第13話 トロイのモクサー
一進一退の凄まじい攻防の嵐が電脳世界にて数十分と続いている。
大鎌は地面を裂き、拳は空を切る。互いの武器が強く、鋭く、絶え間なくぶつかり続ける。
手数では圧倒的にトロイの木馬が優勢。ボクシングで使われるジャブ、右ストレート、右フック、左フック、右アッパー、左アッパー、右ボディー、左ボディーの8種類全てのパンチを操り、更にフェイントを織り交ぜている。
一方でミドリは巧みな鎌捌きで、トロイの木馬の拳を打ち払っている。防御し、隙があればそこに死神の鎌が襲い掛かる。トロイの木馬とは違い、大きな武器な事もあって手数は少ないがそれを補える一撃の重みがある。
互角と言えば互角だが、少しずつ、少しずつ時間が経つに連れてミドリの足が一歩ずつ後退しつつある。別に力負けしてる訳でも無い。負けているのはその速さ。
トロイの木馬の一撃はミドリと比べ劣っているものの、それをカバーする様に足の使い方がミドリより遥かに上手い。つまるところ、トロイの木馬はフットワークを使ってミドリを着実に追い詰め始めている。
フットワークは足の使い方次第で攻撃にも防御にもなる。速く動けば相手の攻撃が当たらない、若しくは当たり難い場所へと逃げれる。速く動けば相手を撹乱させ、死角へと移動して攻撃するチャンスが幾度となく待っている。更に重心を上手く使う事でパンチの威力も上がる。
──それでも負けない!
攻撃と防御を5:5で割り振っていたが、それではトロイの木馬のパンチに呑み込まれてしまう。だからミドリは攻撃に少しだけリソースを割き、攻撃を8とし、防御を2の値で割り振って前に出る事を選んだ。
殆どの攻撃はその身に受ける覚悟。致命傷となる攻撃だけ捌き、それ以外は無視を決め込む。
そのお陰か押し戻された分を取り戻し、更に前に出る事に成功した。擦り傷は多くなったがそれは相手も同じ事。
攻めて攻めて攻め上げて追い詰める。
そして遂に──、
「そこ!!」
「────ッ!!」
ミドリの大鎌がトロイの木馬の腹部を裂き、また逆にトロイの木馬の右ストレートがミドリの胸部に強打する。
互いの攻撃がヒットして一度距離を取る事を選ぶ。
ミドリの刃は確かにトロイの木馬を裂いた。傷口からもデータも流れ出てはいるが、見た目以上に傷は深くは無い。ミドリも同じく勢いのある右ストレートだったが、まだまだ健在。
お互いの攻撃が同時にヒットした事が幸いし、自分の攻撃がヒットした事で相手の攻撃の威力が直前で弱まったのだ。
──もっと速く、もっと鋭く、もっともっともっと!!
脚に全身の力を込めて踏み出して一気に懐まで接近する。瞬間速度なら完全にミドリが上回っており、トロイの木馬も反応はしているがそれについてこれていない。例え防御が間に合ったとして、ミドリは僅かな一瞬も見逃す事なくトロイの木馬の喉に刃が届く。
勝ったとミドリは確信し、純もまた小さくガッツポーズを取っていた。最後の一撃が振るわれる瞬間──、
「────ッ??!」
ミドリの顔面に右が入り、そのまま地面へと叩き込んだ。絶対に間に合わない所からの右のカウンターを貰い、ミドリは顔から地面に衝突して1メートル以上の高さまでバウンドした。更にそこから左のジャブを即座に脇腹に突き刺さり、横に大きく殴り飛ばされ壁際まで追い込まれた。
『嘘だろ?こんな…あり得るのか?』
ここまでの強さを見せ付けられると、もはや新種のマルウェアだと認識を改める必要性が出て来た。しかし、中身はいつもそこら辺で見かける普通のトロイの木馬。他に考えられる可能性があるとすれば、
『まさかとは思うが、マルウェアも《進化》しているのか?いや、それよりもミドリ!』
壁に寄り掛かりながらも上体を起こすも、意識は朦朧としており舌が上手く回らない。
「あへぇ…?ひゅ、ひゅんさま?」
目の前がチカチカしており平衡感覚もままならない。辛うじて純の声は聞こえているもの、力も入らない。
声を頼りに立ちあがろうとした時、無慈悲にもトロイの木馬の拳がミドリの顔面に直撃し、そのまま壁へと押し込む。
