父を尋ねて
両の腕を後ろ手でくくられ、電車ごっこよろしく三人は縄でつながれる。
その前後を着流し姿の男がついて回り、罪人とみなされた三人は大人しく地下の牢屋に連れられる他はなかった。戦闘を歩く地下牢への案内人は、この賭場を取り仕切る棟梁。
身体にいくつも傷があり、一目で危ない仕事ばかりをしているということがわかる。このような賭場や遊郭などを取り仕切る人物と言えば極道の者と相場が決まっている。
彼はまさしくその相場通りの人物なのだろう。下手には逆らわないほうが良さそうだ。
「大吾、ひとつ質問がある……」
「なんだよ」
極道の男の後ろ姿を見て、そんなことを頭の中で考えながら歩いていると背後から声がした。後ろにつながれているアザミの声だ。
「どうしてこんなことになったんだ?」
「お前のせいだろうがっ!」
「どっちにしろ、バレてしょっぴかれてたよ。イカサマして、誘いだそうだなんて安易にもほどがある。はぁ……頼ったあたしが馬鹿だった……」
さらに後ろからため息とともに吐き捨てる蘭華の呆れた声。
「お前は頼んでおいてなんだその言いぐさはっ!」
「黙りぃ、イカサマ仕込んどったくせに、何をガタガタぬかしちょるか」
拘束された罪人のくせに口喧嘩を始めた三人を、どすの利いた低い声で制止する。癖のある西日本方言のせいもあってか、ただものならぬ気迫だ。大吾も無意識のうちに生唾をごくりと飲み込んでしまう。それからはただ黙って、薄く水の張った冷たい石畳の床を歩くのだった。
ぺちゃり、ぺちゃり。ぺちゃり、ぺちゃり。
歩幅の違う濡れた足音たちが木霊する。だが、よく聞くと不協和音が混じっている。それにアザミはかすかに気付いた。そしてなにやら妙な気配も。
(……この感じ、匂い……。どこかで……)
極道の男の脚がはたりと止まる。窓もなく外の光は一切入らない。天井を危なっかしく伝う電線にぶら下がる裸電球の心もとない灯だけが唯一の光。そんな薄暗い中ではよくわからないが、どうやら牢までの案内が済んだらしい。
「それより、なんや珍しい奴も引き連れちょるなぁ」
視界がゆっくりと暗がりに順応し、ぼんやりと少々錆びついた鉄格子が見えてくる。極道の男が鍵を開け、鎖をほどき、鉄格子の扉を開ければけたたましいばかりの金属のきしむ音。石壁や床には苔が生しており、その湿り気のせいで蝶番が馬鹿になってしまっているのだろう。
「博徒の中の神童と謳われたおまんも、ただのイカサマ師やったか」
ここで蘭華の博徒としてのプライドにひびが入った。奥歯をかみしめ、拳に青筋を浮かび上がらせるが、そこまででは治まらない。
「ば、バカにするなぁ! あたしはイカサマなんかやってない!」
「黙りぃと言うちょろうがぁ!」
声を上げる蘭華に、矢のように鋭い眼光と鋸の刃のごとく荒々しい声が突き刺さる。喉と心臓のあたりだ。声と思考を一瞬にして奪われた。弱肉強食の時代をまだ人が生きていたころの、強き者に服従する本能。それを意のままに刺激するような術を、彼は心得ていた。
(――口が動かない。身体が動かない)
三人は牢の中に入れられ、鉄格子の扉に鎖が巻かれて南京錠で固く施錠がされる。
早くしなければ、早く声を出さなければと蘭華は自分に言い聞かせる。もう、こうなってしまえば直接聞きだすしかないからだ。自分がずっと探し尋ねて来た人のことを。
本能をねじ伏せ、魂の底から声を出し、その背中を呼び止める。
「待てっ!」
極道の男はぴくりと肩を跳ねあがらせて、立ち止まる。
蘭華の気迫が、彼のそれをかすかに上回った瞬間だ。
「どこに……いる……?」
「ど……、どこに……いるのか……、教えてく……れ……。運ツキの仁兵衛は、今っ……どこにっ!」
鉄格子の向こう。暗がりの中で煙管から立ち上る煙がぼんやりと闇に溶けていく。彼は蘭華の方には振り返らない。
「……、……」
返答をする前にもう一度煙管を口にくわえ、紫煙をくゆらせる。そして一言。
「知りゃぁせんわ。そんなやつ、聞いたことも見たことも……。ありゃぁせんわ……」
煙にまいた答えを返した。蘭華はそれまで身体を支えていたなにかがすっぽりと抜けてしまったかのように、己の体の重さに任せて膝を折った。床に手をつき、歯を食いしばり、肩を震わせる。彼女の脳裏には、幼き頃に聞いた母の声が聞こえていた。
***
右の頬に温もりが感じられる。母の膝枕だ。今よりもずっと小さい自分が母の膝に頭をもたげて、髪が優しい母の手によって撫でられる。仲睦まじい親子のやりとり。だが蘭華はどこか浮かない顔をしていた。
「ねえ、お母さん」
「なんだい」
母親もどこか憂いを帯びた声色をしている。そして、それを娘に読み取られまいとしている様子も、少しだけ感じられてしまう。
