ワールドカップ事件簿(2)
第1回ワールドカップは、1930年にウルグアイで開催された。
それ以前、サッカーはオリンピックの競技種目として国際大会が行われていたが、オリンピックはアマチュア選手中心の大会であり、プロ選手が参加できるような国際大会がなかった。
そこで、当時、国際サッカー連盟(FIFA)の会長を努めていたリメ氏が中心となって、「世界最高のサッカーチームを決める独立した大会を開催しよう」という機運が高まる。
1928年のFIFA総会で「アマチュアだけでなく、真の世界一を決める大会を創設する」ことが正式に決まる。そしてその2年後の1930年に、ウルグアイで第1回大会が行われることになった。
ウルグアイは1924年、1928年とオリンピックチャンピオンとなっておりサッカーの実力も伴っていたこと、また近代的なスタジアム建設を約束したこともあって開催国に選出されている。
ワールドカップは現在では、経済規模において世界最大を誇るような化け物のような大会になっているが、第1回ワールドカップには13カ国しか参加していない。
しかも、地区予選は行われず、全てのチームはウルグアイサッカー協会からの招待で参加した。
しかし、ほとんどのヨーロッパのチームは、プロ選手の派遣にクラブが難色を示したことや、3週間におよぶ船旅の負担を理由に出場を辞退する。
その当時、ヨーロッパから南米に行くには船旅が主な交通手段だったのだ。
それも時代を感じさせる。
結局、FIFA会長が参加を呼びかけた結果、ヨーロッパからはベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国のみが参加することになった。
実は、アジアからは日本も招待されていた。
しかし、大日本蹴球協会(現日本サッカー協会)は参加を見送る。
ワールドカップ開催は7月中旬が予定されていたが、5月末に自国開催となる第9回極東選手権競技大会を控えていて、ワールドカップに選手派遣が間に合わなかったからと言われている。
ヨーロッパからウルグアイには3週間の船旅が必要だったが、日本からウルグアイへの移動にはそれ以上の、1ヶ月半もの船旅が必要だった。
結局、日本は68年後の1998年のフランス大会でようやくワールドカップへの初出場を果たすのだが、もし第1回大会に参加していたら日本におけるサッカーの歴史も少しは違っていたのかもしれない。




