運ツキの仁兵衛
芸子の打ち鳴らす三味線の音色が木霊する中、大吾は満面の笑みでおちょこに注いだ酒をのどに流し込み、わざとらしく至福のため息を半ば吠えるようにして漏らす。向かいに座るアザミは対照的に呆れ顔だ。その隣には三度笠をかぶった股旅姿の少女。こちらは無表情というか何ともつかめない表情をしており、ひたすらオレンジジュースに息を吹き込んでこぽこぽと泡を絶たせて遊んでいる。
「どうしたぁ、アザミ……。飲まないのかぁ?」
大吾は早くも舌の調子がおかしくなってきており、素面のアザミにとっては酒臭さも相まって至極うっとおしい。だがそれ以上にアザミには気になることがあった。
「あのさ……」
「なんだ……?」
「なんで、こんなところで3人で飲んでるんだっけ?」
「そりゃあ、あれだろ。このガキんちょが勝ちまくってくれたおかげで、大金が手に入ったからだろ」
「ああ、そうか……あたしたちだけで、こんな豪勢な酒宴開けるわけないものな」
料理は座卓やテーブルに乗せられているものではなく、旅館のように座布団の前に膳が置かれており、それだけでも豪華に見えるというのに全からはみ出さんばかりに大きな刺身の船盛まである。アザミも座敷の中でそれらが出されているのを遠巻きに見ていたことはあったが目にするのは初めてだ。
ましてや、仕事以外は遊んでばかりで万年金欠の大吾はなおさらだ。
「……って……」
「おかしいだろうがぁっ! なんで子供が稼いだ金で飲んだくれてるんだよ!」
「べっつにいいだろーがよ! こいつが勝った分は、好きに使ってくれとかいうからよー」
「だからと言って物事には良し悪しというもんがあるだろ! それでも主人公かお前はっ!」
ふたりのケンカをやけに落ち着いた調子で止めに入る蘭華。おかしな話だ。
彼女は、自分の金が目の前で他人に使われているというのに、たじろぐ様子も不平を言う様子も全くない。
(いくら賭け事に勝ったからって、見ず知らずの他人の酒宴の代金を肩代わりなんぞするか……? 何か裏があるとしか思えないが……)
蘭華の不可解な行動に疑問は募るばかり。
疑問と言えば彼女の博打の腕もそうだ。まだ幼い年頃であるにもかかわらず、いかがわしい闇街に物怖じひとつせず出入りし、賭け事をたしなむ。勝負強さと驚異的なツキの良さ。彼女の手元にあったたった3本のコマ札はあれよあれよという間に数十本までに膨れ上がり、その場に居合わせた大半の博徒は賭けるコマ札をなくして勝負を降りてしまった。
丁半は麻雀などのように戦略的な部分は皆無。すべてが運で決まるようなもの。
イカサマでもしない限り、あの勝率をたたき出すのはとうてい不可能な話。だが、この幼い少女がそんなことをしでかすとは思えない。
そもそも彼女は、既に開かれていた勝負に後入りで参加してきた。サイコロに細工を仕込むなど不可能。ということは、あの驚異の勝率は天賦の才だとでも言うのか。
にわかには信じがたいが、そうなれば彼女がこの齢で博徒たちから畏敬の念をして見られるのも頷ける。
「なぁ~に、難しい顔してんだよぉ」
「い、いや……別に……」
疑り深く思考を巡らすアザミとは対照的に大吾は酒も手伝ってか、なんとも能天気だ。心の中でため息を漏らしたところで蘭華がおもむろに口を開く。
「ひとつ、頼みたいことがある」
*****
太陽が沈み、闇街にぶら下がる無数の提灯たちが炎を宿す。これが闇街の夜明け。ここではすべての断りが逆になる。朝が夜であり、夜は朝だ。
夜明けに尋ねてきた男の身なりは、歩いていることが間違いとしか思えない。というのも、彼が着ている袈裟は大きな血のシミがついており、それも心臓がある急所の左胸の位置だ。にも拘らずこの男、何食わぬ顔で紅の絨毯の上をしっかりとした足取りで歩き、中華の王室を思わせる豪華絢爛なつくりの玉座の前に跪く。玉座には中性的で端正な顔立ちをした長髪の男性が、女物の着物を衿口を少し乱れさせて着ている。
「あら、戻ったようね……」
身なりだけでなく口調や声も女らしい。煙をくゆらせる煙管を持つ手つきも、しなやかな女性のそれを意識しているように思える。
所謂オカマというやつだ。
