第47話:おめでた発覚! 歓喜に震える屋敷
季節が一つ巡り、澄み渡る秋空が広がるハルシュタット城。
朝の陽光が差し込む当主寝室で、異変は起きた。
「……うぐっ……っ」
ベッドから起き上がろうとしたヴィオラが、突然口元を押さえて小さく呻いた。
「ヴィオラ!? どうした!?」
隣で目を覚ましたアルベルトが、弾かれたように飛び起きる。
「あ……申し訳ありません、アルベルト様。少し……目眩と、胸のあたりが不快で……」
顔色を少し悪くし、力なく微笑もうとするヴィオラ。
普段、体調を崩すことなど滅多にない妻の異変に、アルベルトの顔から一瞬で血の気が引いた。
「大事ないか!? おい、誰か!! 今すぐ医師を呼べ!! 城中の医師を全員叩き起こして連れてこい!!」
「あ、アルベルト様、そんな大袈裟な……っ」
「大袈裟なものか!! お前に万が一のことがあったらどうする!!」
部屋の外に響き渡るアルベルトの怒号に、城内は朝一番から大パニックとなった。
◇
「……ふむ。なるほど、なるほど……」
寝室のベッドに横たわるヴィオラの手首を取り、脈を診ていた老医師が、ゆっくりと顎髭を撫でた。
ベッドの脇では、生きた心地がしないといった様子で拳を握りしめるアルベルトが、まるで獲物を狙う野獣のような凄まじい眼光で老医師を睨みつけている。
「おい、老医。ヴィオラの病状はなんだ!? 毒か!? どこかの過刺客の仕業か!? 正直に言え! どんな稀少な薬草でも全土から買い集めてやる!!」
「か、閣下……どうかお心を落ち着けてくださいませ」
老医師は苦笑いしながら手を離すと、深々と頭を下げた。
「奥様はご病気などではございません。毒でもございませんよ」
「……何? ではなぜ、ヴィオラは苦しんでいるのだ!?」
老医師は満面の笑みを浮かべ、はっきりと告げた。
「――おめでとうございます、アルベルト閣下、ヴィオラ奥様。ご懐妊でございます。今でおよそ二ヶ月というところでしょう」
「「…………え?」」
部屋の中の時が、ピタリと止まった。
アルベルトは目を見開いたまま、石像のように固まった。
「ご……ご……懐妊……?」
オウム返しに呟くアルベルト。
その横で、ヴィオラもまたサファイアブルーの瞳を丸くし、そっと自分のまだ平らなお腹に手を当てた。
(懐妊……? 私のお腹に……アルベルト様との赤ちゃんが……?)
「ええ、間違いございません」老医師は嬉しそうに頷く。「奥様のお体の揺らぎは、新しい命が宿ったことによる『つわり』でございます。お体を温め、お大事になされば何の問題もございません」
「お……お腹に……子供が……?」
アルベルトは呆然としたまま、ゆらりとヴィオラの方へ向き直った。
「ア、アルベルト様……? どうなさったのですか……?」
ヴィオラが心配そうに声をかけた、その瞬間だった。
ぽろり、と。
「北の鬼神」と恐れられ、生涯で一度たりとも弱みを見せたことがないと言われた男の青い瞳から、一筋の大粒の涙が零れ落ちた。
「え……? あ……アルベルト様……!?」
ヴィオラが驚いて声を上げる間もなく、ボロボロと溢れ出す涙。
アルベルトは震える手でヴィオラの細い手を優しく、壊れ物を扱うかのように包み込んだ。
「……子供……。私と……お前の……子供……ッ」
「アルベルト様……泣いていらっしゃるのですか……?」
「泣いてなど……っ、うぐっ……! 嬉しいのだ……っ! 嬉しくて、たまらんのだ……っ!!」
アルベルトは人目も憚らず、子供のように声を詰まらせて涙を流した。
そして、ベッドの上に膝をつくと、ヴィオラのお腹にそっと顔をうずめ、彼女の細い腰を優しく抱きしめた。
「ありがとう……ヴィオラ……っ。私を選んでくれて……私に、こんな素晴らしい奇跡をくれて……本当に、ありがとう……ッ!!」
冷酷だった男の、剥き出しの純粋な愛と歓喜。
(ああ……この人は、本当に……)
ヴィオラは胸が熱くなり、目元を潤ませながら、アルベルトの豊かな銀髪に指を滑らせ、愛おしそうに撫でた。
「私の方こそ……ありがとうございます、アルベルト様。私を……お母さんにしてくださって」
二人は静かに額を合わせ、生まれてくる愛しい命の温もりを分かち合った。
◇
「なっ……ななな何だってぇぇぇぇぇーーーーッ!!???」
数分後、寝室の扉の外で待機していた騎士団長グスタフの絶叫が、城全体に響き渡った。
