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第31話:隣国の政変と、迫る経済不況の影

王都社交界を震撼させた大遠征から二週間。

ハルシュタット領の辺境伯館には、いつもの穏やかで甘い時間が流れている……はずだった。


「――ん……アルベルト様、ダメですわ。朝からそんなに甘えられては、お仕事が進みません」


「構わない。王都での件以来、お前と離れているとどうにも落ち着かないんだ。……それに、こうして私の腕の中に納まっているお前が、一番愛おしい」


執務室の豪華なソファで、アルベルトはヴィオラの細い腰をしっかりと抱きかかえ、その首筋に顔をうずめていた。王都から帰還して以降、彼の独占欲と情熱は隠すどころか加速する一方だった。


ヴィオラは呆れつつも、頬を朱に染めてくすくすと笑う。


(もう……前世の歌舞伎町でもこんなに一途で激しい『太客』なんていなかったわよ。冷酷な鬼神様が、私限定で甘々の大型犬になっちゃうんだから……)


ヴィオラがアルベルトの銀髪を優しく撫でようとした、その時――。


ノックもそこそこに、扉が急慌ただしく叩かれた。


バタン!!


「旦那様、奥様! 緊急事態でございます!」


珍しく息を乱したセバスチャンが飛び込んできた。いつもの冷徹な仮面は鳴りを潜め、その手に握られた暗号書簡を握りしめている。


アルベルトは瞬時に「冷酷な辺境伯」の顔に戻り、ヴィオラを庇うように抱き寄せたまま鋭い視線を向けた。


「どうした、セバスチャン。私とヴィオラの時間を邪魔するとは、相応の理由があるのだろうな?」


「はい。……お戯れを中断していただくに足る、未曾有の報せにございます。昨夜未明、隣国『ガルシア王国』にて軍部によるクーデターが発生。王都が占拠され、大規模な内戦状態に突入いたしました」


「――何だと!?」


アルベルトの表情が一変した。

ヴィオラもまた、ピンと背筋を伸ばし、一瞬で「プロの顔」へと切り替える。


「ガルシア王国といえば、我がハルシュタット領と国境を接する大国ではありませんか……!」


「左様にございます、奥様」


セバスチャンは眼鏡を押し上げ、手元の資料を素早く広げた。


「事態は極めて深刻です。内戦の発端となった政変により、ガルシア全土の流通網が完全にストップいたしました。我が領地へ向かう主要な商業ルートおよび鉱石・穀物の輸出国が封鎖された状態です。これにより、我が領内の物価、特に食料品と燃料の価格が早くも跳ね上がり始めております」


「……経済的な二次被害か」


アルベルトが低く唸る。


だが、問題は物価の高騰だけにとどまらなかった。


「それだけではございません。戦火を逃れた隣国の民――数千、下手をすれば数万規模の難民が、我がハルシュタット領の国境検問所に殺到しております。国境騎士団だけでは抑えきれず、混乱が広がっております」


「数万の難民……!?」


ヴィオラは扇子を握りしめた。


国境を封鎖すれば難民が暴徒化し、領内の治安が崩壊する。かといって無条件で受け入れれば、食料と医療資源が底をつき、ハルシュタット領の経済そのものがパンクしてしまう。


まさに進むも地獄、退くも地獄の窮地だった。


「さらに、タチの悪い報せがございます」


セバスチャンが苦々しい表情で、一枚の羊皮紙をアルベルトのデスクに置いた。


「クーデターを起こしたガルシア軍部の新政権特使より、我がハルシュタット家宛てに『要請状』が届きました」


「要請状だと?」


アルベルトが封を切り、書簡に目を通す。読み進めるにつれ、彼の周囲の空気が急速に凍りついていった。


「……ふざけた真似を」


「何と書いてありますの、旦那様?」


ヴィオラが覗き込むと、そこには威圧的な文面でこう記されていた。


『ガルシア新政権の樹立に伴い、ハルシュタット家に対し「治安維持協力金」として金貨十万枚の緊急融資を要求する。応じぬ場合、我が軍は国境の難民をあえて抑圧せず、貴領内へとなだれ込ませる。また、今後のあらゆる貿易ルートを永久に遮断する』


