第45話:甘すぎる夜と、冷血男の素顔
ドサリとベッドに押し倒されたヴィオラの上で、アルベルトの荒い吐息が首筋を撫でる。
かつて「北の鬼神」「血も涙もない冷血漢」と全土に恐れられていた男。
だが、今の彼の青い瞳には、冷酷さの欠片も残っていなかった。
あるのは、溢れんばかりの情熱と、今にも零れ落ちそうなほど一途で甘い――狂おしいまでの愛おしさだった。
「ヴィオラ……ヴィオラ……ッ」
アルベルトはまるで宝物に触れるかのように繊細に、しかし力強くヴィオラを抱きしめた。
その腕の強さに、ヴィオラは背中にまわした手にギュッと力を込める。
「あ、アルベルト様……? そんなに強く抱きしめられたら、息が……っ」
「離さん……! 離せるわけがないだろう……ッ!」
アルベルトはヴィオラの首筋に顔をうずめ、擦りつけるように深く息を吐いた。
その体温は驚くほど高く、激しく打つ鼓動が服越しに直接伝わってくる。
(旦那様……? なんだか、様子が……)
前世、歌舞伎町の頂点で様々な男を見てきたヴィオラだが、今のアルベルトから発せられる熱量は、これまでに経験したどんな男のそれとも違っていた。
それは計算も駆け引きもない、生身の感情そのもの。
「ヴィオラ……私は恐ろしかったのだ」
「え……?」
アルベルトがゆっくりと顔を上げた。
その青い瞳は湿り気を帯び、眉を極限まで寄せて、まるで捨てられた子犬のように縋りつく表情をしていた。
「北の鬼神」の二名が泣いて逃げ出すような、あまりにも情けなく、あまりにも愛おしい「素顔」だった。
「お前がいつか……私に愛想を尽かして消えてしまうのではないかと、毎日死ぬほど恐ろしかった……! 私は不器用で、気の利いた言葉一つ言えず……お前に『金と領地だけやる』などと、愚かなことばかり言っていた……っ!」
「ア、アルベルト様、落ち着いてくださいませ……ッ」
「落ち着いていられるかッ! 金などいらん! 領地も名誉も、お前がいないなら全てゴミくず同然だ!! 私が欲しいのは……お前なんだ、ヴィオラ!! お前の愛が欲しいんだ……ッ!!」
「っ……!!」
大声で叫ぶように告白するアルベルト。
その目には、本気で涙がうっすらと浮かんでいた。
(嘘でしょ……!? あの冷血無情の鬼神様が、泣きつく勢いで愛を乞うていらっしゃるなんて……!)
ヴィオラは胸をドカンと打ち抜かれたような衝撃を受けた。
前世で百万の言葉を飾る男たちの甘言を聞いてきたが、こんなにもストレートで、プライドを全て投げ捨てた告白をされたことなど一度もない。
アルベルトはヴィオラの手を両手で包み込み、自分の胸に強く押し当てた。
「私を見てくれ……! お前以外の女など、私の人生には一人もいなかったし、これからも絶対にあり得ない! 私の心も、身体も、ハルシュタットのすべてもお前のものだ……! だから……だから頼む……!」
「アルベルト様……」
「私の子を産んでくれ……ッ!! お前と私の、愛しい子を産んでほしいんだ……!! お前と一緒に、家族になりたい……っ!!」
なりふり構わず、恥外分もなく想いをぶつけてくるアルベルト。
その瞬間、ヴィオラの胸の中にあった「元歌舞伎町No.1としての余裕」や「あざとい計算」は、完璧に吹き飛んだ。
(ああ……ダメですわ……。この人には、どんなテクニックも敵いません……)
心が甘い蜂蜜に漬け込まれたように、トロトロに溶けていく。
ヴィオラは真っ赤になった顔で、愛おしさに胸を詰まらせながら、アルベルトの頬を優しく両手で包み込んだ。
「……ふふ、本当に……ずるいお方ですわね、アルベルト様」
「ヴィオラ……?」
「金などいらん、ですなんて……。私をこれほど格好良く口説いてくださる方は、世界中探しても貴方様しかいらっしゃいませんわ」
ヴィオラはサファイアブルーの瞳を濡らし、溢れんばかりの笑顔を咲かせた。
「逃げたりいたしません。どこにも行きませんわ。……私だって、ずっと貴方様のお側で、貴方様の子を産んで……幸せになりたかったのですから!」
「っ……ヴィオラ……!!」
アルベルトの顔が歓喜に染まる。
彼はもう耐えきれないとばかりに、ヴィオラの唇を激しく塞いだ。
「んん……っ!?」