「お、奥様がご懐妊――ッ!? 閣下とお子様を――ッ!?」
「静かになさい、グスタフ! 奥様のお体に響くでしょう!」
筆頭執事ハンスが叱りつけるが、そのハンスの目からもボロボロと涙が溢れていた。
「ああ……お命に代えてもハルシュタットをお守りしてこられた閣下に、ついにご子息が……! 先代様、奥様……ご覧になっておられますか……ッ!」
「おい! 今すぐ全軍に知らせろ! 今夜は領内全域で祝いの宴だ!! 街の酒場も全店タダ酒にしてやれ!!」
「グスタフ様、気が早すぎますわ! ですが……本当におめでたいことですわねっ!!」
侍女たちも手を取り合って飛び跳ね、ハンスは鼻をかみながら大急ぎで祝いの準備へと走り出した。
吉報は瞬く間に城中、そしてハルシュタット領全体へと駆け巡った。
「ヴィオラ様がご懐妊されたぞーッ!!」
「ハルシュタット家に新しいお世継ぎ様だぁぁぁッ!!」
街では鐘が鳴り響き、領民たちは抱き合って喜び、騎士たちは兜を投げ捨てて歓声を上げた。
領内はまさに、国を挙げての狂喜乱舞と祝福の嵐に包まれたのだった。
◇
その日の夜。
熱狂に包まれる城の喧騒から少し離れた、静かな天蓋付きのベッドの上。
ヴィオラはふかふかのクッションに体を預け、あたたかいハーブティーを口にしていた。
そのすぐ隣には――片時も離れようとしないアルベルトが座り、ヴィオラのお腹をじっと愛おしそうに見つめている。
「……寒くはないか? 喉は乾いていないか? 体調に変化はないか?」
「ふふ、大丈夫ですわ、アルベルト様。ハンス様や侍女の皆様が、過剰なほどにお世話してくださいますもの」
ヴィオラがくすりと笑うと、アルベルトは彼女の手をギュッと握りしめた。
「当然だ。お前と我が子は、ハルシュタット……いや、私の全存在を懸けて守るべき至高の宝なのだからな」
「まあ……『至高の宝』ですなんて♪」
ヴィオラにあざとく首をかしげられ、アルベルトは少し照れたように視線を泳がせたが、すぐに真剣な瞳でヴィオラを見つめ直した。
「……なぁ、ヴィオラ」
「はい?」
「思い出していたのだ。お前が初めてこの城にやってきた……あの日のことを」
アルベルトの低い声が、静かな部屋に優しく響く。
「かつて王都の貴族どもは、お前を『不吉な生贄』として私のもとへ送ってきた。ハルシュタットの歴代の妻や候補者たちは、この過酷な地に耐えかねて去るか、志半ばで潰えていった……」
「ええ……」
「王都の謀略と噂に塗れた、『6人目の挑戦者』……。それが、お前だった」
ヴィオラはサファイアブルーの瞳を少し細めた。
前世、歌舞伎町で孤独に戦い、誰にも頼れず死んでいった自分。
転生し、18歳という若さで実家から「冷酷な鬼神への生贄(6人目の妻)」として追いやられたあの日。
誰もが「哀れな生贄」「すぐに追い出されるお飾り」と嘲笑っていた。
しかし――。
前世で培ったプロの知恵と度胸。
そして何より、目の前の不器用で情に厚い男との出会い。
ヴィオラは知略で領地を救い、民の心を掴み、鬼神と呼ばれた男の凍りついた心を完全に溶かしてみせたのだ。
陰謀も、貧困も、孤独も――すべてを跳ね返し、勝ち取った最高の居場所。
「……ええ。私、『6人目』でしたわね」
ヴィオラは最高の笑みを浮かべ、アルベルトの胸にそっと身を寄せた。
「でも……私、勝ちましたわ♪」
「ああ……お前の完全勝利だ、ヴィオラ」
アルベルトは愛おしそうに彼女の頬を撫で、深く、温かいキスを落とした。
「お前は生贄などではない。ハルシュタットを照らす太陽であり……私に生きる意味と家族をくれた、最高の妻だ」
「ふふ……アルベルト様」
ヴィオラはアルベルトの手を取り、自分のまだ小さな命が宿るお腹の上に重ねた。
「これからは、この子と一緒に……もっともっと、世界一幸せな家族になっていきましょうね♪」
「ああ。誓おう……お前と我が子を、生涯を懸けて愛し抜くと」
窓の外では、二人の未来と新しい命を祝福する松明の明かりが、夜空をどこまでも明るく照らしていた。
かつて「生贄」と呼ばれた18歳の少女は、今や誰もが愛し敬う「至高の辺境伯夫人」となり、愛する夫と共に最高のハッピーエンド……そして、輝かしい未来へと歩み出していくのだった。
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