打ち込まれたミドリはピクリともしない。これで勝負はあったかと思われたが、ミドリの左手がトロイの木馬の手首を掴んだ。
これにトロイの木馬が驚き、振り解こうとするがそれよりも早くミドリの大鎌が左腕を切り落とした。
切り落とされ、動揺して後ろに退がるトロイの木馬に、ミドリは更に追い討ちを掛ける様に、もう片方の腕もすかさず切り落とした。
切り落とされた傷口から大量のデータが、止めどなく溢れ出るのを必死に止めようとトロイの木馬は修復に力を入れる。
が、頭からデータが流れ出るのを無視してミドリは駆ける。AIアンチウイルスの構造は殆ど人間と同じ。頭からデータが垂れているという事は、非常にマズい状態なのだがこの機を逃せば戦況は今より悪い方に流れる可能性がある。無理矢理でも変えなければならない。
「痛くても、辛くても、苦しくても、どんなに嫌でも挫けても!退がる事は出来ない!!」
ミドリの間合い。今度こそ決まれば──、
「──あえっ?」
急に全身の力が無くなって足がもつれ、トロイの木馬の隣を盛大にうつ伏せの状態で滑り転ける。
一瞬純の目が点になるが、すぐにミドリの体の原因が分かった。時間にしてそこまで戦闘は長引いていないが、内容は濃いもの。トロイの木馬の攻撃が足まで響いており立つのもやっと。
2年もバディをしているというのに、ちゃんとサポートが出来ていない。
──て、呆けている場合ではない。みっともないが、バタバタと転がりながらトロイの木馬との距離を開ける。
『ミドリ、一度態勢を整える。視界を塞ぐんだ』
純の指示通り、地面に斬撃を放って大きな煙を上げて一時的に建物の陰に逃げ仰る。
息を切らし、フラフラになりながらも身を隠す事が出来て一応一安心。ミドリも一息つけるが、それは相手も同じ。ミドリの体力の回復を待つのと同じく、トロイの木馬もその頃には両腕の修復を済ませて万全の態勢になっているだろう。
けれど、そこまで心配する事も無い。
『急に動きが良くなったのは簡単な話、フットワークを使って来たんだ。流石だな』
「感心している場合ではありません!私ピンチなんですよ!?」
『それくらい見れば分かる。後もう一つ、殴られ続けてあまり気付いてない様に見えたから言うけど、コンビネーションも多様して来てる。恐らく、右のパンチが入ったのもワン・ツーのコンビネーション』
カラクリさえ分かれば対処のしようなど幾らでも思い付く。例えばフットワークなら、
『足を狙え。いいか、ボクサーは足を狙えば終わりだ。あっちは拳しか使わないから簡単だろ?』
「それ、ズルくありませんか?」
『相手がボクサーであろうと所詮はマルウェアだ。何か問題でもあるか?』
純が言葉遣いはたまにアレだが、実は心優しい。けど、偶にマルウェアに容赦無い事を言うのでミドリも少しばかり引いてしまう。それでも、やれと言うなら絶対にやるミドリ。純に対しての忠誠心と言うのか、愛情の表れなのか。どちらにしろ、それを確実に実行に移そうとするミドリも大概だ。
「あの、やってみますが、もう少し他の──」
『後はミドリに任せるよ。何せ、ミドリは超つよつよアンチウイルスソフトウェアだもんな!頼りにしてるよ!』
「はい!私は、超つよつよアンチウイルスソフトウェアと同時に、純様が愛してやまない知的で美人のミドリです!!」
「誰もそこまでは言ってはいない」と口にしようとするが、それで頑張ってくれるというのならば野暮な事は言わないでそっとしておこうと、口を噤む事を選んだ。
充分にやる気を出してくれているミドリに、微笑んで、「頑張れ」と小さな声援で、その背中を押して送り出す。
建物の陰から飛び出して、休憩終わりの合図のつもりでプログラムの斬撃を一つ放つ。トロイの木馬も、予想通り既に修復されている拳で、斬撃を打ち払って迎撃する。
トロイの木馬が斬撃を打ち払って出来た一瞬の隙。ミドリは背後に回り込んで、右肩目掛け大鎌を振り下ろすも、トロイの木馬は大きく頭を振って背後のミドリを見ずに回避した。
その状態から、足先を軸に体を回転させてミドリの正面に躍り出る。
そしてそこから、体を大きく振った高速のシフトウェイトで右拳を叩き込む。
──避け、れます!!
