表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消去対象(イレイサー)  作者: 大江戸こはる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/3

第3章:最初の欠落

夜は静かすぎた。


榊真司は、自宅のリビングに一人で座っていた。

テレビはつけているが、音は入ってこない。


テーブルの上には、開いたままの手帳。


そこに書かれているはずの名前。


――佐伯美咲。


だが今、その文字はほとんど読めなかった。


「……なんだよ、これ」


指でなぞる。


紙は確かに凹んでいる。

書いた“跡”だけが残っている。


インクだけが、消えていた。


「ありえないだろ……」


ペンで強く書き直そうとする。


だが――


手が止まる。


「……なんて読むんだ?」


書こうとした名前が、思い出せない。


さっきまで覚えていたはずなのに。


頭の中に、もやがかかる。


「……クソ」


苛立ちを抑えきれず、手帳を閉じた。



翌朝。


榊はいつもより早く出署した。


頭の違和感が消えない。


「おはようございます」


若い刑事が軽く頭を下げる。


榊も頷くが、ふと違和感を覚えた。


――誰だ?


見覚えはある。

だが名前が出てこない。


「……おはよう」


適当に返し、デスクに向かう。


パソコンを立ち上げ、昨日の事件データを開く。


だが。


「……は?」


ファイルがない。


正確には、存在しない。


検索をかける。


ヒットしない。


「おい」


隣の席の高野に声をかける。


「昨日の件のデータ、どこだ?」


高野はキョトンとした顔をした。


「昨日の件?」


「アパートの……」


言葉が詰まる。


アパート。血。争った跡。


だが、その先が出てこない。


「何の話です?」


高野の表情は本気だった。


「お前、昨日一緒に現場に――」


言いかけて、止まる。


本当に“一緒にいた”のか?


その記憶が、曖昧になる。


「……いや」


榊は首を振った。


「なんでもない」



違和感が、広がっていく。


自分の記憶が信用できない。


だが、確実に何かが起きている。


榊は立ち上がった。


「外出る」


「あ、はい」


高野は特に気にしていない様子だった。


その反応が、逆に不気味だった。



向かったのは、昨日のアパート。


だが――


「……は?」


榊はその場で立ち尽くした。


そこにあったはずの古びた建物が。


ない。


更地になっていた。


重機が並び、工事が進んでいる。


「ちょっといいですか」


近くの作業員に声をかける。


「ここにアパート、ありましたよね?」


作業員は不思議そうに首をかしげた。


「アパート?いや、ここはずっと空き地ですよ」


「いや、昨日――」


「昨日も工事してましたよ」


あっさりと否定される。


「……そんなはずないだろ」


榊の声が低くなる。


だが作業員は困ったように笑うだけだった。



頭が揺れる。


現実が、噛み合わない。


「俺は……何を見た?」


ポケットからスマホを取り出す。


写真フォルダを開く。


現場を撮ったはずだ。


血の跡、部屋の様子。


だが――


「……ない」


一枚も残っていない。


代わりに、無関係な写真が並んでいる。


「消された……?」


いや。


違う。


“最初から存在しなかった”ように、整えられている。



そのとき。


背後から声がした。


「困ってるみたいだね」


振り返る。


見知らぬ男が立っていた。


白衣を着ている。


場違いなほど、清潔だった。


「……誰だ」


榊は警戒する。


男は薄く笑った。


「君が探しているものは、もうないよ」


「何のことだ」


「人はね」


男はゆっくりと近づく。


「記憶されているから、存在できるんだ」


その言葉に、背筋が凍る。


「記憶が消えれば――」


男は榊のすぐ目の前で立ち止まった。


「存在も消える」



榊は反射的に男の腕を掴もうとした。


だが。


一瞬、視界が揺れる。


次の瞬間――


男はいなかった。


「……は?」


周囲を見渡す。


どこにもいない。


ほんの数秒の出来事だった。


「なんだ……今の」


現実感が崩れていく。



そのとき、また違和感が走る。


「……俺は」


自分の名前。


それすら、一瞬だけ曖昧になる。


「……榊、真司」


声に出して確認する。


大丈夫だ。まだ覚えている。


だが。


確実に削られている。


少しずつ。


確実に。



榊は拳を握った。


「……上等だ」


誰がやっているのかは分からない。


だが、やることは決まっている。


「消えるなら、消える前に捕まえる」


刑事としての本能だけが、まだ残っていた。



だがそのときの榊は、まだ知らない。


この“欠落”が始まりに過ぎないことを。


そして次に失うのが、


記憶ではなく――


“自分を覚えている人間”であることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