「あたしには……、なんでお父さんがいないの?」
その娘の質問に、すぐに答えられないというところからも。
「ねえ……どうして……?」
母親の唇がかすかに震えている。
「ねえ、お母さん、あたしの……お父さんってどんな人だったの?」
蘭華は自分の父親を知らなかった。生まれて物心ついてから自分の家には母親しかいない。自分が知る家族は母親だけだ。自分のために汗水たらして夜遅くまで働いて、それでも傾いた家を支えるのがやっとで、日に日に疲労でやつれていく母親だけだ。
「……忘れなさいって言ったでしょ。あの人は賭け事の運のために自分の家族を捨てた、ろくでもない人なのよ」
「嘘だよ、お母さんはろくでもない人のとこになんか行ったりしない」
母親は、敵わないなぁとため息をひとつ漏らす。そして思い立ったように乾いた笑みを浮かべてそっと優しく口を開いた。
「じゃあ、約束してくれる?」
「何を……?」
「どんなに寂しくなっても、たとえお母さんがいなくなっても、お父さんには、逢いに行かないって」
そう、ずっと探し尋ねていた。賭け事の運のために自分を捨てた男。自分を捨てて賭場を渡り歩いてサイコロを転がす博徒。
『せめて言うならその賽を渡しに来ただけだ。いつか…、運が尽きたろくでなしにあったらそれを渡してくれ』
ひとりぼっちで雨に降られていた自分に、そう言ってサイコロをくれた男がいたという。ただそれだけ……、それだけなんかではない。彼は、運ツキの仁兵衛は。
「……おとう……さん……」
その言葉が口をついて出てきたところで、一粒の滴が石畳の上の浅い水たまりに静かに溶けて行った。
*****
「虎杖の兄貴ぃ、また厄介な囚人が増えやしたねえ」
地下牢の入り口へと続く鉄製の扉を閉めて施錠をしたところで、虎杖はまた部下の男に声をかけられる。いつも彼はそれを冷たく突っぱねながらも、煙管をくわえて余裕のある対応をするのだが、今回は違った。口角をぴくりと震わせた後、唇をゆがめる。
「……悪い……、少々胸に悪いもんに会ってしもうた」
虎杖は、半ば亡霊のようにふらふらと頼りなくなってしまった足取りで、階段を上り、博徒たちがひしめく地階へと上がっていく。なぜ、そんな状態になったのか。あの小娘の声を聞いたからだ。
『ど……、どこに……いるのか……、教えてく……れ……。運ツキの仁兵衛は、今っ……どこにっ!』
あの小娘の口から、運ツキの仁兵衛という名を聞いてしまったからだ。
それから、虎杖の耳にある呪いがつきまとう。同じく少女の声だ。自分の知らない少女の声が、自分を呪ってくる。
眉間にしわを寄せ、左手で頭を抱え、右手をはだけた着流しの襟元に忍ばせて、足を引きずるようにして歩く。彼の足もとには地下に空気を取り込むための通気口が。
しゃりん……。
通気口の上を彼が通ったとき、そんな音がかすかに聞こえた。
「すまんのう……。仁兵衛」
その後、虎杖は地階の見回りもろくにせずに、そのままさらに階段を上へ上へと登り、三階まで。廊下を右に曲がり、ふすまを開ければ仏壇の置かれた部屋が。虎杖は仏壇の前に敷かれた座布団に腰を下ろし、鈴の音を鳴らす。
「……、極道もんが情けないやろ……」
話しかけるが、返事はない。それもそのはず、話しかけている相手は仏壇の中に眠る人。死人に口なしだ。
「今もたまに呪いのように声が聞こえちょる。おまんと、おまんの生んだ娘が、あの世から恨んどるんやないかと……。おまんらを守れんかった、ど情けないこのわしを……」
仏壇の中の死人は虎杖の妻と娘。彼が家を空けている間に襲われ、無残にも身体を刃物で何度も何度も切り裂かれて殺されたのだという。極道の男として、斬り合いになることも少なくなかった。身体に残った傷は、その証。だというのに。だというのに、結局自分は家族さえ守ることができなかった。
「せやけん、あいつの声は……、胸に悪いんやわ……。じゃけえ、消えてもらうことにしたんや。いんや……」
守れなかった家族の前で、いまさら不甲斐ない自分が取り繕う必要もない。自分に向けた薄ら笑いを浮かべて、ため息をひとつつく。
「――いや、おまんに小細工する必要はないか……」
「まだ、あいつを仁兵衛に逢わせるわけにゃいかん。あいつの母親が死んだ今も、あいつが人質なんは変わらん。じゃけえ――」
背後でふすまが開く音がし、虎杖の背筋は凍り付いた。小刻みに震えながら、背後に忍び寄る気配の主を、知りたくないという恐怖心と知らなければいけないという危機感がせめぎ合う。少し、少しずつ首を後ろに回して振り向く。やがて、目に入ったのは長く髪を伸ばした、女物の着物に身を包んだ男の姿。
「独り言ってのは、声が小さいほうがいいわよ。誰が盗み聞きしているか、知れないんだから」




