第35話:隣国の経済を完封する「通貨暴落作戦」
ハルシュタット領の経済拠点である中央為替取引所。
巨大な黒板に国境付近の物価や通貨レートがリアルタイムで書き書き換えられていく中、アルベルトとヴィオラ、そしてセバスチャンが特等席のバルコニーから眼下を見下ろしていた。
「――奥様、準備がすべて整いました」
セバスチャンが冷ややかな手つきで眼鏡の位置を直し、羊皮紙の書類を差し出す。
「ハルシュタット領内の全倉庫から放たれる穀物ならびに塩の第一陣、ならびに国際商人ギルドを通じた情報工作……いつでも決行可能でございます」
「結構ですわ、セバスチャンさん♪」
ヴィオラは紅茶のカップをソーサーに置くと、優雅に立ち上がった。
サファイアブルーの瞳には、かつて歌舞伎町で夜の街のマネーゲームを制してきたプロの冷徹な知性が宿っている。
隣に立つアルベルトが、ヴィオラの小さな手を包み込むようにギュッと握りしめた。
「ヴィオラ……本当に私の財産を『全額』動かして構わないのだな? 万が一ということもある」
「あら、旦那様? 私を誰だと思ってらっしゃいますの?」
ヴィオラはあざとく首をかしげ、小悪魔のような微笑みを向けた。
「バブル崩壊やリーマンショック……あらゆる景気後退を乗り越えてきた前世の知恵と、世界一頼もしい旦那様の莫大な資金……負ける要素がどこにありますの? ……さあ、アルベルト様。合図をお願いいたしますわ♪」
アルベルトは一瞬で「冷酷な辺境伯」の顔になると、重々しく言い放った。
「――全資金を投入しろ。隣国の泥棒どもに、ハルシュタットの怒りと思い上がりを教えてやれ!」
「「ははっ!!」」
◇
作戦は、二つの波によって同時に実行された。
【第一の波:市場大暴落(売り崩し)】
ガルシア新政権の闇商人たちは、ガセネタに踊らされて「ハルシュタットの穀物は品薄になる」と信じ込み、高値で莫大な量の穀物を買い占めていた。資金の限界まで買い漁り、あとは高値で叩き売って大儲けするはずだったのだ。
だが、その瞬間にハルシュタット家の巨大な扉が開かれた。
「ハルシュタット辺境伯家より緊急発表!! 領内の備蓄穀物、ならびにハルシュタット全域の農家から買い上げた新米を一斉に一般解放する! 価格は従来の『三分の一』だ!!」
「「な、なんだとぉぉぉぉッ!?!?」」
市場に、ハルシュタット家の莫大な資金力によって買い集められた無制限の穀物が、投げ売り価格で怒涛のごとく溢れかえった。
「大変だ! 穀物の価格が暴落しているぞ!」
「昨日の十分の一の値段でパンが買える!」
市場の物価は一瞬で大暴落。
高値で買い占めていたガルシアの闇商人たちの在庫は、一晩で「ただのゴミ」と化した。
「ひ、ひぃぃぃっ!? 嘘だろ!? 全財産を叩いて買い占めたんだぞ!? 暴落したら大赤字……いや、破産だぁぁぁっ!!」
【第二の波:通貨価値のハイパー暴落】
追い打ちをかけるように、ヴィオラが仕掛けた情報戦(口コミ攻撃)が火を噴いた。
ヴィオラは王都の商業ギルドや国際商人、さらにはガルシア国内の避難民を通じて、ある「真実の噂」を電光石火の速さで拡散させたのだ。
『ガルシア新政権が発行した新通貨は、金の含有率がゼロの「ただのクズ鉄」である』
『ハルシュタット家は、ガルシア新通貨での買い物を一切拒否する』
『ハルシュタットの信用手形(紙幣)しか、この世界では価値を持たない!』
噂は一瞬でガルシア全土へと駆け巡り、パニック(銀行取り付け騒ぎ)を引き起こした。
「おい! ガルシアの新コインじゃ、パン一箱すら買えないぞ!」
「このコインは紙くず以下だ! 早くハルシュタットの手形に換金しろ!」
「新政権の金庫は空っぽなんだ! あいつらは一文無しだぞ!」
信用を失ったガルシア新通貨の価値は、垂直落下のごとく大暴落。
昨日まで金貨1枚で買えていたものが、新通貨では貨幣袋100袋を出しても買えないという、凄まじいハイパーインフレが発生したのだ。
「ぐ、ぐあああああっ!! 我が新政権の金が……ただのゴミ屑になったぁぁぁっ!!」
◇
数日後。ハルシュタット城の謁見の間。
