第22話:ドレス選びと、嫉妬する冷血男
王都での大夜会まであとわずか。
ハルシュタット辺境伯邸の着付け室には、王都から呼び寄せられたトップデザイナーと職人たちがズラリと並び、独特の緊張感が漂っていた。
「……できたわ。完璧よ、奥様!」
デザイナーの女性が感嘆の溜め息をつく。
姿見の前に立つヴィオラは、仕上がったばかりのドレスを身に纏い、優雅に裾を翻した。
夜空を切り取ったかのような深いサファイアブルーのシルク生地。胸元は上品なスクエアネックで控えめだが、立ち姿の美しさを際立たせる見事なマーメイドラインだ。
「まあ、素敵……! 生地の手触りも縫製も極上ですね。流石は王都一の仕立て屋ですわ」
「そう仰っていただけて光栄です! 事前の『可憐で儚げ、しかし品格を失わない生贄風』というオーダーを見事に体現できましたわ。……そして、このドレスの真骨頂は……後ろ姿です!」
デザイナーが自信満々にヴィオラの背中を指し示す。
そこは、肩甲骨の下あたりまでゆるやかなV字にカットされ、透き通るようなヴィオラの白い肌が美しく覗いていた。
露出度は高すぎず、上品さを保ちつつも、ふとした瞬間に視線を奪う絶妙な「抜け感」。前世の高級クラブでも重宝された、男の視線を釘付けにする高等テクニックである。
「完璧だわ。背中で魅せる……これぞ大人の余裕ね」
ヴィオラが満足そうに頷いた、その時だった。
バンッ! と着付け室のドアが力任せに開いた。
「ヴィオラ、準備の進み具合は――」
部屋に入ってきたアルベルトは、姿見の前に立つヴィオラを一目見るなり、ピタリと動きを止めた。
そのまま石化すること数秒。
「……アルベルト様? どうされたのですか?」
ヴィオラが首をかしげて振り返ると、アルベルトの顔色が目に見えて変わっていった。
青い瞳が危険な光を帯び、眉間には恐ろしいほどのシワが刻まれる。
「……脱げ」
「はい?」
「今すぐその服を脱げ、ヴィオラ!!」
着付け室にアルベルトの怒声が響き渡り、デザイナーや職人たちがヒッと悲鳴を上げて縮み上がった。
「な、何を仰るのですか旦那様! これから最終調整なのですから、脱ぐわけにはいきませんわ」
「ダメだ! 許可できん! セバスチャン、今すぐもっと生地の多い服を持ってこい! 首から足首まで……いや、頭から布をかぶせるような修道女の服でいい!」
「旦那様、さすがに修道女の格好で王都の大夜会に出席すれば、ハルシュタット家の正気を疑われますよ」
いつの間にか背後に控えていたセバスチャンが、冷静にツッコミを入れる。
アルベルトは荒い息をつきながらヴィオラに歩み寄り、彼女の背後に回ると、脱ぎ捨てられていたショールをひったくってヴィオラの背中に巻き付けた。
「背中だ! なぜこんなに布地が足りていないんだ! 欠陥品だろう、これは!」
「欠陥ではありませんわ! これが最新のトレンドであり、私の『儚げな美しさ』を引き立てる計算されたデザインなのですから!」
「見えるだろうが! お前の肌が、男たちの目に晒されるんだぞ!?」
アルベルトの顔は真っ赤になり、苛立ちで拳を固く握りしめている。
ヴィオラはショールをかけられたまま、ふと首を傾げた。
(……あれ? 旦那様、なんでこんなに怒ってるのかしら? ドレスのマナーとしては全く問題ないレベルだし、肌の露出だって品のある範囲なのに……)
前世の歌舞伎町・銀座で数々の男たちの感情を分析してきたヴィオラの脳内コンピューターが、高速で弾き出した答え。
『露出への怒り』+『他人の視線への嫌悪』+『理由のわからないイライラ』=【猛烈な嫉妬】。
(……あ。これ、嫉妬だわ)
ヴィオラは思わず口元を緩めそうになるのを必死で耐えた。
当のアルベルト本人は、自分がなぜこれほどイライラしているのか全く理解できていない様子で、ウロウロと部屋を往復している。
「……チッ。王都の男どもは下品な奴らばかりだ。こんな背中を見せたら、群がるに決まっている……! 想像しただけで腹が立つ! 胃が焼けるように熱い!」
「旦那様」
