第29話:スカッと「ざまあ」の完成と社交界の女王
ゴドウィン子爵家の即座の破産手続きと、全財産の差押え。そしてジュリアン・ゴドウィンの投獄――。
その衝撃的なニュースは、一夜にして王都全域を駆け巡った。
ハルシュタット家の圧倒的な資金力と武力によって、王都の有力貴族が一瞬で歴史の闇へと葬り去られたのだ。社交界に与えた恐怖と動揺は計り知れない。
そして、その噂の中心にいたのは、他でもないヴィオラだった。
「……聞いたか? ゴドウィン家を一日で潰したのは、ハルシュタット辺境伯だけではないらしいぞ」
「裏で糸を引いていたのは、あの可憐な奥様だそうだ……!」
「『哀れな生贄』などとんでもない! あの冷酷無比な辺境伯を笑顔ひとつで操り、敵を笑顔のまま地獄へ突き落とす『社交界の支配者』……いや、『美しき氷の女王』だ……ッ!」
かつて嘲笑と同情の対象だった「18歳の生贄令嬢」という言葉は、跡形もなく消え去っていた。
◇
数日後。王都の一等地、かつてゴドウィン子爵家が誇っていた最高級サロン。
その看板は架け替えられ、新たなハルシュタット家の紋章が誇らしげに輝いていた。
ハルシュタット新事業の王都第一号店――最高級絹製品と特産美容品の試飲・試着サロン『サロン・ド・ハルシュタット』のプレオープンイベントである。
店内は、王都中の高位貴族の婦人や令嬢たちで超満員となっていた。
「まあ……! このハルシュタット絹の肌触り、まるで着ているのを忘れるほど滑らかですわ!」
「こちらの美容オイルも素晴らしいわ! お肌が吸い付くようにしっとりしますの!」
絶賛の声が響き渡る中、サロンの階段から、漆黒とサファイアブルーを基調とした洗練された装いのヴィオラがゆっくりと降りてきた。
その瞬間、ざわついていた店内が一瞬で静まり返った。
貴族の婦人たちが一斉に姿勢を正し、恐れと羨望の眼差しでヴィオラを見上げる。
(ふふっ、大盛況ね♪ 差し押さえた物件をそのままフラッグシップショップに仕立て直すなんて、前世の居抜き店舗のオープンを思い出すわ)
ヴィオラは優雅に扇子を広げ、極上の微笑みを浮かべた。
「皆様、本日は『サロン・ド・ハルシュタット』へお越しいただき、誠にありがとうございます。我がハルシュタット領が誇る最高の逸品たちを、どうぞご堪能くださいませ♪」
「ヴィオラ様……! 素晴らしいサロンですわ!」
「ぜひ我が家にも、こちらのシルクを定期的にお納めいただきたいですの!」
群がる婦人たち。かつてヴィオラを無視していた人々が、今や彼女の機嫌を伺おうと必死で媚びを売っている。
そんな人波の端で、小さくなって震えている人物がいた。
先日、ヴィオラに完膚なきまでに論破され、出資の約束にされそうになったクラリス令嬢である。
(あら、可愛いお客様が怯えていらっしゃるわ♪)
ヴィオラはすっとクラリスの方へ歩み寄った。
クラリスはヒッと小さな悲鳴を上げ、顔を蒼白にして後退る。
「く、ヴィオラ様……! こ、この前は……大変不快な思いをさせてしまい……っ!」
「まあ、クラリス様。何を仰いますの?」
ヴィオラは優しく首を傾げ、エンジェルスマイルを向けた。
「私はクラリス様に心から感謝しておりますのよ? だって、クラリス様が私に『最新のトレンド』を教えてくださったおかげで、このように素晴らしいサロンを開くきっかけが得られましたのですもの♪」
「ひぃっ……! ご、ごめんなさい……! 許してくださいまし……ッ!」
「お許しだなんて、そんな滅相もございませんわ。……あ、そう言えば」
ヴィオラは声を少し潜め、クラリスの耳元で囁いた。
「クロード伯爵家からの『新事業への大口出資』の件、誓約書の準備が整いましたの。本日、お父様とお話をしにお伺いしてもよろしくて?」
「〜〜〜〜〜ッッッ!!」
完全に詰み(チェックメイト)である。