かつてハルシュタット家に対し「金貨十万枚を出せ、さもなければ難民をなだれ込ませて焦土にする」と大見栄を切っていたガルシア新政権の特使たちが、ガタガタと膝を震わせながら床に平伏していた。
「ひ、ヒィィィ……っ! お、お助けください、ハルシュタット辺境伯……ッ!」
特使の顔は土色で、衣服はボロボロだった。
「我が軍の兵士たちへの給料(新通貨)が紙屑となり、兵士たちが全員暴動を起こして脱走いたしました……! 幹部も全員逃亡し、新政権は……新政権は破綻いたしました……っ!」
通貨がゴミと化し、食料買い占めに失敗した新政権は、剣を一筋も交えることなく「経済的破綻」によって自滅したのだ。
玉座に深々と腰掛けたアルベルトが、冷徹な青い瞳で彼らを見下ろす。
「我がハルシュタット家を脅迫し、領民の食料を奪おうとした報いだ。……剣を使うまでもなく、お前たちは自分たちの強欲さで首をくくったのだよ」
「う、うぐぅぅぅっ……!!」
「だが……」
そこで、アルベルトの隣に座るヴィオラが、パチリと扇子を開いて優雅に微笑んだ。
「ガルシアの国民や、国境に溢れる難民の方々を見捨てるのは、ハルシュタット家の名誉に関わりますわ♪」
「え……? ぶ、夫人……助けてくださるのですか……!?」
特使が縋り付くような目でヴィオラを見上げる。
ヴィオラはあざとく首をかしげ、極上のビジネススマイルを向けた。
「ええ、もちろんですわ♪ 我がハルシュタット家が、暴落して紙屑となったガルシアの『全債権』と『粗悪通貨』を買い取って差し上げます。……その代わりに」
ヴィオラは可憐な口元から、悪魔のようなディール(条件)を吐き出した。
「ガルシア全土の主要な『鉄鉱山』と『貿易港の優先権』、そして『今後五十年間の関税自主権』を、すべてハルシュタット家に割譲していただきますわ♪」
「「な、なにぃぃぃぃっ!?!?」」
一国を丸ごと買い叩き(M&A)、ハルシュタット家の完全な経済植民地(子会社)にするという、超絶怒涛の倍返し。
「いやなら結構ですわよ? 明日にはガルシア全土で完全な餓死者が溢れ、旧王家派に全員処刑されるだけですもの♪」
「か、買い取ります……ッ! すべてハルシュタット家の思い通りにしてくださいましぇぇぇぇんっ!!」
特使たちは涙と鼻水を撒き散らしながら、降伏文書にサインしたのだった。
◇
騒動が完全に収まり、夜の執務室。
満月の光が差し込む部屋で、アルベルトはヴィオラを膝の上に抱き上げ、彼女の華奢な体を強く、強く抱きしめていた。
「……参ったな。完全に私の負けだ」
アルベルトは深く息を吐き、ヴィオラの首筋に愛おしそうに顔を埋めた。
「一滴の血も流さず、隣国のクーデター軍を破滅させ、一国そのものを我が家の手中に収めてしまうとは……。私の『経済の女王』は、世界一恐ろしくて、世界一優秀だな」
「ふふっ、お褒めに預かり光栄ですわ、旦那様♪」
ヴィオラはアルベルトの銀髪を優しく撫で、その頬にチュッと可愛いキスを落とした。
「前世の歌舞伎町で学んだ一番の教訓はね……『本当に強い人は、腕力ではなく相手のサイフと胃袋を握る人』なんですの。……でも、私のサイフも胃袋も、そしてハートも……すべてアルベルト様に握られておりますけれど♪」
あざとく上目遣いで甘えるヴィオラに、アルベルトの理性がパチンと弾けた。
「……もう逃がさないぞ、ヴィオラ」
アルベルトは彼女の顎を指ですくい上げると、今までで一番濃厚で、情熱的なキスを重ねた。
「ん……っ……アルベルト、様……っ」
「一国を手に入れたことなど、どうでもいい。……私にとって最高の宝は、お前だけだ」
二人の熱い吐息が重なり合い、ハルシュタット領に訪れた大勝利の夜は、甘く熱く更けていくのだった。
お読みいただき、本当にありがとうございました!
もし「面白かった!」「もっと読みたい!」と思ってくださったら、
ぜひ【ブックマーク】と画面下部にある、
【★★★★★】(ポイント評価)で作品への応援をお願いいたします。
皆様の評価一つ一つが、作者の何よりの支えです。
現代恋愛シリーズも投稿しております。
まだ作品は少ないですが、かぶんすのプロフィールからご覧ください。