「籠女を薬漬けにすると息巻いていた割には、こっぴどくやられて帰って来たじゃないの」
「申し訳ありません、羅漢様。高官の正室をたらしこんで遊郭の女どもを仙丹で犯し、高官を暗殺。――あともう一歩のところで、あの色街を手中に収めるところまでは」
「言い訳は聞きたくないさね。愛染、年増の羽沼なんぞに現を抜かすからそんな目に合うんだい。こぶつきに発情してるヒマがあったら仕事しな」
「お言葉ですが羅漢様、……」
「なんだ……?」
「年増の女と言えど、羽沼には年を重ねただけの色気というものがございました。やはり年増には年増の良さというものがあります」
「いや、知らねえよ!そんなことはっ!」
籠女に仙丹という妙薬を持ち込み、色街に渦巻く大金をこの闇街になだれ込ませようと羅漢とともに画策していたのがこの愛染という男。だが、飛んだ女たらしで高官に対して兼ねてから恨みを持っていた彼の正室である羽沼に目を付けたはいいが、仕事を進めるだけでなく床まで進めていたようだ。
挙句の果てには、羽沼に裏切られる形で、自身の左胸を撃ち抜かれることとなった。
「にしてもよく、左胸を貫かれて生きていたねえ」
「人間の急所くらい、その気になれば変えれるものですよ」
「唐で習ったという奇術かい?あんたの引き出しは広いねぇ」
どくどくと脈打ち、身体に血を巡らす心臓。急所の代表格だが、愛染の手に架かれば、その位置をたった一瞬でずらすことなどお手の物。引き金が引かれて弾が肉に食い込むまでのたった一瞬。その間にこの妙技をやってのけ、延命したという。
愛染の背後から伝言を伝えに来た男が現れる。聞いていながら、怖気づく様子も驚く様子もない。
「羅漢様、愛染様……」
その無表情さは、仕事に情を持ち込まないという冷静な気質をいかにも表している。手を添えて深々とお辞儀をしたのち、先ほどの愛染と同じように跪く。
「どうした……?」
「是非とも羅漢様のお耳に入れておきたいことがございます」
「ほう、それは何か言ってみよ」
「例の童が現れました……」
*****
「『運ツキの仁兵衛』という名を聞いたことがあるか」
蘭華が口にしたのは彼女と同じく、通り名を持つほどの腕の立つ博徒の字名。
それも賭け事に首を突っ込んだものなら知らない者はいないというほどの御人だ。賭場に足しげく通っている大吾はピクリと肩を震わせて反応するが、世間慣れしていないアザミはピンと来ない様子。
「なんだ、知っているのか」
「ああ、破壊的なツキの良さでな、博打の神様がついているどころか、そのものと呼ばれたほどだ」
「へえ、博打で生活費をスッたお前とは大違いだな」
「うるさい、減らず口をたたくな」
「しかし、その年で博打にのめりこむとはね」
「あたしに、こんな生き方をさせたのはこいつだよ」
吐き捨てるような口調で、やや乱暴に壺皿に向かって投げ込むようにして一振りの賽を転がす。カンカラと音を立てて座卓の上を転がる賽。
「……おまえ、まさか……」
「イカサマしてた?」
「なんでそう思ったぁあああっ!」
「いや、あれじゃん。ほら、賭け事勝負している最中に、袖口とか懐からすり替えたサイコロがころころ~って転がってイカサマがばれるシーン、よくあるよな……。今、そういう感じじゃね?」
「イカサマなどするかっ! あたしが賭け事を愚弄する様なマネするわけないでしょうがっ! こいつは、もらったんだよ」
「もらった……? 祭りの夜店でか……?」
「違うわぁあああっ!」
「違うだろ大吾、祭りの夜店よりもむしろ、駄菓子屋のくじ引きとかのほうがそれっぽくないか?」
「ああ、そうだなそれも言えてるなあ」
「だまって聞いてよっ! あんたらふたりとも揃って話の腰を折らずに聞けねえのかっ!」
荒々しい声で痰が絡んだのを咳払いでごまかし、ようやく話の続きを始める。
また大吾とアザミが話の腰を折るのではないかと心配でもあったが、このふたりにしか頼めないことと兼ねてから思っていたため、話さないでおくわけにはいかなかった。
***
『せめて言うならその賽を渡しに来ただけだ。いつか…、運が尽きたろくでなしにあったらそれを渡してくれ』
ひとりぼっちで雨に降られていた自分に、そう言ってサイコロをくれた男がいたという。
