第5話:妹君の来訪と、完璧すぎる「理想の義姉」
ハルシュタット辺境伯邸の応接室には、ピリリとした冷たい緊張感が漂っていた。 アルベルトの妹であり、ロランに嫁いでいるエリスが、自身の子供を連れて急遽帰省してきたのだ。
エリスは、これまでの五人の兄嫁を、その「徹底した厳しさ」で屋敷から追い出してきた元凶とも言える人物だ。アルベルトにとっては、実の妹でありながらも、時には自分以上に恐ろしい監査役のような存在でもある。
「……お兄様、今度の奥様も、結局は金目当ての浅ましい女だったの?」
エリスは優雅に紅茶のカップをソーサーに置くと、氷のように冷たい瞳でアルベルトを射抜いた。その傍らでは、まだ幼い娘がエリスのドレスをぎゅっと掴んでいる。
「ヴィオラは……今までの者たちとは違う」
アルベルトは珍しく口ごもった。
「あいつは、ただの『飾り』だ。それ以上でも以下でもない」
「ふん。そうやって甘いことを言っているから、これまで皆、化けの皮が剥がれて去っていったのよ。今度こそ、私がビシッと身の程をわきまえさせてあげるわ」
エリスがそう言い放った瞬間、応接室の扉が優雅に開かれた。
「旦那様、エリス様。お待たせいたしましたわ」
そこには、淡いラベンダー色のドレスに身を包んだヴィオラが、まるで絵画から抜け出してきたような微笑みを浮かべて立っていた。彼女の手には、手作りの可愛らしいクッキーと、子供用の特製リンゴジュースが載ったトレイがある。
「はじめまして、エリス様。兄のアルベルト様から、妹君の素晴らしいお話は伺っておりましたわ」
ヴィオラは、エリスのプライドを一切傷つけない、最高に上品で、かつ深い敬意のこもった一礼をした。
(さて、お兄様のお膝元で実権を握り、過去の妻たちを追い出してきた『お局様』か……。こういうタイプは、正面からぶつかっても無駄。まずは『格付け』で私の方が下であることを示しつつ、彼女の『母親としてのプライド』と『兄への複雑な愛情』をくすぐるのが鉄則ね)
ヴィオラは立ち上がると、エリスの傍らの幼い娘に優しく視線を向けた。
「まあ、なんと愛らしいお嬢様。……エリス様、お嬢様のお召し物、とてもセンスが良いですわね。小さなお子様はすぐに汚してしまいますのに、これほど綺麗な状態を保たれているなんて、エリス様の日々の献身的な子育ての賜物でしょう。本当に、尊敬いたします」
「え……?」
エリスは不意を突かれたような顔をした。
これまでの義姉たちは、皆エリスに対して媚びを売るか、あるいは子供をダシにして機嫌を取ろうとしていた。だが、ヴィオラの言葉には「嘘」を感じさせない、真摯な「子育てへの共感」がこもっていた。
「そ、そんなことありませんわ。当たり前のことをしているだけよ」
「いいえ。……私、実家では幼い弟の世話をずっと見ておりましたから、分かりますの。小さな命を守り、立派に育て上げることの難しさが。エリス様のような素晴らしいお母様の元に生まれたお嬢様は、本当に幸せ者ですわ」
ヴィオラはそう言って、特製のリンゴジュースを差し出した。
「お嬢様、これ、ハチミツを少し混ぜた特製ジュースですの。喉に優しいので、もしよろしければ」
幼い娘が、エリスの顔色をうかがいながらジュースを受け取り、一口飲む。
「……っ! ママ、これ、すっごくおいしい!」
エリスは娘の喜ぶ顔を見て、ふと表情を和らげた。
ヴィオラはそこで初めて、エリスに向き直り、少しだけ寂しそうな、しかし穏やかな笑みを浮かべた。
「エリス様。お兄様には、私のことを『飾り』として扱うようお願いしてありますの。私は、実家の借金返済のために嫁いできた身。そんな私が、素晴らしいハルシュタット家の血筋を汚すようなことはあってはなりませんから」
エリスは眉をひそめた。
「あなた、お兄様から何を言われたか分かっているの? 愛も会話も期待するなと言われて、あなたは満足なの?」
「はい。……お兄様は、私のような者のために、素晴らしいお屋敷を用意し、一流のスタッフを揃えてくださいました。それだけで、私は十分すぎるほど幸せなのです。それに、お兄様は、ご自身を犠牲にしてまでこの広大な領地を豊かにしようとされている。そんな、世界一立派な旦那様の隣に居させていただけるだけで、私は毎日誇らしい気持ちでいっぱいですの」
エリスは唖然とした。
これまで追い出してきた女たちは、皆「私を愛して!」「冷たい!」と泣き叫ぶ身勝手な者ばかりだった。しかし、目の前の少女は、自分の立場を完璧に弁え、その上で心からアルベルトの苦労を労い、尊敬している。
「あなた……。お兄様のことを、本当に……」
「はい。たとえ私がお兄様に愛されなくても、お兄様がこの領地で笑って過ごせるなら、それで十分ですわ。……エリス様、こんな私が義姉で、恥ずかしいとは思いますが、どうか、お兄様のお仕事の邪魔だけはしないように努めますので、見守っていただければ幸いです」
ヴィオラはそう言って、再び完璧な一礼をした。
(よしっ、これで『無欲で健気な献身キャラ』が完成! 私を追い出す理由なんて、もう彼女には見つからないわ!)
その日の午後。
エリスはすっかりヴィオラに心を開き、子育ての相談や、領地経営の悩みまでをヴィオラに打ち明けていた。
「……本当に、お兄様には勿体ないわね、あなたのような方は」
エリスは溜息をつき、満足げに微笑んだ。
「今度、王都の夜会があるの。そこにあなたも連れて行ってあげる。お兄様には、私から釘を刺しておくわ。『こんなに素敵な奥様を冷遇するなんて、正気なの?』ってね」
「まあ……。エリス様、ありがとうございます!」
応接室の外で、その様子を扉越しに聞いていたアルベルトは、愕然と立ち尽くしていた。
(あのエリスが……。わずか数時間で、ヴィオラを全面的に支持しているだと!? 一体、あの小娘は何を吹き込んだんだ……!)
「がははは、アル! こりゃあもう、完全に手遅れだな!」
背後で爆笑するロランの声を聞きながら、アルベルトは頭を抱えた。
自分の領地、執事、妹までもが、一人の18歳の少女に染まっていく。
経済の悪魔の完璧な包囲網は、今や、彼の最も愛する家族の手によって、内側から完全に閉ざされつつあった。
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