ワールドカップ事件簿(3)
ウルグアイで開催された第1回ワールドカップが大成功したことで、欧州各国の大会への関心が高まる。
第2回大会の開催国に立候補したのはイタリアとスウェーデンの2カ国。
当時のイタリアは、ファシスト党総裁ムッソリーニによる一党独裁国家だった。
ムッソリーニはワールドカップを独裁政権のプロパガンダに利用しようと考えていた。結局8度のFIFA総会を経て、イタリアは「参加国の経費を全て負担」することを条件に大会招致に成功する。
優勝が至上命題のイタリアは、なりふり構わず勝つための策を巡らせる。
イタリアでは1929年にセリアAが創設され、18チームによる全国リーグをスタートしていたが、有力クラブは次々にアルゼンチンなどの南米から有力な選手たちを獲得していく。そして彼らをイタリアに帰化させ、帰化選手がイタリアチームの大半を占めた。
第2回大会は、初めて大陸予選が行われた大会である。
第1回大会は予選が無く、本大会出場国は開催国であるウルグアイの招待によって決まっていた。
参加国は前回の13カ国から32カ国に増加し、そのうちの22か国をヨーロッパ勢が占めた。ノックアウト方式の予選を勝ち抜いた16チームが本大会に出場したが、アジア・アフリカには本大会出場枠1が割り当てられ、エジプトが本大会に初出場している。
第2回イタリア大会は、「史上最低のワールドカップ」として知られている。
多くの審判がイタリアに買収されており、イタリアに有利な判定を繰り返した。
その当時優勝候補筆頭であったオーストリア戦においては、オーストリア選手のセンタリングを審判自らクリアしたということもあったらしい。その審判は、ワールドカップ後に母国から出場停止処分を受けている。
決勝はイタリア対チェコスロバキアだった。
決勝戦は70分の時点でチェコスロバキアが1対0でリードしていたが、その後2点を取り逆転したイタリアがワールドカップ初優勝を果たす。
後年では「史上最低のワールドカップ」と呼ばれる第2回大会だったが、イタリアが初優勝し、サッカーで愛国心を刺激して政権の盤石ぶりを示そうとしたムッソリーニの構想は大成功裡に終わる。
その成功をそばで見ていたのがナチス・ドイツを率いるヒトラーだった。
ヒトラーはムッソリーニのやり方を参考にして、第2回ワールドカップの2年後に開催されたベルリン五輪で同じことを繰り返すことになる。
ナチス・ドイツは、国威発揚や自国のプロパガンダ宣伝の為にベルリン五輪を利用した。