ただそれだけ、本当にそれだけだ。
なのに気が付けばそのサイコロを肌身離さず持ち歩くようになり、賭場でサイコロを転がすようになっていた。――自分も驚くほど博徒としての生き方は性に合っていた。自分でも疑わしいほどツキが良かったからだ。蘭華には、壺皿の中が透けて見えてしまうといったところ。
そんな折、イカサマの疑いをかけられた。
「おい、このガキ……イカサマしてるぞ」
「いい度胸じゃねえか、ガキのくせに賭場にしゃしゃり出るだけでも目障りだってのによぉ。遊郭に売りとばしちまおうぜ。こいつぁ将来別嬪になる顔つきしてやがらぁ……」
「い、イカサマなどするか! あたしは正々堂々と賭ける! 賭け事を愚弄などしない!」
もちろん、イカサマなどした覚えのない蘭華は声を荒げて反論する。だが肩を小突かれ後ろに倒れてしまう。その際に袖口からサイコロが転がり出てきた。
「……そのサイコロが、イカサマの証拠じゃねえのか?」
「おい、見ろ。このサイコロ、五の目の裏に赤く塗った鉛がつめてありやすぜ。これじゃあどう転がしても五の目しか出ませんぜ」
だがそのサイコロは自分が肌身離さず持っていたものとは違う。
ましてやそんな小細工などされているわけもない。すべては彼女を貶めるためのハッタリだった。もとより、ガキの分際で賭場に出入りしていたことから、あまりよく思われていなかったため、彼女を擁護するものはいないかと思われたそのとき。
「おい、そんな小汚いサイコロ、おらぁコイツに渡しちゃいねえよ」
まっすぐで力強い声が響いた。どこかで聞き覚えのある声。
自分を突き放して起きながら、心を離してくれない。そんな冷たくてどこか温かい声。
「なにをぉ! こんなガキんちょの肩を持つってのか?」
「持つさ、今しがたこいつを見つけたからなぁ」
そう言って男は、猪鹿蝶の組み合わせの花札を掲げる。
「お、おまえそれは……、あ……」
そこまで言いかけたところで、失言に気づくがもう遅い。
「おまえの懐から転がり出そうになっていたと言うまでに、自分から口を開くとは……」
先ほどまで、蘭華に向かって注がれていた冷たい視線の矛先が一気に花札を隠し持っていた男に集中する。そう、この男イカサマをするどころか、蘭華をイカサマ師として突き出そうとしていたのだ。
すべての企てがばれた後は飛んでくる視線の矢の雨から逃げるようにして男はその場を走り去り、その後をイカサマをしでかした奴を逃がすかとわらわらと男どもが追って行った。
「あ、ありがとうございます……」
自分の危機を救ってくれた男に深々と頭を下げる蘭華。男は礼はいらぬとでも言わんばかりに、背中を向けて彼女にはその面を見せまいとしている。そしてそのまま何も言わずに去ろうとする。まただ。自分に手を差し伸べて起きながら、自分を放ってどこかへ行ってしまう。
「あ、あの……、せめて名前だけでも……」
***
「ほう、その男が運ツキの仁兵衛というわけか……」
「……くか~……」
「って……」
アザミが大吾の胸ぐらをつかみ上げる。
「お前、今寝てたのか? 寝てたよなぁ?」
「ふぁ……え……ね、寝てないよ。た、確か……ほらさ……。さ、サイコロはサンタさんがくれ……」
「何にも聞いてねえだろうがぁああああっ!」
手のひらをパンパンと叩いてその場を仕切りなおすアザミ。
ぷすぷすと音を立てて湯気を立ち昇らせる真っ赤なたんこぶが、大吾の頭の上にできてしまっているが、それにはあえて触れないでおく。
「で、頼み事というのは……その運ツキの仁兵衛を探してほしいと」
「なるほど、つまり……伝説の博徒ふたりからしこたま金をもらえるわけだな」
「おーい、たんこぶもう一個増やされたいかぁ? その口も動けないようにしてやろうか~?」
相も変わらず金に汚い大吾。もう一度拳を振り下ろしてやろうかとアザミが身構えたところで蘭華の口から衝撃の一言。
「ああ、報酬に関しては、この宴会代ということで」
「……、え……?」
「つまり、この依頼を拒否した場合は、あんたらふたりは無銭飲食ということだ」
「……、え……?」
「そういうわけで、拒否権はあんたらにはない」
「……、……」
「えぇぇえええぇっ?」




