第23話:王都到着、敵対派閥の挨拶という名の嫌がらせ
馬車の車輪が、王都石畳の重厚な音を奏でて停まった。
ハルシュタット家の紋章が刻まれた豪奢な馬車から、まず降り立ったのはアルベルトだ。黒を基調とした隙のない礼服に身を包んだ彼の威容に、王都別邸の前に集まっていた野次馬たちが息を呑む。
そして、アルベルトが差し出した手の上に、そっと白手袋の美しい手が重ねられた。
「まあ……空気が少々重たく感じられますわね、旦那様」
舞い降りたのは、サファイアブルーのドレスに身を包んだヴィオラだ。
ショールを優雅に羽織り、歩くたびに微かに覗くしなやかなシルエット。可憐でありながら、どこか秘めやかな色香を漂わせるその立ち姿に、周囲の貴族たちからどよめきが漏れた。
(ふふっ、掴みはバッチリね。『哀れな生贄令嬢』を覗き見に来た野次馬たちの視線が、一瞬で羨望に変わったわ)
ヴィオラが心の中でほくそ笑んだ、まさにその時だった。
「――ほう。噂の『生贄の花嫁』かと思えば、随分とお召し物に気を配っておられるようだ」
嘲笑を含んだ、ねっとりとした声が響いた。
人波を割って現れたのは、絢爛豪華だが悪趣味な刺繍が施された服を着た中年貴族――中央派閥の大物、ゴドウィン子爵とその一派だった。アルベルトの辺境での躍進と莫大な財力を日頃から妬み、事あるごとに足を引っ張ろうとしてくる敵対派閥の筆頭格である。
「これはゴドウィン子爵。王都に到着早々、出迎えとは殊奇なことだ」
アルベルトの青い瞳が、一瞬で氷点下まで冷え込む。凄まじい威圧感が周囲を包むが、子爵はフンと鼻を鳴らし、ターゲットをヴィオラへと変えた。
「いやなに、ハルシュタット卿が田舎の零細貴族から『買い取った』という幼い妻がどのようなものかと思ってね。……ふむ、顔立ちだけは整っているようだが、田舎育ちの娘に王都社交界の洗礼は厳しすぎるのではないかね?」
子爵の背後に控える若手貴族たちが、くすくすと下品な笑い声をあげる。
「ええ、子爵閣下。いくら綺麗なドレスを着飾らせても、育ちの卑しさは隠せませんからな」
「社交界の複雑なマナーや言葉の裏を読む機知など、田舎の子爵家に教養があるはずもない」
あからさまな侮辱。
アルベルトの拳がミシリと音を立て、腰の飾剣に手が伸びかけた――その瞬間。
「……旦那様、お控えになって」
ヴィオラがそっとアルベルトの腕を撫で、制した。
(あ〜あ、可哀想に。前世の歌舞伎町で『田舎者』ってマウント取ってきて、一晩で数百万円の高級シャンパン空けさせられて破滅した成金社長たちと同じ顔してるわ、この人たち)
ヴィオラは一歩前へ出ると、完璧な角度で頭を下げ、そしてすっと顔を上げた。
その背筋の伸び、指先の角度、視線の運び――王室の家庭教師すら脱帽するレベルの、洗練された最高級の礼法であった。
「……ッ!?」
子爵たちの笑い声がピタリと止まる。
ヴィオラは極上の微笑みを浮かべ、鈴を転がすような澄んだ声で歌い上げた。
「初めまして、ゴドウィン子爵閣下。ハルシュタット辺境伯が妻、ヴィオラでございます。本日はお忙しい中、わざわざ当家の別邸前までお越しいただき、誠に恐縮に存じます」
子爵は一瞬気圧されたものの、すぐに咳払いをして眉をひそめた。
「ふ、ふん……マナーの形だけは叩き込まれているようだな。だがな、お嬢さん。ハルシュタット卿は王都では『冷酷な鬼神』と恐れられている。買い叩かれた君のような可憐な娘が、恐怖に震えながら日々を過ごしていると王都中で噂になっているのだよ。我々は君を『哀れんで』助言をしてやろうと思っているのだ」
「まあ……! 哀れんでくださっていたのですか?」
ヴィオラは両手を胸の前で合わせ、感動したように瞳をうるませた。
演技力1000%の「儚げな少女」モード発動である。
「私のような至らない者を案じてくださるなんて……閣下はなんとご親切なお方でしょう。ですが……ふふ、その噂は大きな誤解でございますの」
「誤解だと?」
ヴィオラは横に立つアルベルトを見上げ、心底愛おしそうに頬を緩めた。
「旦那様は、私を『買い叩いた』のではありませんわ。困窮していた我が家を救うため、正当な対価をお払いくださり、私を最高の誇りをもって迎えてくださったのです。……そして何より」
ヴィオラは子爵に向かって、首を少し傾げた。
「恐怖に震えるどころか……旦那様は私を、夜も眠れなくなるほど可愛がってくださいますの。……私、毎日が幸せすぎて、王都の皆様の『哀れみ』がどこに向けられたものなのか、不思議でなりませんでしたのよ♪」
「〜〜〜〜〜ッッッ!?」
アルベルトの顔が、一瞬でリンゴのように真っ赤に染まった。
子爵たちに見えないよう背中を向けているが、耳まで朱に染まり、必死に動揺を耐えている。
(ぶっ……! ヴィオラ、お前というやつは社交界の真ん中で何を口走って……っ!)