左頬が、浅くだが表面上のデータが抉られつつも気合いでかわす事に成功した。掠ってこれ程までの威力に冷や汗をかく。
だが、安心するのはまだ早い。今度は、8種類のパンチの中でも一番の速度が出るジャブを打とうと、モーションに入ろうとしているのを目にする。
──先程、体を休めて体力はある程度回復しましたが、これ以上のパンチを貰ってしまうのは危険!無理矢理止めなければ!
ミドリは即座にダッシュで、肩からトロイの木馬にタックルした。ここまで密着していれば例え打って来たとしても、上手く腕に力が入らず、大した威力にはならない。
そう、思っていた。
ミドリがタックルして密着した僅か1秒後、腹部に強烈な右ボディーが炸裂して、足が少しばかり浮いていた。人間と同じ嘔吐をする様に、口からデータを吐き出した。そのまま、前のめりになって倒れ────なかった。
強烈な一撃に一瞬だが意識は飛んでいたが、持続する痛みによって覚醒して、浮いた右足で左脚に向けて蹴りを叩き込んでみせた。
苦痛で、表情を歪ませてる暇があるなら手を出す。意地と、気合いと根性で次の攻撃モーションに入ろうとする。地に足が着いた。しかし、仕方ないとはいえ、防御する為にここまで密着する程接近してしまったせいもあり、この距離では大鎌は振り翳せない。だから手を使う。
左足に体重を掛け、右の手を腰の位置まで低く構えながら開き、そのまま一気に前へと突き出す。
──通った!
仕返しと言わんばかりに、ミドリも腹部に掌底打ちを打ち込んだ。当てた直後にした鈍い音とその感触で、トロイの木馬のデータを破壊した事を察した。
当てた勢いに任せて後ろへ退がり、わざと間を開けた。この距離感なら充分に大鎌が使える。「ここしかない。このチャンスを逃したら、この機を作るだけの耐久は残していない」。そう頭の中で理解しており、最後の望みを懸けて大鎌を握り締める。
──行ける!!
アンチウイルスデータを、マルウェアを駆除する為のプログラムに変換させて大鎌に纏わせる。手を出せばすぐに刃が届く。
1秒1秒を刻む、瞬間がとても遅く感じる。その刹那の中でミドリは見てしまった。トロイの木馬が、スマッシュの態勢に入っており、カウンターで迎え撃とうとしている様を。脚に蹴りを食らわせたのに、それでもこの立て直しの早さ。
もう止まらない。止まる事が出来ない。このまま何もせず、大鎌を振り翳してしまうと、確実にミドリの顔面にスマッシュが直撃して全てが終わる。例え止まれたとしても、動く的が動かなくなる絶好の的となるだけ。
だからといって避ける事も叶わない。
──どうすれば、どうすれば、どうすれば?!