「要請ではなく、ただの『脅迫』ですわね」


ヴィオラは冷ややかな声で吐き捨てた。


「隣国のクーデター勢力は、軍資金が底をついているのですわ。だから、王都で膨大な富を得たと噂されるハルシュタット家の財産を狙って、難民と貿易遮断を盾に揺さぶりをかけてきているのね」


「我が領の財源を、奪い取る気か……!」


アルベルトの青い瞳に、凄まじい殺意が宿った。デスクの端が、彼の握力でみちみちと音を立てて軋む。


「国境騎士団を全軍動員する! 新政権の脅迫など突っぱね、国境に立ち塞がる敵軍を力で粉砕してやる! 我が妻と領民の財産を脅かす者に、容赦など不要だ!!」


武力で力押ししようとするアルベルト。

だが、その太い腕を、ヴィオラの小さく温かい手がそっと制した。


「お待ちください、アルベルト様」


「ヴィオラ……? なぜ止める? 奴らは我が家を脅しているのだぞ!」


「ええ、重々承知しておりますわ。ですが……武力で突っぱねるだけでは、遮断された貿易ルートは戻りませんし、国境に溢れる難民問題も解決いたしません。我が領地はジリ貧になってしまいます」


ヴィオラはふっと可憐に、そしてどこまでも不敵に微笑んだ。


「相手が不況と戦争の混乱に乗じて仕掛けてきたのなら……こちら側も『経済のプロ』として、最高にエグい倍返しをして差し上げましょう♪」


「倍返し……?」


アルベルトとセバスチャンが、思わず顔を見合わせる。


ヴィオラは前世の歌舞伎町で培った「バブル崩壊後の不況期を生き抜いた営業術」と「危機管理の鉄則」を頭の中でフル回転させていた。


不況や混乱の時期こそ、正しい手仕舞いと投資を行えば、最大の利潤と権力を握ることができる。


「セバスチャンさん。我がハルシュタット領の備蓄食料と、先日の王都第一号店で得た手元資金の総額を教えてくださる?」


「はい。食料の備蓄は全領民の半年分。資金は……王都での新事業の成功により、金貨五万枚が即座に動かせます」


「素晴らしいわ!」


ヴィオラはパンと手を叩いた。


「アルベルト様。新政権の脅迫には、指一本触れさせません。彼らが『金がない』からこそ揺さぶってきているということは、向こうの内部足腰はガタガタということですわ」


「……どういう意味だ?」


「難民を追い返すのではなく、優秀な技術者や労働者を『選別』して我が領地に迎え入れ、労働力として活用します。そして、ガルシア新政権に対立する『旧王家派』や『反乱商人ギルド』へ裏から資金を注入し、貿易ルートを我が家の支配下で再構築するのです」


ヴィオラの瞳が、プロのマーケターとしての怪しい光を放つ。


「敵の危機を、我がハルシュタット領の『絶対的な市場独占』のチャンスに変えて差し上げますわ♪」


アルベルトは驚愕の表情でヴィオラを見つめ、やがてハッと息を呑むと、爆発的な笑い声を上げた。


「はははっ! 見事だ、ヴィオラ! 相手の脅迫を跳ね返すどころか、隣国の危機そのものを買い取って我が家の糧にするというのか!」


「ええ。私を誰だと思ってらっしゃいますの? ……ハルシュタット辺境伯夫人にして、貴方の最高のビジネスパートナーですわ♪」


あざとく首をかしげるヴィオラに、アルベルトはたまらなく愛おしそうな目を向けると、彼女を強く抱きしめてその額に熱いキスを落とした。


「頼もしすぎる私の妻よ。……よし、お前の策を採用しよう。私の武力と軍資金、すべてお前に預ける!」


「お任せくださいませ、旦那様♪」


国家規模の不況と隣国の陰謀が迫る中、ヴィオラとアルベルトの「最強の夫婦」による、新たな逆転劇の幕が上がろうとしていた。

お読みいただき、本当にありがとうございました!


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現代恋愛シリーズも投稿しております。

まだ作品は少ないですが、かぶんすのプロフィールからご覧ください。

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