逃げ場を失ったクラリスは、涙目になりながらコクコクと狂ったように首を振って頷くしかなかった。
「は、はい……ッ! 父も……父も喜んで全財産をお出しすると言っていますわぁぁっ!」
「ふふ、まあ! なんて素晴らしいパートナーシップでしょう。ありがとうございます、クラリス様♪」
完璧なスカッと「ざまあ」の完成である。
自分を侮辱し、ハルシュタット家を舐めてかかってきた敵対派閥と高慢な令嬢たちを、一切の手を汚さず、完璧な品格とビジネスで屈服させたのだ。
その圧倒的な光景を、サロンの二階テラスから腕を組んで見下ろしていた男がいた。
アルベルトである。
彼の手には、既にゴドウィン子爵家の完全な全財産没収と領地没収を記した、国王直筆の判決書が握られていた。
「……見事なものだな、セバスチャン」
「はい、旦那様。奥様の『あざと庇い』から始まった王都攻勢でございますが、いまや王都社交界の全貴族が奥様の手のひらの上で踊らされております」
隣に立つセバスチャンが、眼鏡を押し上げながら淡々と言った。
「かつて『哀れな生贄』と呼ばれた奥様は、いまや『辺境伯を裏で操る美しき女王』として恐れられております。……まあ、あながち間違いではございませんね。実際、旦那様は奥様にメロメロでございますから」
「余計なことを言うな!」
アルベルトは顔を赤くして一喝したが、その瞳は階下で輝くヴィオラから一瞬たりとも離れなかった。
周囲の男たちがヴィオラの美しさに息を呑み、婦人たちが彼女の機嫌を取ろうと群がっている。
その光景は誇らしくもあり、同時に激しい独占欲を掻き立てるものでもあった。
アルベルトは深く息を吐くと、一歩一歩、重厚な足音を立てて階段を降りていった。
「――ヴィオラ」
低く、存在感のある声。
サロン内の会話がピタリと止まり、貴族たちが道を開ける。
アルベルトはまっすぐにヴィオラのもとへ歩み寄ると、躊躇することなく彼女の細い腰をぐっと引き寄せ、自分の体へと密着させた。
「だ、旦那様……? 皆様が見ておられますわ」
ヴィオラが少しだけ動揺を見せると、アルベルトは不敵で、そしてどこまでも情熱的な笑みを浮かべた。
「見させておけばいい。……このサロンも、この新事業も、そして王都を制圧したこの素晴らしい女王も……すべて『私の妻』なのだとな」
「〜〜〜っ!」
サロン内に「きゃあああっ!」という貴族の令嬢たちの歓声と悲鳴が響き渡った。
「冷酷な辺境の鬼神」が、大勢の前で堂々と妻への独占欲と愛を爆発させたのだ。
「買われた哀れな妻」などという偏見は完全に過去のものとなり、いまや二人は王都社交界で最も力強く、最も熱烈に愛し合う「理想の夫婦」として刻まれた。
ヴィオラは照れ隠しに扇子で顔半分を隠しながら、アルベルトの胸をぽんと叩いた。
「……もう。旦那様ったら、急にカッコいいことを仰って……私の計算が狂ってしまうではありませんか」
「ふっ……お前の計算など、私がいくらでも狂わせてやると言っただろう?」
耳元で囁かれた甘い言葉に、ヴィオラは完全に降伏したように、ふっと柔らかい本気の笑顔を咲かせた。
「ええ……降参ですわ。私の負けです、アルベルト様♪」
二人の重なる視線と熱い雰囲気に、セバスチャンが静かに冷たいハーブティーを差し出した。
「旦那様、奥様。大変感動的な王都制圧の幕引きでございますが、そろそろ領地へ帰還する馬車のお時間でございます。……なお、帰還中の馬車内でのイチャイチャによる旦那様の発熱対策として、特製氷嚢を10個ほど積み込んでございます」
「セ……セバスタァァァンッ!!」
真っ赤になって怒るアルベルトと、お腹を抱えて可憐に笑うヴィオラ。
「生贄令嬢」として始まった二人の契約結婚は、王都社交界を巻き込んだ壮大な大逆転劇を経て、誰もが嫉妬する「真実の愛」へと昇華したのだった。
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