「なんだ!」
「胸がソワソワして、イライラして、居ても立っても居られない感じ……ですか?」
「そうだ! なんだこの不快な感情は! 何かの毒でも盛られたのか!?」
「……クッ」
ヴィオラは思わず吹き出しそうになり、扇子で口元を隠した。
冷酷無比と恐れられる22歳の若き辺境伯が、生まれて初めての「嫉妬」という感情に困惑し、毒を疑っているのだ。可愛すぎるにも程がある。
そこへ、セバスチャンがすっと冷たいハーブティーを差し出した。
「旦那様。そちらの症状は毒ではなく、一般的に『嫉妬』あるいは『独占欲の暴走』と呼ばれるものでございます」
「な……ッ!? し、嫉妬だと!?」
アルベルトはハーブティーのカップを取り落としそうになりながら叫んだ。
「馬鹿を言え! 私が……この私が、嫉妬などという見苦しい感情を抱くだと!? 私はただ、ハルシュタット家の当主として、妻の不必要な露出を咎めているだけで――」
「では、私が自室で旦那様だけにこのドレスをお見せするのも、不許可でしょうか?」
ヴィオラが上目遣いで、ぽつりと囁いた。
「――ッ!!」
アルベルトの動きが完全に止まった。
脳内で「自分だけに背中を見せるヴィオラ」の映像が再生されたのか、彼の顔面が限界突破の赤さに染まり、耳から湯気が出そうなほど加熱する。
「お、お前……! なにを……何を言っているんだ……っ!」
「だって、旦那様はおっしゃいましたでしょう? 『他の男に見せたくない』と。……つまり、旦那様だけが見られるのなら、問題ないのですよね?」
ヴィオラはショールを少しだけずらし、背中をチラリと見せながら、あざとさ120%の微笑みを浮かべた。
「私……旦那様だけに『特別』だと思ってもらえるなら、それだけで嬉しいですわ♪」
「〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
アルベルトは胸を押さえて崩れ落ちそうになった。
嫉妬のイライラと、畳みかけられた甘い誘惑の落差に、彼の理性はすでに限界値を迎えている。
「ズルい……お前は本当にズルい……っ! 私をどうするつもりだ……!」
「どうもしませんわ。ただ、自慢の旦那様に、もっと私に夢中になっていただきたいだけです♪」
ヴィオラはクスッと笑うと、しゃがみ込んでアルベルトの視線と目を合わせた。
「ご安心ください、アルベルト様。夜会ではショールを羽織っておきますわ。私がこの背中をお見せするのは……夜会が終わった後、旦那様と二人きりになった時だけにいたします」
「……本当か?」
「ええ、お約束します」
アルベルトはゴクリと唾を飲み込み、赤くなった顔を背けながら、小さく「……なら、いい」と呟いた。
完全にヴィオラの手のひらの上で転がされている当主の姿に、デザイナーたちは口ぐちに「お若い夫婦ねぇ……」「尊いわ……」とヒソヒソと囁き合っている。
セバスチャンは冷徹な手つきで、アルベルトに冷たいおしぼりを渡した。
「旦那様。お顔の熱が冷めぬうちに、王都への出発準備を整えましょう。……なお、王都の夜会で奥様に鼻下を伸ばす男たちが現れましたら、嫉妬のあまり物理的に斬り捨てないよう、剣の帯刀はご遠慮いただきますね」
「斬らんわ!! ……いや、場合によっては斬るかもしれん……」
「旦那様、物騒なことを言わないでくださいませ♪」
ヴィオラは楽しそうに笑いながら、鏡に映る自分の姿をもう一度確認した。
無自覚な嫉妬でイライラするアルベルトの可愛らしさと、彼が自分に向ける強い執着。それらは今や、王都社交界という戦場に乗り込むヴィオラにとって、最高のエネルギーとなっていた。
「待っていなさい、王都の貴族たち。……私と、この可愛くて恐ろしい旦那様で、社交界を思いっきりかき回してあげるわ!」
こうして、嫉妬に狂う(?)冷血辺境伯と、彼をすっかり掌握した元No.1妻の、王都襲撃の準備は完璧に整ったのだった。
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