第43話:ヴィオラが仕掛ける「最終攻略オペレーション」
「――ふふ、準備は完璧ですわ♪」
深夜のハルシュタット城、辺境伯夫妻の私室。
ドレッサーの鏡の前で、ヴィオラは満足そうに口元を緩ませていた。
昨夜、過去の格好つけた発言に縛られて悶絶していたアルベルトに助け舟を出し、お互いの気持ちを確かめ合った二人。
だが、生真面目すぎるアルベルトは「紳士として順序を踏まねば」「ヴィオラの準備ができるまで」と、土壇場で理性を持ち直し、未だ一線を越える最後の最後で足踏みをしていたのだ。
そんな愛しい夫の甘い葛藤を見抜いたヴィオラは、腕をまくった。
(旦那様ったら、本当にお優しくて不器用なのですから。……いいでしょう、ならば私から『最後の仕上げ』をプレゼントして差し上げますわ!)
前世は歌舞伎町の頂点を極めた伝説のNo.1ホステス。
男の欲望を心地よく刺激し、理性など跡形もなく溶かしてしまう演出など、彼女にとってはお手の物であった。
ヴィオラがこの夜のために仕込んでおいたのは、以下の「三種の神器」である。
【オペレーション1:完璧な空間演出】
部屋の明かりは絞られ、揺らめく数本のキャンドルのみ。
空気中には、前世の知識を活かして調香させた、神経を心地よく弛緩させ官能的な気分を高める「月見草とラベンダーのオイル」の香りがほのかに漂っている。
サイドテーブルには、最高級の熟成ワインとグラス。
【オペレーション2:前世の勝負下着(風衣装)】
そして何より、ヴィオラ自身が身に纏っている衣装。
ハルシュタット領の腕利き裁縫師に秘密裏に作らせた、シルクとシースルーレースを贅沢に使った「ナイトベビードール風ドレス」だ。
肩ひもは華奢で、背中と胸元が大胆に開いており、サファイアブルーの瞳と透き通るような白い肌をこれ以上ないほど妖艶に引き立てている。
【オペレーション3:甘い誘い文句】
「さあ……かかってらっしゃいませ、旦那様♪」
ヴィオラはベッドの端に腰掛け、軽く脚を組み替えると、パチリと扇子を開いた。
◇
コンコンッ。
部屋の扉がノックされる。
「……ヴィオラ、入るぞ。書類の確認が終わったので――」
入ってきたアルベルトは、言葉の途中で完全に固まった。
ガタンッ!
手手に抱えていた羊皮紙の書類が、そのまま床へと崩れ落ちる。
「……ッ!?」
アルベルトの青い瞳が、極限まで大きく見開かれた。
部屋を満たす甘く高貴な香り。揺らめくキャンドルの光。
そして何より――ベッドの上で、薄滑らかなシルクと透けるレースを纏い、上目遣いで自分を見つめている愛しい妻の姿。
「おかえりなさいませ、アルベルト様♪ お仕事、お疲れ様でしたわ」
ヴィオラは鈴を転がすような甘い声で囁くと、あざとく首をかしげた。
その仕草ひとつで、細い肩からシルクの生地がはらりと滑り落ち、豊満な胸元と華奢な鎖骨があらわになる。
「な……っ、な……ッ!?」
鬼神と呼ばれ、数多の戦場で冷静沈着を貫いてきた男が、顔をリンゴよりも赤く染めて大パニックに陥っていた。
「ヴ、ヴィオラ……ッ!? その……その格好は一体……ッ!?」
「あら? お気に召しませんでしたかしら?」
ヴィオラは少し寂しそうな表情を作ってみせると、潤んだ瞳でアルベルトを見上げた。
「旦那様に喜んでいただきたくて……特別にお仕立てさせましたの。……変、でしょうか?」
「変なわけがあるかぁぁぁッ!!! むしろ凄まじすぎるだろッ!!!」
アルベルトは絶叫しながら両手で顔を覆った。
視界に焼き付いたヴィオラの妖艶すぎる姿。キャンドルの光に照らされる白い肌と、透けるレース越しに見えるしなやかなボディライン。
男としての理性が、音を立ててメリメリと軋み始める。
「落ち着け私……! 鎮まれ! 私は紳士だ! 彼女を大切に扱うと心に決めたのだ……! こんな不意打ちで野獣のようになっては……ッ!」
必死に壁に向かってブツブツと呪文のように唱え、理性を繋ぎ止めようとするアルベルト。
そんな彼の愛おしすぎる葛藤を見て、ヴィオラはクスクスと笑い声を漏らした。
(ふふ、本当に可愛い人……♪ でも、今夜はもう逃がして差し上げませんわ)
ヴィオラはベッドから静かに立ち上がると、無音の足取りでアルベルトの後ろへと忍び寄った。
そして――そっと、彼の逞しい背中に自分の身体を押し当て、細い両腕をその腰へ回した。
「ッ……!?」
アルベルトの身体がビクンと跳ね上がる。
「あ、アルベルト様……?」
「ヴィ、ヴィオラ……! 離れなさい、今のお前は危険すぎる……! 私の理性が……もう限界なのだ……ッ!」
「ふふ、限界で結構ですわ♪」
ヴィオラは背中に顔を押し当てたまま、背中越しにアルベルトの鼓動を感じ取っていた。激しく、暴風雨のように打ち打つ心臓の音。
ヴィオラはアルベルトの前に回り込むと、彼の首元に手を回し、サファイアブルーの瞳でまっすぐに彼の青い瞳を見つめた。
もう、そこには営業用の作り笑いも、あざとい計算もなかった。
あるのは、一人の女性として、愛する夫を求める純粋な情熱だけだ。
「アルベルト様。私はもう、貴方様の準備ができるのを待つ気はありませんわ」
「え……?」
「私が欲しいのは、私に気を使って遠慮する紳士な旦那様ではありません。……私を激しく愛し、私のすべてを奪ってくださる……私だけの男の人ですの」
ヴィオラは背伸びをすると、アルベルトの唇に、吐息が触れるほどの距離で囁いた。
「そろそろ……最後の仕上げ(子作り)に入りましょうか、旦那様♪」
――ドカンッッッ!!!
