第18話 あなたが勇者でなくとも
「んん……」
何かが頭に触れた感触で目を覚ました。
「エ、エド!」
寝ぼけた頭が一気に覚醒する。エドワードの目が開いていた。仰向けに横たわったまま、こちらに手を伸ばしている。
「よかった! ……あ、先生、せんせーい!」
この世界にナースコールはないので病室を飛び出す。「病院で騒がないでください」と注意された。
「……特に異常はありません。体力さえ戻ればすぐにいつも通り生活できますよ」
一通りの診察を終えた医者は、俺にそう説明し病室を出て行った。
「……水」
「はい」
コップに水を注ぎ、まだ上手く起き上がれないエドワードを支えながら飲ませる。
「……汗かいた。着替えさせろ」
「はい」
服を脱ぐのを手伝い、濡れたタオルで体を拭き、新しい服を着せる。
ふっと笑い声がした。
「甲斐甲斐しいな」
「俺は、雑用係ですから」
胸を張って言うと、「誇るところじゃねぇだろ」とまた笑っていた。
「そうだ。クローディアたちに連絡しないと」
「えっ」
そうか。気を失っていたから知らないのか。
「エドをここまで連れてこれたのは、あの三人のおかげです。心配していましたから連絡しないと」
病院に泊まるのは俺に譲ってくれて、今は近くの宿に居るはずだ。
「……ちょっと待て。連絡は、してもいいけど。まだ呼ぶな」
「え? ……はい」
彼女らには申し訳ないが、患者がそう言うなら仕方ない。まだ起きたばかりだし大人数の対応をするのも良くないだろう。
簡潔に連絡だけ入れて、座りなおした。
「俺も席を外しましょうか? 寝ます?」
「いや、いい。居ろ。寝ない」
しばらくお互いに何も言わなかった。しかし特に居心地が悪いわけでもなく、静かな時間が過ぎていく。
あわただしくてあっという間な時間だったが、この世界に来て二年以上経っている。思ったより長いような気もするし、思ったより短いような気もした。
やがて静寂にゆっくりと割れ目を入れるように、エドワードが口を開く。
「あいつら、なんて?」
「それは……本人たちに直接聞いた方がいいと思います」
俺が勝手に俺の言葉に置き換えて伝えていいことではない気がした。
「……怒ってたか」
「いえ。出て行ったの、後悔してましたよ、とだけ」
「……そうか」
弱弱しい声だった。
「……俺さ、魔力、なくなった」
「え」
頭にエドワードの手が乗せられる。顔を見るな、とばかりに。
「まったく無くなったわけじゃねぇけど。でももう冒険者はきついかもしんねぇ。魔王に吸い取られたな」
「そう……なんですか」
何と返すべきなのかわからなくて、結局出てきたのはそんな言葉だった。
「もう冒険者も卒業か。元・勇者って呼ばれるようになるかもな」
「そうですね」
「そうですねって……」
手が離れる。エドワードが苦笑している。
「お前そういうの興味ないのか?」
「ありますよ! エドが悲しいと俺だって悲しいです」
ただ、何と言ったらいいのかわからなかっただけで。
思わず身を乗り出した俺にしかし、エドワードは声を押し殺すようにして笑った。
「わかってる。わかってるよ。そういう意味じゃねぇ」
エドワードの手が再び俺の頭に乗せられる。今度は視界をふさぐのではなく、髪を梳き始めた。大きくて剣だこのある、俺の大好きな手。ドキドキするのに、何故かすごく安心する手。
「お前、俺のこと好きか?」
「はい!」
「即答かよ」
当たり前だ。俺がエドワードを好きなことは自明の事実で、蛸に骨なし海月に目なしというやつで、右はどっち? とか北の反対は? とかよりずっと明確で答えやすい。
「なら、この先も……傍に、居てくれるか?」
「え」
「……ダメか」
「ダメなわけないでしょう!」
思わず立ち上がりそうになって頭を押さえつけて止められた。まだ体力が戻っていない割に力は強い。
「俺はあなたの、エドワードの物ですよ。勇者の物でも、冒険者パーティの物でもなく。あなたが拾った物です」
「時々自分をゴミに例えるのなんなんだよ」
エドワードが息を漏らすように笑う。年相応の青年の笑い方。俺の髪を一房掬い取ってくるくると回した。心臓がどくどくと鼓動を加速させる。
「……ん? 魔王?」
完全に聞き逃しそうになっていた。
「あそこに居たの、魔王だったんですか?」
なぜあんなところに魔王が。
エドワードはしまった、という表情になったあと、観念したように頷いた。そしてそこまで言ってしまったからもういいと思ったのか、いたずらがバレた子どものようにこちらの様子をちらちら伺いながら
「……魔王と契約した」
と言った。
「は?」
間抜けな声が出た。なんて?
魔王。魔王と契約? 勇者が?
エドワードは頬をかきながら、「魔王と契約した」ともう一度言った。
「なぜ?」
「なぜって……。強くなれると、思ったから」
強く。確かに魔王と契約すれば、強大な力を手に入れることができる。
が、その強さは魔王を倒すために必要なのではないか。
俺が尋ねるより前に、エドワードはわかっているとばかりに手を前に出した。
そのまましばしの静寂が落ちる。続きを急かすことはしなかった。
ただ、待つ。エドワードの準備が整うまで。
「……魔王討伐とか、どうでもよかった」
「え」
予想外の発言だった。
「ただ、強くなりたかっただけだ、……強くなって、認められたかった」
そこで間が開いた。
「……強くなれば認めてもらえると思った」
こぼれるような声だった。
「俺の母親さ、俺を産んだから死んだんだ」
「……」
それ自体は薄々勘づいていた。そもそも出産なんて命がけだ。そういうことも珍しくないだろう。
しかしエドワードがそう認識して生きていることが、とてつもなく悲しく思えてきた。
エドワードの声は凪いでいる。しかし手はベッドのシーツを握りしめていた。
「だから父親も兄姉も俺のこと嫌いなわけ。まぁ、気持ちはわかるけどよ」
エドワードは顔色一つ変えなかったのに、俺の心臓が嫌な痛み方をした。
しばしの沈黙が落ちる。俺はただエドワードを見つめてその先の言葉を待った。
「……でも、それでもやっぱ、存在を否定されるのって、きついんだわ」
そんなの当然だ。ましてや子どもが、家族に疎まれるなんて。膝に置いていた手に力が入る。
たとえエドワードが原因でも、エドワードのせいじゃない。
それと同時に、妙に腑に落ちた自分が居た。
俺がエドワードを初めて見たときに感じ取った孤独が。
そしてどこか自分と同じ、しかし俺よりも強く切実な匂いが。
後からどんな形のもので覆っても決して埋まることのない、深い場所に根付いた寂しさ。エドワードはいつだってそれを纏っていた。
思わず手が伸びて、エドワードの手を握った。びくりと跳ねてから、シーツを掴むのをやめた手が握り返してくる。大きなその手が今は頼りなく見えた。
「誰かに認めてほしかった。そこに居てもいいって言ってほしかった。……愛して、ほしかった」
言葉がどんどんエドワードの口から零れ落ちてくる。どこか痛ましい内容とは裏腹に、口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「こんなんなっても一緒に居てくれんの、お前だけだよ」
こんな。勇者でありながら魔王と契約し、素行不良で仲間に見捨てられ、魔力を失う。
「ありがと、な」
自分の目が見開かれるのがわかった。
「……はい」
感謝したいのは俺の方だが、変な否定の言葉を言うほど野暮でもない。
代わりに言うべき、いや言いたい言葉はわかっていた。




