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人質

 仏前には手向けの蘭や菊、蓮の花などが供えられており、手厚く弔われていることが一目でわかる。ここに毎日のように経を上げ、花の手入れをすること。それが今の自分が唯一、家族にしてやれることだという。にも拘らず、無粋にもそいつは、この仏間にずかずかと入って来た。


「もう、そんな顔しないの。この闇街を一緒に切り盛りしてきた仲じゃないの」

「羅漢……わしゃあ、おまんと協力した覚えはないわい」


 そんな無粋な羅漢という男に虎杖は、当然嫌悪感を抱く。だが、その表情からは無配慮な行動という理由で片づけきれないほどの憎悪のようなものを感じる。


「相変わらず無愛想ね」

「おまんのような不逞な野郎に合わせる愛想もないわ」


 正座を崩して、膝をはらって立ち上がり、羅漢に敵意の眼差しを差し向ける。羅漢はそれを、歌舞伎役者の女形のように艶めかしい薄ら笑いで跳ね返す。


「商談の客にくらい、愛想を向けなさいよ」

「けっ、商談……? 戦争かなんかの間違いやろ」


 その薄ら笑いをさらに、鼻にかけた笑いで弾き飛ばす。商談の目的で来たという羅漢の言葉をまるで信用していない。虎杖はこの羅漢と言う男の目的や気質を知っている。どのような人物かを把握したうえで敵対している。長年ずっといがみ合ってきた間柄というわけだ。


「いいえ、商談よ。特注品を用意してきたわ」


 腰に忍ばせた脇差に今にも手をかけようかというほどの虎杖の殺気に対し、羅漢は余裕の口振り。それどころか本格的に商談に入ろうとしている。懐から取り出したのは、虎杖にこの賭場で売りさばいてほしいという商品。ビニール袋に入った白い粉末状のもの。それが何かは語るまでもない。


「んなもん必要はないわい」

「あらぁ、残念ね。あなたにはこの価値がわからないというの? こいつは、この賭場に巨万の富をもたらす」


 分っていないわけではない。だが、そんなものに手を染めて得た金に何の意味があろうか。それに、そんなことをしでかしては、誰よりも自分の守りきれなかった家族や、あの人がどれだけ悲しい思いをするか。


「ひとたび手を伸ばせば最後……、強い依存性により、こいつがなくては生きられない身体になってしまう。禁断症状と、これ自身の持つ精神錯乱作用により判断力をなくした愚人どもは、自らの器を度外視して大金をつぎ込むようになる……」

「いらんと言うちょろうがっ!」


 羅漢が渡して来た白い粉を突き返す虎杖。

 羅漢は再三この交渉を虎杖に持ちかけてきていた。賭場で麻薬を売買し、得た収益の一部を自分のところに流し込めというのだ。交渉に応じなければ、賭場を乗っ取られる。なんともたちの悪い地上げだ。


「あら……、残念ねぇ」


 どう転がってもこの賭場は、羅漢に牛耳られることになるのだから。

 それを知ってのことで、羅漢は男の傲慢さと女の嫌味たらしさを混ぜたような笑みを浮かべる。


「でもあんまりにもいい商品だったから……、先にばら撒いちゃったわ」


 すると突然、仏間のふすまが倒れ、隣の部屋や廊下から男どもがわらわらと集まってくる。いかつい顔に屈強な身体をした、いかにも用心棒というような男たちだ。


 だが、問題はそこではない。皆が皆、見知った顔をしている。


 長年いがみ合ってきた敵同士、顔見知りぐらいいるかもしれない。そんな話でもない。この賭場を一緒に取り仕切っていたはずの同胞たちが、揃いも揃って反旗を翻してきたのだ。


「おまんら……、これはいったい何のつもりや?」

「そう責めたりしないの。彼らだって悪気はないのよ。ただ……この薬、仙丹せんだんの虜になってしまっているだけなのよ」



*****



 蘭華は力を失って石畳の床に膝を折る。くるぶしから膝までの落差でも擦りむいてしまうほどの、固く粗い床だ。薄い水たまりに血がゆっくりと滲み、溶けていく。だが彼女にとっては、擦りむいた膝の痛みなど遠くに及ばない。自分の目の前で消えていった光に比べれば。


