ワールドカップ事件簿(7)
1949年に分断国家となった「東ドイツ」と「西ドイツ」は、1974年に行われた第10回大会の1次リーグで初めて対決する。
大方の予想では西ドイツ勝利と見られていたが、結果は1対0で東ドイツの勝利だった。
東ドイツの1点は、エースストライカーのシュパールヴァッサーが決めたものだった。
その後、西ドイツは第10回大会でワールドカップ優勝を成し遂げている。
東ドイツはワールドカップの優勝国に勝利したことになり、また何よりも、西側の象徴であった西ドイツに勝利した。
その勝利は東ドイツの共産主義政府のプロパガンダに徹底的に利用されたという。
国営放送で、東ドイツの勝利を称える番組が長年にわたって何度も流された。
シュパールヴァッサーは一躍、東ドイツの英雄となった。
しかし、東ドイツの英雄となったはずの当のシュパールヴァッサーは、1988年に東ドイツを捨て、西ドイツに亡命している。
その後、「西ドイツ」と「東ドイツ」はどのような道筋を辿ったのか。
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊。
1990年10月3日、東西ドイツ統一。
1949年に分断されたドイツは40年の月日を経て、東ドイツが西ドイツに編入する形で再び一つの国に戻った。
後年、シュパールヴァッサーはテレビ番組の中で、東ドイツ時代のことについて次のように述懐している。
「あのゴールは終わりの始まりでした。
何年もの間、東ドイツのスポーツ番組で放映されました。西側への挑発としてです。
当時、多くの人が体制に反対していたため、ゴールによって憎悪はさらに強まり、私にぶちまけられました」
シュパールヴァッサーは共産主義政府によって英雄に祭り上げられた。
しかし共産主義政府に反感を持つ一般民衆にとっては、彼が逆に憎悪の象徴になっていた。
それが、彼が東ドイツを捨てた理由だった。




