第21話:王都からの招待状と「生贄令嬢」の噂
ハルシュタット領の新事業が空前の大成功を収め、領内が活気に満ちあふれる中、執務室には一通の豪華な封書が届けられていた。
金の装飾が施された厚手の羊皮紙。封を留めるのは、王家と関わりの深い高貴な公爵家の紋章が刻まれた紫のシーリングワックスだ。
「……王都の主催する、社交界の大夜会への招待状か」
アルベルトは眉間にシワを寄せ、苦々しい顔でその手紙をデスクに放り投げた。
隣で温かい紅茶を淹れていたヴィオラが、完璧な立ち振る舞いで問いかける。
「旦那様、何かお気に召さない内容でしたか? 新事業の成功で社交界でのハルシュタット家の地位は急上昇中。王都からのお声がかりは、むしろ願ってもないプロモーションの機会かと存じますが」
「事業の面だけで見ればな。だが……問題は、王都で流れている『くだらない噂』だ」
アルベルトの青い瞳に、冷ややかな怒りの色が宿る。
彼はデスクの脇に置かれていた情報収集の報告書を、ヴィオラの方へと滑らせた。
「セバスチャンが王都の諜報網から吸い上げた報告だ。読んでみろ」
「あら……どれどれ?」
ヴィオラは優雅な動作で紙面を滑らせ、そこに書かれた文字に目を走らせた。
そこには、王都の貴族たちが面白おかしく噂している「ハルシュタット辺境伯夫妻」についてのゴシップが、克明に記されていた。
> 『冷酷無比な氷の辺境伯アルベルト卿が、家計の苦しい子爵家から18歳の可憐な令嬢を買い叩いた』
> 『哀れな生贄令嬢ヴィオラは、恐ろしい辺境伯の館で怯えながら、日々泣いて過ごしているらしい』
> 『社交界に現れるというなら、その痛々しい姿をぜひ拝見し、同情の手を差し伸べてやらねばな』
「………………」
一通り読み終えたヴィオラは、静かに紙を伏せた。
アルベルトは彼女の顔を覗き込み、気まずそうに咳払いをする。
「……すまない、ヴィオラ。私が日頃から社交界で『冷酷』『鬼神』などと恐怖されていたせいだ。お前がハルシュタット家に嫁いだ際、実家との金銭的なやり取りがあったことも尾ひれがついて広まったのだろう。お前をそのような侮辱に晒してしまうとは……」
アルベルトの顔には、本気の申し訳なさと怒りが混ざり合っていた。
彼は立ち上がり、ヴィオラの肩に手を置こうとして、ふと躊躇する。前夜の「告白」以来、彼女に触れるだけで自分の心臓が跳ね上がってしまうからだ。
「嫌なら、無理に行く必要はない。王都の夜会など『体調不良』とでも言って欠席すればいいだけの話だ。お前に惨めな思いをさせるくらいなら、私が一人で――」
「まあ、旦那様」
ヴィオラがパッと顔を上げた。
そこにあったのは、傷ついた可憐な少女の顔……では断じてなかった。
口角は美しく釣り上がり、瞳の奥にはギラギラとした肉食獣のような光が宿っている。歌舞伎町で百戦錬磨のNo.1として君臨し、嫌味な太客や嫌がらせの同業店を数々返り討ちにしてきた「プロ」の笑みだ。
「何を仰いますの? 欠席なんて、とんでもありませんわ!」
「……は?」
呆然とするアルベルトをよそに、ヴィオラは優雅に扇子をバサリと開いた。
「『怯えた生贄令嬢』『泣いて過ごしている哀れな少女』……くすっ、まあ! 私のことをそんなに可憐で守ってあげたくなるような存在だと思ってくださっているなんて、王都の貴族の方々はなんてファンタジー思考なのかしら♪」
「ヴィ、ヴィオラ……? お前、怒っていないのか……?」
「怒る? 滅そうもございません!」
ヴィオラは扇子で口元を隠し、ウフフと楽しげに笑った。
「むしろ大歓喜ですわ! 向こうから勝手にハードルを下げて、カモがネギと鍋とコンロまで背負ってやってきてくださるんですもの! これほどやりやすい営業(接客)はありませんわ♪」
「え、営業……?」
