第27話:裏での陰謀、ヴィオラ誘拐未遂
ダンスが終わり、割れんばかりの拍手が収まった大広間。
アルベルトのもとへ、王室の給仕が急ぎ足で近づいてきた。
「ハルシュタット閣下、近衛隊長様がお呼びです。至急、新事業の警備協定について確認したい儀があると……」
「……チッ、今か。分かった、すぐ行く」
アルベルトは苦々しい顔で舌打ちをすると、ヴィオラに向き直り、その両手をぎゅっと握りしめた。
「ヴィオラ、少しだけ席を外す。セバスチャンを側に置いておくから、絶対にこの場所から動くなよ?」
「ええ、行ってらっしゃいませ旦那様。お仕事優先ですわ♪」
アルベルトが背を向け、人ごみの奥へと消えていく。
その瞬間、ヴィオラはグラスのシャンパンをひと口含み、心の中で小さく呟いた。
(……はい、誘導完了ね。旦那様をわざと遠ざける怪しい呼び出し……王都の裏社会でも使い古された、古典的な『引きはがし工作』だわ)
ヴィオラが前世の歌舞伎町で叩き込まれた直感が、けたたましく警報を鳴らしていた。
予想通り、アルベルトが去ってから数十秒も経たないうちに、おどおどとした様子の若い給仕がヴィオラへと近づいてきた。
「あ、あの……ハルシュタット辺境伯夫人でございますでしょうか?」
「ええ、そうですけれど?」
「先ほどグランヴィル公爵閣下より言伝がございまして……『新事業の非公式な契約書について、奥奥の別室にて二人きりで極秘の協議をしたい』と。こちらへどうぞ……」
給仕の視線は泳ぎ、指先はわずかに震えている。
(……ふふっ、大根役者ね。あの老練なグランヴィル公爵が、旦那様を差し置いて人目を忍ぶような裏部屋に若妻を呼び出すわけがないでしょうに)
ヴィオラは驚いたようなふりをして、可憐に胸元に手を当てた。
「まあ! 公爵閣下がわざわざ私を? それは大変……すぐにお伺いしなければいけませんわね」
「は、はい! こちらでございます!」
安堵の表情を浮かべる給仕の背中を追いかけながら、ヴィオラはすれ違いざま、壁の影に潜んでいたセバスチャンにだけ見える角度で、指先を二回チッチッと鳴らした。
(セバスチャンさん、合図よ。舞台の準備(お客様の招待)をお願いね)
影の中から、セバスチャンの眼鏡がキランと怪しく光り、無言で頷く気配がした。
◇
連れてこられたのは、大宴友の間から遠く離れた、あまり使われていない薄暗い貴賓控え室だった。
「こちらでお待ちください……」
給仕が逃げるように去り、カチャリと重い扉が閉まる。
暗がりの中から、嘲笑を浮かべた男がゆったりと姿を現した。
敵対派閥・ゴドウィン子爵の息子のジュリアンだった。
「ククク……噂通りの単純な女だな。『生贄令嬢』の分際で少しチヤホヤされたからと、調子に乗ってノコノコついてくるとは」
ジュリアンは下品な笑みを浮かべ、手に持った麻薬入りのハンカチを弄んだ。
「お前をここで拘束し、ハルシュタット卿に突きつけてやるのだ。『妻の命と引き換えに、新事業の権益を全て我が家に譲渡しろ』とな。あの冷酷男がお前に夢中なのは一目瞭然……最高の交渉材料だよ」
「まあ……誘拐して脅迫、ですか?」
ヴィオラは逃げる素振りも見せず、首をかしげて微笑んだ。
「ええ、ジュリアン様。計画としては大変わかりやすいですが……点数を付けるなら『10点満点中、1点』といったところかしら」
「なに……!?」
「まず、ターゲットの身辺調査が甘すぎますわ。それから、私を無力な弱者だと決めつけている点。前世を含め、私のようなプロを甘く見ると……手痛い火傷を負いますのよ?」
「戯言を! 黙って大人しくしろッ!」
ジュリアンが麻薬のハンカチを掲げ、ヴィオラに飛びかかってきた。
だが――。
(はい、踏み込みが浅い! 歌舞伎町の酔っ払いの方がまだ速いわ!)
ヴィオラは優雅にドレスの裾をひらりと翻し、軽やかにその攻撃をかわした。勢い余って壁に激突するジュリアン。
「ぐはっ……!? な、なに……!?」
「あらあら、お怪我はありませんか? ……ですが、残念ですわ。私の舞台の『本当の主役たち』がお見えになったようです」
バンッ!!
部屋の重厚な扉が、力任せに叩き開けられた。
「動くなッ!! 何事だ!!」
部屋になだれ込んできたのは――顔を蒼白にしたアルベルトだけではない。
先ほどヴィオラを気に入った中央の重鎮・グランヴィル公爵、さらには憲兵隊長と数十名の有力貴族たちだった。
「な……っ!? なぜ公爵閣下や皆様がここに……!?」
ジュリアンが絶句する。
セバスチャンが静かに進み出て、完璧な礼をした。
「グランヴィル閣下。奥様より『公爵閣下が新事業の特別展示を別室でご覧になりたがっている』とお知らせを受け、皆様をご案内いたしましたところ……誠に遺憾ながら、このような現場に遭遇してしまいました」
そう、ヴィオラは誘拐されるフリをして、「公爵と有力貴族たちをギャラリーとして呼び出す」というカウンターを仕掛けていたのだ。
グランヴィル公爵の顔が、凄まじい怒りで般若のように歪む。
「……ジュリアンと言ったな。我が名を騙ってハルシュタット夫人を呼び出し、このような卑怯な愚行に及ぶとは……我がグランヴィル家と王都の法を愚弄するか!!」
「ち、違うのです閣下! これはハルシュタット家を揺さぶるための……ひぃぃっ!?」
「問答無用! 憲兵隊、この愚か者を速やかに連れて行け! ゴドウィン子爵家についても徹底的に家宅捜索を行え!!」
「ははっ!!」
哀れな叫び声を上げながら、ジュリアンは憲兵たちに引きずられていった。ゴドウィン子爵家の失脚は、これで決定的なものとなったのだ。
敵が排除され、静まり返った室内。
「ヴィオラ――ッ!!」
アルベルトがなりふり構わず駆け寄り、ヴィオラを勢いよく抱きしめた。
彼の全身が、激しい怒りと恐怖で小さく震えている。
「無事か……!? 怪我はないか……!? すまない、私が目を離したばかりに……っ!」
「落ち着いてください、旦那様。私はかすり傷ひとつ負っていませんわ」
ヴィオラはアルベルトの胸に顔を埋め、彼の背中を優しく叩いた。
「旦那様の警護の手を逃れて私に手を出そうなんて、100年早いですわ。……私をお守りくださる最高の旦那様と、優秀な執事さんがついていてくださいますもの♪」
「お前というやつは……! 本当に生きた心地がしなかったんだぞ……っ!」
アルベルトは深く溜め息をつき、ヴィオラを離すまいとさらに強く抱きしめた。
その光景を見たグランヴィル公爵は、感心したように髭を撫でながらフッと笑った。
「ふむ……度胸だけでなく、あの状況で敵を完全に社会的に抹殺する手回しの早さ。ハルシュタット卿、お前の妻は噂以上の『極上の猛毒花』だな」
こうして、裏で動いていた陰謀はヴィオラの手によって一瞬で叩き潰され、敵対派閥は完全崩壊。
ハルシュタット家の王都での勝利と絆は、揺るぎないものとなったのだった。
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