『知りゃぁせんわ。そんなやつ、聞いたことも見たことも……。ありゃぁせんわ……』


 自分を捨てた父を探して、ただ探して放浪し、たどり着いた先で牢に入れられた。もう自分はこの牢屋からは出られないのだろうか。どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


(早く寝なさいと言われていたのに、親の帰りを待つうちに夜更かしが板についてしまったから? あたしが悪い子だから?)


『どんなに寂しくなっても、たとえお母さんがいなくなってもお父さんには、逢いに行かないって』


(その約束を破ってしまったから……?)


 答えのない自問自答の果てに行きつくは、ただただ涙、涙。頬を伝って、床に薄く張った水に波紋をつくる。


「……、おとう……さん……」


 泣き崩れる蘭華の背後で、大吾とアザミはひどく冷静に物事を分析していた。

 第三者が最も正しい判断ができるとはよく言ったもの。ふたりの頭の中にはどうも引っかかるものがあった。それは蘭華から光を奪い取ったあの男の言葉。


『知りゃぁせんわ。そんなやつ、聞いたことも見たことも……。ありゃぁせんわ……』


 運ツキの仁兵衛は、博徒どころか賭場に足を運べばまず耳にするほど有名な人物。それを賭場を取り仕切る棟梁ともあろう男が見たことも聞いたこともないなどあり得るのだろうか。

 それに加えて、その言葉を口にしたときの素振りも気にかかる。男は蘭華の声を聞いて立ち止まり、話し始めるまでに煙管をくわえて一服。こう言ってしまえば何の不自然もないようにとれるが、その背中から何やら思いつめたような雰囲気を感じ取った。煙管をくわえたのも、思慮する時間を稼ぐため、もしくは答えを言いたくがないための、束の間の現実逃避のように思えてしまう。


「あの男……、確実に何か知っている……」

「ああ、俺もそう思う」


 だが、そこまで察しがついたところでこの牢屋を出なければ、男に詰め寄ることすらできない。とりあえず辺りを見回して出口らしいものを探してみるが、石造りの地下牢には明り取りの窓すらない。


「しかし、こっから出るのはかなり絶望的だな」

「お前の背中に刺青で地図でも書いてねえのか」

「なんで俺がプリ〇ンブレイクの真似事しなきゃいけねえんだよ」


「脱獄ならば、穴掘りがセオリーだが……、穴は通気口ぐらいしかないな」

「排気ダクトくらいの太さがあれば通れなくもないが、ありゃ鼠ぐらいしか入れないな……」


「まあ、お前みたいなガチムチは排気ダクトも通れそうにないな」

「うるさい、牢屋の中でくらい減らず口を抑えろ……」


 人間が入れるような大きさではないその通気口は、まさに鼠の出入り口となっている。だがそんなものでは、三人をこの牢屋から脱出させるのに事足りるはずもない。もしやあの穴が広がってくれやしないだろうか。ありもしない希望を持つように、天井に開いた通気口の中をぼうっと見上げるふたりの耳に、しゃりんという金属同士がぶつかる音が。


「いたっ!」


 アザミが声を上げて鼻を抑える。彼女のくっきりと整った鼻筋を、何かが落ちてきて、打ったのだ。それはアザミの顔面から転げ落ちて、石畳の床の上にじゃらりと音を立てて落ちる。薄暗い地下牢のわずかな光を集めてきらりと光る金属の輪っか。

 輪っかの先についているのは、――鍵だ。


「こ、これは……」


「いくらなんでもご都合展開過ぎじゃないか」

「そういう事は思っても言うな」


 おそらくはこの牢の鍵。誰かがご都合よろしく通気口の中に投げ込んだのだが、その主は誰だろうか。鍵をよく見やると、中に書簡を巻いてつめるのに使う、金属の筒がついている。中にはその用途通りに紙が巻いて入れてあり、受け取る側が読むことを想定していると見える。


