんとも興味のなさそうな表情だった。


「……ここ、探偵事務所……ですよね?」

「うん」

「依頼を受けてほしくて……来たんですけど」


 短い返事だけが返ってきた。

 ネットで見た評判の印象とは違い、親身に話を聞いてくれそうな気配は一切ない。

 もしかして、騙されたか?と不安がじわじわと押し寄せてきた。


 彼女はそれ以上何も言わず、再びこちらに背を向けた。

 ドアの前で何かをしている様子だった。


 よく見ると、ドアの前に白い紙がめくれてぶら下がっていた。どうやらそれを元に戻しているらしい。

 しばらくすると彼女は、その紙が見えるようにわずかに体をずらした。


 自然と視線がそこに引き寄せられる。書かれていたのは、簡素な文字だった。


『休業中』


 三文字の言葉が、大きくはっきりと書かれていた。


 なるほど、ネットで調べた営業時間になっても誰も来ないはずだ。

 そもそも、ドアの前に捲れた紙にもう少し早く気づけたのではないか、とじわじわ羞恥が込み上げてくる。


 それにしても、休業中とはどういうことなのだろうか。

 ここまで来てしまった以上、引き下がるわけにはいかない。


 意を決して、一度落とした視線を上げ、彼女の方を見る。


「その……お休みのところ申し訳ないのですが、話だけでも聞いてもらえませんか?」


 久しぶりに人と話したせいか、緊張でわずかに声が上擦る。

 だが、返ってきたのは予想もしない言葉だった。


「私、探偵じゃないよ」

「……え?」


 目の前の彼女と、ドア横に掲げられた山火探偵事務所の看板を、交互に見比べる。


「探偵は事情があって休業中。だから事務所もやってないよ」

「そ、そんな……」


 言われてみれば、探偵事務所で働いているのが探偵だけとは限らない。

 助手や事務員などの関係者がいてもおかしくはないし、わざわざ休業している以上、それなりの理由があるはずだ。


 自分の顔が引きつるのがわかる。

 妻が消え、仕事を辞め、引きこもっていた日々。ようやく前に進もうとして訪れた場所で、これだ。


 あまりにも幸先が悪い。

 乾いた笑いが、思わず漏れそうになる。


 他の探偵事務所を当たればいい、と思うかもしれない。

 だが、この近辺にあるのはどれも露骨なレビューばかりで、どうにも怪しい事務所ばかりだった。

 遠方まで足を伸ばせば話は別だが、そもそも範囲外の失踪を受けてくれる保証もない。


 かといって、目の前の事務所も信用できるかどうかは分からない。

 それでも、他の探偵事務所よりはずっと信用できそうだという勘が私にはあった。


 どうすることもできず、その場に立ち尽くしていると、見かねたのか彼女が口を開いた。


「……まぁ、とりあえず話を聞くだけなら」


 そう言って、彼女はドアを開く。

 そのまま無言で、事務所の中へと促した。


 それだけのことなのに、救われたような気がした。

 私は深く頭を下げ、慌てて中へと足を踏み入れたのだった。

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