インサイド・トヨタ(3)
現在、トヨタ自動車の代表取締役会長を務める豊田章男氏。
章男氏は慶應義塾大学を卒業後に渡米し、バブソン大学のビジネススクールに入学してMBA(経営学修士)を取得する。
MBAを取得した後はアメリカの投資銀行に勤務するが、それでも自分が豊田家の人間であるという周囲の目は消えなかったという。
章男氏は自分の半生を次のような言葉で語る。
「私の人生ってね、もう色眼鏡だけなんじゃないですかね。
創業家とかね。
だからなんで自分自身の等身大のね、素の自分をみてくれないのっていうのは、もう生まれたときからずっとじゃないですかね」
悩んでいる中で、上司に、「同じ苦労をするのなら、トヨタのために苦労したらどうなんだ?」という言葉を受け、トヨタ自動車への入社を決意する。1984年のことだった。
トヨタ自動車への転職を決意した章男氏に対して、父親の章一郎は「(章男を)部下に持ちたいと思う人間は今のトヨタにはいない」と戒めたうえで、特別扱いはしないと言い渡したという。
章一郎はトヨタ自動車創業者、喜一郎の息子で、1982年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の「工販合併」で誕生したトヨタ自動車株式会社の初代社長に就任していた。
トヨタ自動車入社後の章男氏は、生産管理や国内営業などを担当しながら順調に出世を重ね、2000年に取締役、2005年には副社長に就任する。そして、2009年1月に、社長に就任する。
しかし社長就任当時は、前年(2008年)のリーマン・ショックの影響を受け、トヨタは71年ぶりに営業赤字に転落していた。
その時のことを、章男氏は次のように語る。
「創業家なんだから社長にしてあげたでしょ。
なら早く赤字の責任取って辞めなさいよ。
あとは我々がやるから」
そのような声にならない声を受けながらの船出だった。
さらに2010年にはトヨタに、そして章男氏に大きな危機が訪れる。
トヨタ自動車の大規模リコール問題である。
カリフォルニア州でトヨタ車を運転中に事故が発生し、家族4人が亡くなる。その事故のきっかけとなった急加速の原因がトヨタ車にあると主張された。
これらの事故と原因に関する主張などについてアメリカで大々的に報道され、アメリカではトヨタに対するバッシングが吹き荒れた。
事故の原因調査はアメリカ合衆国運輸省が主導して行われたが、運輸省の最終報告では、トヨタ車の電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された。
しかし、トヨタはこれらの騒動の中で1000万台に上る大規模リコールを余儀なくされることになった。
この騒動の最中、社長である章男氏は米国の公聴会で次のような有名な証言を行っている。
「ご存知のように、私は創業者の孫であり、すべてのトヨタ車には私の名前が付いています。クルマが傷つくことは私自身が傷つくことと同じなのです」
この言葉は、創業者の孫という重みを受け止めた中で、クルマの品質に対する全責任を自分が負うということを表現した言葉だった。