アルベルトが引きつった顔で固まる。
そこへ、静かにドアが開いてセバスチャンが入ってきた。手には王都のドレスデザイナーからのカタログが抱えられている。
「旦那様、奥様。王都の噂話の件、すでに耳に入られたようですね。……ちなみに王都の貴族たちの間では『冷酷な辺境伯から可憐な生贄令嬢を救い出し、自分の愛妾にしよう』と画策している若い貴族も数名いるとのことです」
「なんだと……ッ!?」
アルベルトの額に青筋が浮かぶ。
「私の……私のヴィオラを愛妾だと!? 戯れ言も大概にしろ! 今すぐその貴族どもの首を――」
「旦那様、落ち着いてくださいませ♪」
ヴィオラはポンとアルベルトの手の上に自分の手を重ねた。
その瞬間、アルベルトの怒気は一瞬で霧散し、顔がサッと朱に染まる。
「お前……急に手を触るなとあれほど……っ」
「ふふ、旦那様は本当に可愛らしいですね。……セバスチャンさん、ドレスの手配をお願いできますかしら?」
「畏まりました、奥様。どのような方向性の装いをお望みでしょうか?」
ヴィオラはカタログをパラパラとめくり、楽しそうに瞳を輝かせた。
「テーマは『庇護欲を誘う可憐な生贄……に見せかけた、王都社交界の完全制圧』よ」
「……ぶッ」
アルベルトが吹き出した。
「最初は王都の皆様のお望み通り、今にも儚く散りそうな『おいたわしい生贄令嬢』として登場しますわ。おろおろと怯え、旦那様の袖をキュッと掴んで震えてみせるの。そうすれば、浅はかな男たちが群がってくるでしょう?」
ヴィオラはウインクしてみせた。
「そして、私を助けようと調子に乗った男たちが極上の話を持ち出してきたところで……前世仕込みの『笑顔で破滅に追い込む営業トーク』で、ハルシュタット家の新事業の大口契約をドッサリ結ばせていただきますの♪」
「……お前は悪魔か」
アルベルトは呆れと感嘆が混ざった溜め息をついた。
「私を舐めてかかってくるお客様方(貴族たち)を接客しに行くと思うと、もうワクワクが止まりませんわ! 旦那様、私をエスコートしてくださいますわね?」
ヴィオラが上目遣いに覗き込むと、アルベルトは頭を抱えた。
「……行くに決まっているだろう。お前が怪しい笑みを浮かべながら男たちをカモにしている横で、私がどれだけの男たちを睨みつけなければならないかと思うと、今から頭が痛いがな」
「まあ! 旦那様のエスコートがあれば百人力ですわ! だって、私を誰よりも『大切』にしてくださる、自慢の旦那様ですもの♪」
さらりと前夜の出来事を匂わせるフレーズを投げかけるヴィオラ。
アルベルトは真っ赤になって明後日の方向を向いた。
「〜〜〜っ! お前は本当に……人を弄ぶのが上手いな……っ!」
「あら、弄んでなんていませんわ。本心ですもの♪」
二人のやり取りを横目で見ていたセバスチャンが、満足そうに頷いた。
「素晴らしい連携でございますね、旦那様、奥様。……それでは、王都の夜会に向けて『哀れな生贄令嬢と冷酷な辺境伯』の完璧な茶番劇の衣装を仕立てさせましょう。王都の貴族どもが、奥様の笑顔の裏にある爪に気づいた時には、すでにハルシュタット家の財布(顧客)となっていることでしょう」
「ええ、セバスチャンさん。最高のおもてなしをして差し上げましょうね」
ヴィオラは窓の外、遙か遠くにある王都の方角を見つめた。
自分を「買われた哀れな女」と見下す社交界の貴族たち。
彼らが用意した舞台で、誰が本当の「支配者」なのかを思い知らせてやる時が来たのだ。
「待っていらっしゃい、王都の鴨たち……ふふふっ」
怪しく美しく咲き誇るヴィオラの笑顔に、アルベルトは冷や汗を流しつつも、その圧倒的な美しさに再び心を奪われてしまうのだった。
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