虎杖
蘭華が頼み込んできた依頼の報酬は、先ほどの酒宴の代金だという。
ふたりには芸子がもてなす中で、刺身の船盛やなまこの酢の物に舌鼓を打つような財力などない。最初から完全に弱みを握られてしまったふたり。蘭華に逆らえば食い逃げでしょっぴかれるというのだから。素直に言うことを聞くしかない。
「それはそうと……」
蘭華が勘定を済ませる。年の割には大人びているとはいえ、あどけない顔立ちの少女が札束を握りしめて来たのだから勘定に対応した女将は狼狽えた。だが、その狼狽えもすぐさま消え失せることになる。すっかり膨らんでしまったお腹をさすり、その場にうずくまる大吾とアザミ。ふたりは動けるような状態ではなかったのだ。
「なんでそんなになるまで食べたんだ……?」
「いや……や、約束したよな……。宴会代は持つって……。だから…食えるだけ食っておかないと……ダメだろ……」
「がめついよ、こいつ。そんな状態で依頼解決できるわけないだろうがっ」
「あと……おまえ……」
「スタイル……、良かったよな……」
すっかり妊婦のようになってしまったお腹を抱えて、苦しそうにもだえているアザミ。
ここに来た時は、美女と言っても差し支えのないぐらいだったのが、何ともみっともない姿だ。
「だ、大丈夫だ……。消化が終わったら全部胸に行くから……」
「何の根拠があって言ってんだ! だいたい、そんな都合のいい脂肪のつき方するなら、あたしだってもっと食べるわ!」
もとはこのふたりを頼って、半ば卑怯ともいえる手口でふたりを丸め込んだのだが。
すっかりお荷物の存在となってしまった。
「先が……思いやられるな……」
*****
苔の蒸した石畳の床に水が床に薄く張っており、歩くたびにぴちゃりぴちゃりと音を立てる。
あまり衛生環境は良くない。それもそのはず、ここは罪人達を閉じ込めておく地下牢なのだから。
着流し姿の男は、鉄格子の向こうの罪人に、まるで犬の餌よろしく、ひとつのお盆に盛られたくさい飯を食器もなしに差し出す。差し詰め、この地下牢の看守といったところか。
「……悪く思うな……」
「罪人に情けをかけるのか……」
「わしゃ、おまんが罪人と思ったことはないわい……」
癖のある西方訛りだ。罪人として閉じ込めえておきながら、罪人とは思ったことはないという発言。
確かに、男と罪人はどこか互いに顔見知りのような様子も見受けられる。罪人の口調。そして、何よりも何故か憂いを帯びた目で罪人を見下ろす男の眼差しからそれを感じる。
「いいや、罪人だ……」
だが、それを罪人は嘲笑しながら否定した。
だが嘲笑にしては悲しい響きが湿っぽい石壁に反響する。嘲笑の対象は檻の中の自分自身。――言わば自嘲なのだろう。
「俺は、立派な罪人だ……、裁く者がいないにせよ、裁かぬわけには行かない」
「なら、わしがこうして今裁いちょるが」
「……罪人を裁く顔には見えんが。裁いているのは、自分自身ではないのか?」
罪人は男に対して背を向けている。背中に目があるとでもいうのか。いいや、そんなわけはない。男の悲しげな目線を背中で受け手のことだろう。
だとしても、気配だけでそれを読み取るとは、たぐいまれなる洞察力だ。
「……、なにを邪推しちょるか……」
おそらく、面と向かって顔を合わせていれば心の中までもまさぐられていたことだろう。男は罪人の鋭い視線を避けるかのように、罪人が背後を振り向くまでに去って行った。
「世話をかけるな……、虎杖……」
罪人は男の名前を誰もいなくなった牢屋の中で反響させた。地下牢の入り口の錆びついた鉄製の扉を男は厳重に鎖のついた南京錠で施錠する。
「虎杖の兄貴、またあの囚人を」
「ああ、そうや……」
扉をがたがたと揺らし、力をかけても開かないということをしっかりと確認したのち、振り返ると虎杖というこの男を兄貴と慕う男が。
地下牢は薄暗いため見えなかったが、虎杖の顔には縫い傷があり、まだつなぎ目が赤みを帯びていることから、そうも古くない傷だということがわかる。縫い傷は、腕やら脚やらにちらほらと見受けられ、不器用な手芸品のようにつぎはぎだらけだ。
虎杖は懐から煙管を取り出し、口にくわえて火を点ける。紫煙が煙管から立ち込めると煙草独特の香が、部下の男の鼻を刺す。
「前から気になっとったが、兄貴…あの囚人は……」
「気にすんな。ほっとけ……」
煙管から吸い込んだ煙とともに、吐き捨てるようにして男を手であしらうその様。まるで、つけ入ってほしくない部分が、胸の中にあるかのようだ。
「もう随分とここで、あの囚人をかくまっとるが――ここは賭場でイカサマなどを働いたものを閉じ込めておく場所。あの囚人は何をしでかしたっちゅう……」
そんな琴線があることをほのめかしていながら、部下の男は遠慮というものがないうのか。
ぐいぐいと話を進めていく。部下も罪状も詳しく述べられずにこの地下牢に何年も何年も閉じ込められ、おまけに虎杖というこの男に手厚く世話をされている。部下が不審感を募らせるのも頷ける。他のイカサマをしでかしたような罪人は、ものの数か月で牢を出るというのに。
あの囚人は、どれほど重い罪を重ねたのか。部下の問いかけに、虎杖は背中越しに応える。
「……。わしと同じ罪や……」
「ど、どういうこ――」
「それ以上は聞くな」
「し、しかし……兄貴」
「そんなこっちょり、言伝があったとちゃうんけ?」
