第16話 無力でも
「へぇ、すげぇな」
エドワードは俺の持っている小瓶をひょいと持ち上げると、下から覗き込んだ。
「はい。人体には無害なので、安心して使えます」
「じゃ、これは? 袋に入ってるってことは有害なのか」
「はい。対人用です。もっとも、殺傷能力はありませんが」
エドワードは本当に部屋を一つしか取らなくなった。一緒に食堂でご飯を食べ、順番に体を拭いたり湯を浴びたりして、少しの間のんびりと過ごす。それぞれ何か作業をする日もあれば、二人で取り留めもないお喋りをすることもある。そしてそれぞれのベッドで寝る。週に何度か……そういうことも、する。
「……なぁ、お前が前に居た世界って、どんなだった」
思わず動きが止まった。エドワードが俺の個人的な領域に関心を持つのはこれが初めてだったからだ。
「えっと、そうですね……。魔法がなくて、代わりに科学技術……物理的なものが発達していました……」
俺の下手な説明をエドワードは真剣に聞いている。しかし俺がさりげなくエドワードの生い立ちについて聞いてみても、はぐらかされてしまった。
「……なぁ、お前さ」
「はい」
「……いや、なんでもねぇ」
「そうですか」
エドワードの手が伸びてきて、頭を引き寄せられる。そのまま乱暴に口づけられた。
今日は世界一幸せな気絶をさせられる日だ。多幸感のまま体をエドワードの方へ寄せる。
大好きなエドワードの香りに包まれた。
「ん……?」
目が覚めると、まだ外が真っ暗だった。気絶した日は大抵朝まで目覚めないのに、珍しい。
他人事のように寝ぼけた頭で考えていると、俺を起こした物音に気が付いた。
エドワードだ。
血の気が引き、一気に頭が覚醒する。
音を立てないようにベッドから立ち上がり、いつも持ち歩いている護身用の道具だけ持ってエドワードのあとをこっそりと追いかける。
前に居た世界と比べればここの夜中は随分と暗く、店などもやっていない。わざわざ出かけるなんてただ事ではなさそうだった。
なんだかとても、嫌な予感がする。
バレない程度に距離を取りながら、エドワードの後ろをついていく。前もこんなことがあったなと、思いながら。
あのときは四人だったが。そして人が少なく静かな夜中に尾行をするのは、昼にするよりずっと難易度が高い。そして何より、暗くて見失いそうだった。
エドワードはぐんぐん進んでいく。見失わないように、そしてバレないようについていくのが精いっぱいで、気が付いた時には人里離れた場所に居た。どこへ何の用事で向かっているのか見当もつかない。
それでもただひたすらについていく。そこでようやく違和感のようなものに気が付いた。
いや、違う。これは違和感なんて曖昧なものじゃない。
強い魔力だ。
魔力に馴染みのない俺にも感じ取れるほどの強烈な魔力。それもクローディアやマーガレットから感じるようなどこか優しさや穏やかさを含むものではなく、魔法やら魔力やらの知識がないことが悔やまれるが、クローディア達のものを光の魔力とするならこれは、これは闇の魔力とでも言うのがふさわしいだろう。
とにかく何か良くない場所であると感じさせるものだ。
帰りたい。意思とは関係なくそんな感情がこみ上げてくる。早くここから離れないと。本能がそう訴えかけてくる。
しかし逃げるわけにはいかない。ここが危険な場所であるなら尚更、エドワードを置いて帰るわけにはいかない。
というかなんでエドワードはこんなところに来たんだ。もうなんでもいい。早くエドワードをここから連れ出したい。
洞窟の中に入っていくエドワードを、入り口から伺う。エドワードはこの強烈な魔力を浴びてもなんともないのだろうか。暗くて表情が見えない。
足音が外まで響いてくる。
しばらくして、なにやら話し声のようなものが聞こえてきた。
中に誰か居たのだろうか。待ち合わせとか? 公にできない相手との密会だと言うのなら、こんな真夜中に洞窟の中で会うというのも頷ける。
しかし公にできない相手とはいったい誰だろうか。よからぬ相手な気しかしない。
話の内容までは聞こえなかった。しかし洞窟の中はそこまで広くなさそうなので、中に入るのはリスクが高い。ただ入り口付近で息を殺し、耳を澄ませる。これで単なる女性との密会とかだったら、俺は完全なる変質者だ。
帰ろうか、そう思った瞬間、洞窟の中から何かが爆発したような音が響いた。思わず洞窟の中へ駆け込む。
「エド!」
洞窟の中は、外から察せられた通り広くなかった。
暗闇に慣れた目がすぐにエドワードを見つけ、すぐに自分の目を疑う。
エドワードは血を流して倒れていた。
転がるようにエドワードに近づき、その身体を抱き寄せる。手にべっとりとエドワードの血液が付いた。
「チハヤ……? なんで」
その声は掠れていて、ほとんど吐息のようだった。
呼吸が浅くなる。心臓が痛い。目の前の現実を受け入れることを拒否するように、思考に靄がかかっていく。
それでもなんとか自分の服をはぎ取り、傷口に巻き付ける。しかしどこか現実味がなく、一連の動作をする自分を一人称視点の動画で見ているような錯覚を覚えた。
「まだそいつにも仲間が居たか」
「……っ!」
聞きなれない声。しかし一つだけわかることがあった。
エドワードを攻撃したのは、コイツだ。
俺に勝ち目がないのは火を見るより明らかだった。ただ本能的に、エドワードを抱き寄せる腕に力が入る。
「まぁいい。お前の魔力では相手をするまでもない」
そう言うと、声の主はすっと暗闇に消えていった。「は?」と思わず間抜けな声が出る。
見逃された、のだろうか。
腸が煮えくり返る、とはまさにこのことだろう。しかし今はそんなことをしている場合ではない。
今俺にできること。エドワードを人のいるところ、できれば病院まで連れていくこと。
「チハヤ……」
「大丈夫ですよ。俺が今、助けますから」
「いい……」
「え?」
「当然の、報い、だ……。このまま……っ」
「馬鹿なこと言わないでください!」
思った以上に大きな声が出て、洞窟の中を反響した。その拍子にいつの間にか出ていたらしい涙がエドワードの上に落ちる。エドワードの目が少しだけ見開かれたが、それ以上口を動かす気力も表情筋を動かす気力もなさそうだった。
「今、俺が、助けますから……」
エドワードにというよりは、自分に言い聞かせる。
傷口が開かないようにそっとエドワードの体を抱き上げた。自分よりもガタイのいい人間、それもほとんど力の入らないような状態で、かつ傷口を広げないように抱えるのは至難の業と言っていい。
動いた拍子に、ポケットから何か落ちた。
「伝達魔法石……」
クローディアと繋がるもの。捨てたかと思っていたが、無意識にポケットに入れていたらしい。
落ちた衝撃で、発光し始める。暗闇に慣れた目ではあまりに眩しかった。