これまでの遠慮や躊躇いなど微塵もない。
深く、激しく、お互いの存在を確かめ合うような濃密なキス。
吐息が混じり合い、舌が絡み合い、甘いシロップのような熱情が二人の身体を駆け巡る。
「あ……ん……っ、アル、ベルト……様……っ」
「愛している、ヴィオラ……。愛している、私の可愛い妻……ッ」
アルベルトの手が、ヴィオラの纏うシルクの衣装をゆっくりと解いていく。
肌と肌が直接触れ合うたびに、火花が散るような熱が全身を駆け抜けた。
「あっ……そこ……っ」
「綺麗な肌だ……お前のすべてが愛おしい……」
アルベルトの唇が、ヴィオラの額、頬、首筋、そして豊かな胸元へと滑り降りていく。
その一つひとつの熱い経験に、ヴィオラは甘い声を漏らし、彼の背中に爪を立てた。
「あ……アルベルト様、私を……私を壊すくらい……抱きしめて……っ」
「ああ……壊れるほど愛してやる。今夜はお前を離さない……!」
キャンドルの揺らめく光の下、二人の影がひとつになり、甘く激しい愛の夜が更けていく。
かつて誰も踏み入ることができなかった「北の鬼神」の冷たい氷壁は、ヴィオラの愛によって完全に溶かされ、情熱の炎となって二人を包み込んでいた。
◇
翌朝。
眩しいほどの朝日が、豪華な寝室のベッドを照らしていた。
「……ん……っ」
ヴィオラがゆっくりと目を覚ますと、体に重みを感じた。
視線を落とすと、アルベルトがヴィオラの腰にしっかりと腕を回し、まるで抱き枕のように自分を抱きしめたまま眠っていた。
(あ……私、本当に……本当の夫婦に……)
全身に残る心地よい疲労感と、胸を満たす圧倒的な幸福感。
ヴィオラが幸せ噛み締めていると、上から低い声が降ってきた。
「……起きたのか、ヴィオラ」
「あ……アルベルト様。おはようございます」
見上げると、すでに目を覚ましていたアルベルトが、信じられないほど甘い眼差しで自分を見つめていた。
昨夜までの「情けなく泣きつく姿」も「激しい野獣」もどこへやら、今の彼はどこまでも穏やかで、満ち足りた顔をしている。
「……体の調子はどうだ? 痛むところはないか? 辛くはないか?」
「ふふ、大丈夫ですわ。少しだるいですけれど……とても幸せです」
「そうか……」
アルベルトはホッとしたように息を吐くと、ヴィオラの額に、そして唇に優しくキスを落とした。
「……夢ではないのだな。お前が、本当に私のものになってくれたのだな」
「夢ではありませんわよ。……それとも、もう一回確かめて差し上げましょうか?」
ヴィオラがあざとく上目遣いで囁くと、アルベルトは一瞬で顔を真っ赤にした。
「っ……! ば、ばかを言うな! 私の理性をこれ以上試すなと言っただろう……っ!」
「あら、昨夜『理性のタガが外れた』とおっしゃっていたのはどなたでしたかしら~?」
「うぐっ……! それは……お前があまりにも可愛らしすぎるのが悪い……!」
恥ずかしそうに顔を背けるアルベルト。
しかし、その手は決してヴィオラを離そうとせず、さらに強く抱き寄せてくる。
(ふふ、本当に愛おしい人……♪)
ヴィオラは彼の胸に顔を埋め、クスクスと笑った。
前世、歌舞伎町で欲望と嘘にまみれた世界を生きてきたヴィオラ。
悪役令嬢として生贄のように追いやられたこの最果ての地で、彼女が得たものは――世界で一番真っ直ぐで、世界で一番甘い、本物の愛だった。
「アルベルト様。私、ハルシュタットに来て……貴方様の妻になれて、本当に良かったですわ」
「……私もだ、ヴィオラ」
アルベルトはヴィオラの髪を愛おしそうに撫でながら、力強く呟いた。
「お前が私の世界を変えてくれた。これからは……私が命を懸けて、お前と、これから生まれてくる私たちの子を守り抜いてみせる」
「ええ。……楽しみにしておりますわね、旦那様♪」
朝日の光の中で、二人は再び深く、甘いキスを交わした。
冷血と呼ばれた男の素顔を知り、本当の愛で結ばれた二人。
「生贄の悪役令嬢」と「北の鬼神」の物語は、ここから最高に幸せで、最高に賑やかな「最強夫妻の政略(愛憎)結婚生活」へと続いていくのだった。
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