子爵たちは絶句した。
「可憐な生贄」としておどおどと泣きつくどころか、ノロケを堂々と叩きつけられたのだ。
「ぐ……っ! こ、口の減らない娘だ! だが、ハルシュタット家の財力がいくら新事業で潤おうと、王都の伝統ある貴族社会では『品格』と『人脈』が全て! 根無しの田舎貴族が、今夜の夜会で恥をかかぬことだな!」
子爵が顔を真っ赤にして捨て台詞を吐いた、その時。
別邸の玄関から、セバスチャンが滑らかな動作で現れた。その手には、王室の紋章が入った数通の書簡が握られている。
「これはゴドウィン子爵閣下。ちょうど良いところにおいででございます」
「な、なんだ執事か」
セバスチャンは冷徹な笑みを浮かべ、書簡を一枚取り広げた。
「本日、王立商業ギルドおよび王立騎士団より、ハルシュタット家宛に『新事業に伴う優先取引協定書』が届きました。……なお、子爵閣下が経営される商業会との取引ですが、我がハルシュタット家としては『品格と伝統』を重んじる閣下のご意向を尊重し、今回の新流通網からは【全面除外】とさせていただく手はずとなっております」
「……は? じ、除外だと!? 馬鹿な、我が商会がハルシュタットの特産品を扱えなければ、今期の利益が――!?」
子爵の顔から一気に血の気が引いていく。
ヴィオラは小さく「あらあ」と聞こえるように呟き、扇子で口元を覆った。
「まあ、子爵閣下。伝統と品格をお持ちの閣下が、我が家のような『田舎貴族の新事業』などにお手を染める必要はございませんものね? 閣下の高いお見識に配慮いたしましたの。どうぞご安心くださいませ♪」
完璧な社交マナーに乗せた、極上の「嫌がらせ返し(出禁宣言)」。
「お、お前たち……! 覚えていろよ!!」
子爵は捨て台詞を残し、顔を青くしたり赤くしたりしながら、逃げるように立ち去っていった。
◇
嫌悪すべき集団が去り、静けさを取り戻した別邸の玄関前。
アルベルトは深く溜め息をつき、顔を手で覆った。
「……ヴィオラ」
「はい、旦那様? 完璧な接客(返り討ち)でしたでしょう?」
「……『夜も眠れなくなるほど可愛がっている』とはなんだ……! 王都の噂が、今度は別の意味で爆発するだろうが……っ!」
赤くなった顔を背けながら抗議するアルベルトに、ヴィオラはくすくすと可愛らしく笑った。
「あら、嘘ではありませんわ。旦那様は毎日私にドギマギして、胸を熱くさせてくださいますもの。睡眠不足になるのは私ではなく、旦那様の方ですけれど♪」
「お前は……! 本当に、一言も勝てんな……!」
アルベルトは降参したように肩を落としたが、その瞳にはどこか愛おしそうな熱がこもっていた。
セバスチャンが静かに二人の間に割って入る。
「お見事でございました、奥様。これで今夜の大夜会、敵対派閥は相当な警戒感を持って挑んでくるでしょう。……なお、先ほどの旦那様の動揺による心拍数の上昇、危険域に達しておりますので、自室に冷却用のハーブティーをご用意してございます」
「セバスチャン! お前は余計な報告をするな!」
真っ赤になって怒るアルベルトと、楽しそうに笑うヴィオラ。
王都の陰謀と嫉妬が渦巻く社交界の真っ只中で、二人の最強の絆はすでに揺るぎないものとなっていた。
「さあ旦那様。今夜の大夜会……本格的な『王都社交界の制圧』へ参りましょうか♪」
「……ああ。お前の好きにしろ。私がすべて、お前の後ろで控えさせてやる」
冷酷な辺境伯と、元No.1のあざと妻。
王都社交界を揺るがす伝説の夜会が、いよいよ幕を開けようとしていた。
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