アルベルトの頭の中で、繋ぎ止めていた理性の鎖が完全に粉砕された。
「……ヴィオラ……ッ!!」
「ん……っ!?」
次の瞬間、アルベルトの太い腕がヴィオラの腰を力強く抱き上げ、その唇を塞いだ。
昨夜までの遠慮や躊躇いなど、何一つない。
激しく、熱く、ヴィオラの息を奪い尽くすような、本気の情熱が注ぎ込まれる。
「んむ……っ、ん……あ、アルベルト……様……っ」
あまりの熱量に、ヴィオラの頭の中が真っ白になる。
前世のテクニックも、計算も、すべてが吹き飛んでいく。
ただ、アルベルトの腕の強さ、体温の高さ、そして自分へ向けられる狂おしいほどの愛おしさに、全身の力が抜けていく。
アルベルトはヴィオラを姫抱っこで軽々と持ち上げると、キャンドルの光が揺れるベッドへとゆっくりと押し倒した。
「……もう、絶対に後悔させないぞ」
上から見下ろすアルベルトの青い瞳は、野獣のような鋭さと、溢れんばかりの愛に満ちていた。
「お前が私をその気にさせたのだ。……今夜は朝まで、私から逃げられると思うな」
「ふふ……逃げたり……いたしませんわ……♪」
ヴィオラは真っ赤になった顔で、愛おしそうにアルベルトの首に抱きついた。
「……愛しておりますわ、私のアルベルト様」
「ああ……私もだ、ヴィオラ。世界で一番……愛している」
重ね合わされる唇。解かれていくシルクの衣装。
二人の吐息と熱量が重なり合い、部屋のキャンドルが静かに二人の影を揺らしていた。
北の最果ての地に、長かった「白い結婚」の終わりと、本当の夫婦としての甘く熱い夜が、どこまでも深く更けていくのだった。
◇
翌朝。
差し込む爽やかな朝日に、ヴィオラはゆっくりと目を覚ました。
「……ん……」
全身に心地よい疲労感と、満たされた幸福感が残っている。
ふと横を見ると、自分を強く抱きしめたまま、安らかな顔で眠っているアルベルトの姿があった。
彼の銀髪に朝日が反射し、神秘的なほど美しい。
(……ふふ、大成功……ですわね♪)
ヴィオラがそっと彼の頬を撫でると、アルベルトの青い瞳がうっすらと開いた。
「……ん……ヴィオラ……?」
「おはようございます、アルベルト様♪」
ヴィオラが最高の笑顔で挨拶すると、アルベルトは一瞬で昨夜の記憶を思い出したらしく、顔を真っ赤にした。
「あ……あつ、ヴィオラ! 昨夜は……その、私が取り乱して……身体は痛まないか!? 辛くはないか!?」
慌てて自分の身体を気遣うアルベルトに、ヴィオラはくすりと笑い、彼の胸に顔を埋めた。
「大丈夫ですわ。……とっても、幸せでしたもの」
「ヴィオラ……」
アルベルトの表情が柔らかく緩み、彼女の額に愛おしそうにキスを落とした。
「……ありがとう、ヴィオラ。私の……最高の妻よ」
「ふふ、こちらこそ♪ さあ、旦那様……これからは『本当の夫婦』として、ハルシュタット領をもっともっと発展させていきましょうね!」
「ああ。お前となら、どんな未来でも創っていける」
朝日の中で微笑み合う二人。
かつて「生贄」と呼ばれた少女と、「鬼神」と呼ばれた辺境伯は、互いの過去とトラウマを乗り越え、誰よりも強く結ばれた「最強の夫婦」となったのだった。
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