極限にまで頭をフル回転させて、最も安全な逃げ道を探しているが見つからない。ミドリに残された選択肢は諦める────、
『構うな!そのまま突っ込め!!』
残された選択肢は、バディである純の言葉を信じて前に進むこと。それだけだ。
吹っ切れたミドリはより一層前に出る事に集中し、打ち込もうとしているスマッシュ目掛けていた。
そして、スマッシュとミドリのおでこが激しく衝突して轟音が響いた。データの鮮血が、煌びやかに飛散してミドリの態勢が崩れ落ち……て、などいなかった。寧ろ押し返して拳を跳ね除けた。
確実に決まっていた。その証拠にミドリの頭は割れて、データが止めどなく流れ出ている。
何故、ミドリが倒れていないかという理由は意外と単純なものだった。それは、純の指示通りに突っ込んで行って、パンチのスピードが乗る前に、顔面でブロックしたからだ。振り抜けないパンチは、威力は激減してその真価を発揮出来ない。
同時に攻める事も出来た。
防御はただ守ったり、逃げたりするだけではない。“攻める防御”。前に出る事で、生まれる守りもあるという事だ。
「勝利の女神は私に微笑みました!!」
緑に輝く刃が、トロイの木馬の首を容易く切った。宙を舞う首は、その傷口から綺麗なデータを撒き散らしながら、地面に落ちて転がっていく。
ここまでの傷を与えれば、例え修復したとしても膨大なデータが外に流出して、その形をもう保てない。後の事は時間が何とかしてくれルだろう。
ミドリウェアに健在していたマルウェアは駆除が終わり、後はUSBメモリに潜んでいる残りのマルウェアを駆除すれば今回の仕事は完了する。それに関しては、先程のトロイの木馬を解析して、有効となるプログラムを純が作成すればミドリが動かなくともなんとかなる。
「純様、お疲れ様でした」
ミドリが労いの言葉を投げ掛けた直後、全身の力が抜け、その場に上向きで倒れ込んだ。それ程までに苦戦した相手だという証拠。
しかし、これでようやくゆっくりとした時間が過ごせれる。
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「マルウェアの駆除、ご依頼通り終わりました」
ミドリが、ミドリウェアの中に居たトロイの木馬を駆除してから数十分が経過。USBメモリ内の駆除も、ミドリの手を借りつつ時間を掛けずに完了。それから夕方、和之介にお渡しの連絡をして、今はそのやり取りの最中。
「データの修復、マルウェア対策も必要以上に対応もしましたので、これから安心してお使い出来ます」
ミドリの補足を交わせつつ、USBメモリを手渡した。受け取った和之介は安堵の息を吐いて、胸に手を当てる。
これだ。苦労をして、頑張って、それが相手に手に渡っ時に見せる安心の表情や仕草。これを目にした時が、自分達が一番仕事をしたと実感する。
「お金の方はまた後日お願いします。それと、和之介様の小説を拝見させて頂きました。一言で表しますと“確かに良く出来ている”ですかね。他の方と比較しても、恐らく和之介様の方が上でしょう」
それを聞いて和之介は、何とも言えぬ表情へと変わった。それでも尚、ミドリは話しを続ける。
「ですが、取り敢えず、良い雰囲気や感動の場面なら、登場人物全員泣かせておけば皆『エモいー!』や『尊いー!』とか、言ったりするという魂胆が丸見えです」
「…えっ?」
間抜けな声が思わず出てしまった。突然の批判の声。
純は、慌ててミドリの口を手で覆い隠す。いきなり失礼極まりない事を言い出し、ミドリを謝らせようとする。が、和之介は、それを笑顔でその批判を受け止めていた。
「真っ直ぐで、素直な言葉。好きだよそういうの。そうか、魂胆が丸見えか……ありがとうございます」
和之介はそれ以上言う事は無く、荷物を纏めて、純達に見送られながら帰って行った。
結局、何が良かったのか純には見当もつかなかった。それでも、笑顔でお礼を言ったとなると、今の彼に対して良い事を言ったのだろうと思う。
「もしかしてですが、彼はマゾなのでしょうか?」
「それは多分違うかと。それよりも、これからどうする?帰りの飛行機は明日のお昼」
依頼者である和之介は、問題のあったUSBメモリを受け取って帰宅。お金は後日受け取るとして、それ以上する事は無く、今回の仕事は無事終了。帰りも、余裕をみて日を取っていたので時間は充分に有り余っている。
「早目に帰るのでも構いませんが、折角沖縄にまで足を運んだのです。ゆっくりと観光でもしませんか?」
「だよな。夕方だけど、少し回るか」
ひと仕事を終えた二人は、残りの時間を観光という形で街を歩き、有意義なものとした。