「……送り主からの文か」

「ご丁寧なことだな」


 そこで、泣いていた蘭華がこちらを振り返る。


「……なんだ、その鍵は?」

「さっき天井の通気口から落ちて来たよ」

「も、もしかしてここの鍵じゃ」


 四つん這いになって、ふたりのもとに歩み寄り鍵を手に取り、鉄格子の向こう側に、南京錠の鍵穴に鍵を入れ込もうと必死に必死にか細い腕を伸ばす。その間にふたりは書簡を広げて読んでみた。そこには短い文と送り主の名前が添えられていた。



今はまだ逢えぬ。 仁兵衛



「あ、開いたぞ!」


 蘭華は嬉々として、鉄格子の扉に巻き付かせた鎖をほどいていく。鎖がほどけ、扉が開き、脱獄が可能となったところで、仁兵衛と差出人のついた例の書簡を渡すと、さらに大きくにっこりと笑みを浮かべた後に深い安堵に胸を撫で下ろした。確かに、確かに仁兵衛はこの世にいて、自分の存在を感じてくれている。

 それに、今もこの近くにいるかもしれない。


 運ツキの仁兵衛は、……お父さんはきっとここにいる。


 蘭華はそう確信するも、まだふたりは何かがおかしいと思っていた。どうにも怪しい。いくら賭場に精通しているとはいえ、賭場はこの世に五万とある。

 それでいて、この賭場の通気口の仕組みを理解していなければなせないような芸当をできるのだろうか。そもそもここにいるのなら、なぜ蘭華の前に姿を現さなかったのか。――思考に耽っていると、やっとの再会に頭の中がいっぱいになってしまっている蘭華に先頭を切られてしまう。


「ま、待てっ! 行動を早まるなっ!」


 早まる蘭華に、アザミの制止の声は届かず。もちろん音もなく影から忍び寄る男のことなど気付くはずもない。気付いた時はもう遅い。蘭華の喉元には、ぎらりと光る刃が突き立てられていた。




*****



 仙丹は精神錯乱性を持つ一種の麻薬。

 使い方を工夫すれば、人を洗脳し、道具として使うこともできる。洗脳された際の自覚はもちろんなく、痛覚は鈍る代わりに興奮作用により、運動能力や嗅覚・聴覚は通常よりも強調されるという。仙丹により、虎杖の部下たちは操られた状態になってしまった。


「知ってるんでしょ?」

「……何のことや?」


 その群衆により、虎杖を取り囲み、羅漢の尋問が始まる。相手を物理的ではなく、精神的に手も足も出せない状況に追い込んでの尋問だ。何とも姑息だが、虎杖の胸中に秘めたることを炙り出すには都合がいい。


「運ツキの仁兵衛の居場所よ、あなたが匿っていることは読めてるわ」

「……知らんと言うちょろうが」


 だが、それでもしらばっくれる虎杖に対し、羅漢はついに奥の手を出す。


「その娘を殺すとしても、言わぬか」

「なっ……、じゃが……」


「場所を知らぬとでも? 知らなくば、わざわざお前のところになど来るはずもなかろう」


 そう。羅漢の奥の手とは、仁兵衛の娘、蘭華を人質にとること。


「仁兵衛の居場所を教えなさい。さもなくば、その娘の喉元をかっ裂いてやるわ……」


 虎杖と仁兵衛はかつては、街をにぎわす博徒と侠客という異色の組み合わせで名を馳せていた。街は今は、麻薬や闇市がはびこる闇街に成り下がってしまったが、昔はそうではなかった。

 博打を勝負事として嗜む者の集う粋な街だった。そこを渡り歩くふたりは、互いを盟友としていた。


 その娘を人質に取られたということに虎杖は狼狽える。

 拳をきつく握りしめ、腕に青い筋を走らせた後、事のすべてを理解し、力が抜けて拳はほどかれた。虎杖は屈するしかなかったのだ。 



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