詰め寄る部下の男を気迫で押し返し、本当の用を尋ねる。彼とて、最初から囚人のことを聞き出すために虎杖を待ち伏せしていたわけではない。
「あ。あ……、はい。実は兄貴、また…こいつが……」
部下の男の袂から取り出された袋に入った白い粉。それを見るや否や、虎杖は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
「……兄貴、こいつは……」
「羅漢の仕業やな……、あいつ……この賭場を手中に収めるがためにこんな真似を……。こうなるたぁ、この賭場が堕ちるのも、時間の問題っちゅうことやな」
「兄貴……、こんなこと知ったら……兄貴の盟友……。いや……、仁兵衛はんは何と言うやろうなっ――」
仁兵衛という名前を口にした途端、部下は顔を掴まれ、声を出すすべを奪われる。その拳からは青筋が浮き上がっており、虎杖の胸の中にある琴線に、部下が手を触れてしまった憤りを表していた。
「……その名は口に出すなと言うたやろ……」
「す、すんまへん……。あ、兄貴……」
「二度とそいつの名を口に出すな。言うたやろ。そいつぁ……、運ツキの仁兵衛は、とうの昔にこの世におらんとなぁ」
*****
運ツキの仁兵衛。
その名の通り、彼が勝負ごとにおいて負けを見ることはなかった。どんな局面でも、賭け事の女神は彼に微笑みかけ、すべての運と賭け金が彼の懐へと舞い込んだ。
そのツキの周りの良さと、それに見合うだけの勝負強さと腕。それを見込まれて彼はある仕事を任される。賭場にやとわれ、賭場から金が逃げないように客の中に紛れ込み、客を負かさせる仕掛け人。それが彼に与えられた仕事だった。常人なら、必ず勝てるようにイカサマを仕組んで行うこの仕事。そのイカサマが彼には必要ない。まさにうってつけの仕事だった。
だが、彼がその立場にいたのもほんの少しの間。彼はすぐさま行方をくらませた。今では半ば死んでしまったとさえ言われている、まさに伝説の博徒。
「サイコロひとつに渡した約束のために、ずっと探し尋ねているとはね」
「賭場でイカサマの疑いをかけられたとこを助けられもしたそうだぞ」
「にしても律儀な話じゃねえか」
その仁兵衛を依頼人の蘭華はずっと探し続けているのだという。
確かに、自分の危機を救ってくれた人にお礼をしたいという気持ちはわかる。しかし、そのために賭博に身を費やして、賭場を渡り歩いて、自分の人生を捧げてまで尋ねまわったりするだろうか。
「わからない」
どうして、そこまでするのか。その理由は蘭華自身もわからないという。
「博徒の中には、運ツキの仁兵衛はもう死んでしまった。そういう人も少なくない。だからって焦ってるわけじゃないけど……。協力してほしい……あの人を一緒に探してほしい」
地面に膝をついて、改めて頼み込む蘭華。彼女の頬を涙が伝う。涙を流す理由はわからない。大吾にも、アザミにも、蘭華自身にも。
「で、依頼はどうするの?」
「ガキとはいえ、女に泣かれちゃ断れっかよ」
アザミに向けて見栄を切って見せる大吾。ここまでの大吾の行動には終始呆れ調子。百年の恋もなんとやらといったところだったのが、惚れ直すとはならない。大事なことを大吾は忘れていたのだ。
「いや、もともとこれ断るとあたしら無銭飲食になるんだけど」
「……あ、そっか……」
「だから、これからどうするんだって意味で聞いたんだよ」
呆れ調子のため息をひとつついて、大吾に問いかける。
どうせ、何も策は思いついていないのだろう。そうとは思いつつもダメもとで聞いてみたのだが、大吾は何故か自信満々な笑みを浮かばせる。
「行く場所なら、決まってんだろ」
アザミと大吾と蘭華の3人は、再び無数の提灯がぶら下がる闇街の賭場へと戻ることになった。伝説の博徒を探すなら、賭場を尋ねて回るしかない。
「それでは結局、あたしと同じ寸法ではないか」
蘭華の言う通り、作戦としてはいいかもしれないが、これはずっと彼女がやってきたことだ。そうして数十、数百という賭場を仁兵衛と同じく股旅の出で立ちで尋ねまわったが、彼の所在はいまだ知れない。
「もっといい方法はないのか。あんたらの人探しの腕をうわさで聞いて頼んだんだ……もっとこう……」
「そう言われても、生憎こっちは探偵でもなんでもねえよ」
そこに同じやり方で人数が増えたところで、効率なんてたかが知れている。焦っているわけじゃない。そうとはいいつつも、蘭華はいら立ちを募らせる。
「安心しなよ。こっちもそんなにバカじゃない」
年に似合わず眉間にしわを寄せ、いかり肩になってしまっている彼女の肩に、アザミの手が置かれた。
「闇雲に探し出すつもりはないさ。こっちから誘い出すんだよ」
そう言って不敵な笑みを浮かべながら、アザミは懐からサイコロをひとつ取り出す。その瞬間、大吾と蘭華の表情は凍り付いた。
「ほうら、こいつを使ってイカサマをすればまたあんときみたいに現れるかもしれないだろ? お前と一緒でイカサマは大嫌いだったみたいだからな」
確かに、仁兵衛は蘭華と同じく、賭け事を侮辱するようなマネは虫唾が走るほど嫌いだった。その場にいれば、必ず種を明かしに躍り出てくるはずだ。
いい作戦だったかもしれない。だとしても――
「おい、姉ちゃん……わしの賭場でどうどうとイカサマ宣言するたぁ、随分と肝が据わっとるやないかい」
ここで言うべきことではなかった。




