第41話:「妹の子で十分」と言っていた男の焦り
隣国との問題も解決し、すっかり平和を取り戻したハルシュタット城。
今日の中庭は、いつも以上に賑やかな笑い声に包まれていた。
「お兄様! ヴィオラ義姉様! お邪魔しますわ!」
そう言って城を訪れたのは、アルベルトの妹であるエリスだった。
辺境伯家の過酷な未来を心配していた彼女だが、ヴィオラのおかげで領地が救われ、兄が劇的に変わったと聞いて、夫と幼い息子を連れて飛んで帰ってきたのだ。
「まあ……! なんて可愛らしいのかしら……♪」
庭園の青々とした芝生の上。
ヴィオラはドレスの裾も気にせず膝をつき、よちよち歩きの一歳半になる甥・ルーカスと同じ目線になって目尻を下げていた。
「おいで、ルーカスちゃん。高い高ーい、ですわ♪」
ヴィオラが小さな身体を抱き上げると、ルーカスは「きゃははっ!」と愛らしく笑い、ヴィオラの綺麗なサファイアブルーの髪を小さな手でむぎゅっと掴んだ。
「まあまあ、私の髪が気に入りましたの? ふふ、お利口さんですわね♪」
前世の歌舞伎町では、温かい「家族」の愛情など知らずに孤独に生きてきたヴィオラ。
しかし今、幼子を慈しむ彼女の表情は、どこまでも温かく、母性に満ち溢れていた。
その微笑ましい光景を、テラスのテーブル席からじっと見つめている男がいた。
アルベルトである。
「……お兄様? 顔が怖いですわよ。義姉様とルーカスが仲良くしていて羨ましいのですか?」
隣で紅茶を飲むエリスが、くすくすとおかしそうに笑う。
「……別に、羨ましくなどない」
アルベルトは腕を組み、不機嫌そうに低く呟いた。
かつて、アルベルトは冷淡にこう公言していたのだ。
『ハルシュタット家は私の代で終わらせても構わん。いつ死ぬかも分からぬ身だ。跡継ぎなど、妹のエリスが産む子供に譲ればそれで十分だ』と。
自らの血筋を残すことに対して、冷めた諦めしか持っていなかった過去。
……だが。
「ねえ、アルベルト様! ご覧になってくださいませ! ルーカスちゃん、私のお指をぎゅっと握ってくれましたのよ♪」
ヴィオラがルーカスを抱っこしたまま、パッと花が咲いたような弾ける笑顔でアルベルトを振り返った。
ドクンッ!!
アルベルトの胸の奥で、心臓が跳ね上がった。
(もし……)
アルベルトの脳裏に、雷が落ちたような衝撃とともに、一つの光景(妄想)が駆け巡った。
(もし……あそこにいるのが、エリスの子ではなく……『私とヴィオラの間に生まれた子供』だったら……?)
ヴィオラに似た綺麗なサファイアブルーの瞳。
自分譲りの銀髪をした小さな赤ん坊。
そして、その我が子を世界で一番愛おしそうに抱きしめ、柔らかく微笑むヴィオラ――。
(……欲しいっ……!!)
身体の奥底から、これまで感じたこともない猛烈で強烈な「欲求」が湧き上がってきた。
冷酷な鬼神と呼ばれ、跡継ぎなど不要だと切って捨てていた男の胸を、激しい情熱と「強烈な焦燥感」が支配する。
(欲しい……! ヴィオラの産んだ我が子が欲しい! 私と彼女の愛の証が……喉から手が出るほど欲しいっ……!!)
「お、お兄様……? どうなさったのですか、そんな凄まじいお顔をして……?」
エリスが引きつった顔で後ずさる。
アルベルトの全身から、戦場以上の殺気(ならぬ欲望)が溢れ出していたからだ。
「……エリス」
「は、はい!?」
「私は……以前、『跡継ぎは妹の子で十分だ』と言ったな?」
「ええ、まあ……確かにおっしゃっていましたが……」
アルベルトはガタッと勢いよく音を立てて立ち上がると、自分の額を押さえて叫んだ。
「前言撤回だ!! 全撤回だ!! 今すぐ撤回する!!」
「ひやぁっ!? な、なに急に大声を出しているのですか!?」
「私とヴィオラの子供だ……! 私たちの子供でハルシュタットを繋ぐ!! 誰にも譲らん!!」
「誰も奪おうなんてしてませんわよ!? どうしちゃったのよお兄様ぁぁっ!?」
妹の悲鳴も耳に入らないほど、アルベルトの心は「ヴィオラとの子どもが欲しい」という焦りで一杯になっていた。
◇
夕方になり、エリス一家が温かい見送りを受けて帰路についた。
静かになった城。
ヴィオラは自室のソファで、楽しかった一日を思い返しながら寛いでいた。
「ふう……ルーカスちゃん、本当に可愛らしかったですわね。やっぱり子供というのは、見ているだけで心が洗われますわ♪」
そこへ、ドカドカと重い足音とともに扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、どこか息を荒らげ、青い瞳に怪しい熱を宿したアルベルトだった。
「ア、アルベルト様……? どうなさったのですか、そんな焦ったお顔をして……」
「ヴィオラ」
アルベルトは返事も待たず、ヴィオラのもとへ大股で歩み寄ると、ソファに座る彼女の両脇にドカンと手を突き、逃げ場を完全に塞いだ(ソファドン)。
「ひゃあ……っ!?」
目の前にあるのは、野獣のような鋭さと、狂おしいほどの甘さを秘めたアルベルトの顔。
「あ、あの……アルベルト様? エリス様たちがお帰りになって、急にどうされたのですか……?」
「……焦っているのだ」
「え……? 焦って……?」
アルベルトはヴィオラの細い手を取り、自分の胸元――激しく脈打つ心臓の位置へと強引に押し当てた。
「ルーカスを抱くお前の姿を見た。……あまりにも美しく、温かく……私は、狂いそうになった」
「っ……!?」
「あそこにいるのが、私とお前の子供だったらどれほど良いか……! そう思ったら、全身の血が煮え立つように欲しくてたまらなくなったのだ……っ!」
ヴィオラはサファイアブルーの瞳を丸くした。
かつて「ハルシュタットの跡継ぎなど興味ない」と冷淡だった旦那様が、目の前で子どものように、しかし一人の本気の男として、自分との子供を欲しがって激しく焦っているのだ。
「私との子供を産んでくれ、ヴィオラ」
アルベルトはヴィオラの額に自分の額を押し付け、切切とした低い声で乞うように言った。
「かつての私は愚かだった。『妹の子で十分だ』などと抜かしていた自分を今すぐぶん殴ってやりたい! 今の私は……お前との子供が欲しい。お前に似た子を、お前と共に愛したいのだ……っ!」
ストレートすぎる、本気の求愛と欲求の吐露。
前世でいくら百戦錬磨の接客術を身につけていようと、こんな純度100%の本気の情熱をぶつけられては、耐えられるはずがない。
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
ヴィオラの顔が、頭のてっぺんから首筋まで一瞬で真っ赤に染まった。
「あ、あ、アルベルト様……ッ!! な、なんてことをいきなり大声で……っ!?」
「大真面目だ!! 冗談など一微塵も含まれていない!!」
「だ、だからと言って……っ! あんなに可愛らしいルーカスちゃんを見た直後に、そんな……破廉恥な焦り方をなさるなんて……ッ!」
「破廉恥で結構! お前を愛しているのだから当たり前だ!!」
開き直って堂々と宣言するアルベルトに、ヴィオラはもうタジタジだった。
あざとく微笑む余裕などどこにもない。両手で真っ赤な顔を覆い、ジタバタと暴れる。
「もう……っ! 旦那様のバカ……! 意地悪……っ!!」
「バカでも意地悪でも構わん。……今夜はもう、お前を寝かせないぞ」
アルベルトはヴィオラを逃がさないように強く抱きしめ、その甘い唇を深く、深く奪ったのだった。
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