第4話 午前零時
静まり返った夜の部屋。 ミユはベッドの端に腰かけ、腰まで届く鮮やかなミントブルーの髪を指先で弄んでいた。
ふと視線を上げると、壁に掛けられた丸い時計の針が【23:50】を指している。
「今日も楽しかったね、シロクマさん」
膝の上にのせたステッキ『ケセラセラ・ポッピー』のなめらかな表面を愛おしそうに撫でながら、ミユは隣にいるシロクマさんに微笑みかけた。
「うん! 今日もミユはたくさんの人を笑顔にしたよ。すごかったね!」
シロクマさんは丸い手をパチパチと叩き、王冠をちょこんとなおしながら嬉しそうに頷いた。
「明日は何しようかな。学校が終わったら、また駅前の方に行ってみようかな。あそこ、結構困ってる人がいるし」
「いいね! 明日もまた、誰かを助けて幸せにしてあげよう!」
「ふふ、うん!」
ミユは花が咲くような笑みをこぼした。 クラスメイトからの熱い視線、白石結衣からの尊敬の言葉、そして助けた人たちの涙と笑顔。自分が誰かに必要とされ、世界から愛されているという確固たる実感が、全身を温かく満たしていた。
会話がふっと途切れ、部屋に静寂が戻ってくる。
時計の長針が静かに滑り【23:58】を刻んだ。
少しずつ、部屋の中の空気が重く、静かになっていく。
カチ、カチ、カチ――。
昼間は気にも留めない時計の秒針の音が、部屋の静寂の中にひときわ大きく響いていた。
【23:59】。
ミユはふと時計を見上げ、小さく息を吸い込んだ。
「……もうすぐ、十二時だ」
「そうだね」
シロクマさんは相変わらず、可愛らしい顔で普通に笑っている。
「十二時になったら……やっぱり、解けちゃうんだよね?」
「うん。元に戻るよ」
「そっか……」
分かってはいたことだった。けれど、ミユの胸の中に、ほんの小さな寂しさが落ちた。 この美しいミントブルーの髪も、胸元の華やかなリボンも、手の中にある魔法の力も。十二時という境界線を越えた瞬間に、すべて手放さなければならない。
カチ、カチ、カチ。 秒針が、終わりの瞬間へと向かって一刻一刻と刻まれていく。
ミユはぎゅっと自分の膝を抱きしめ、魔法少女としての自分の手元を見つめた。
秒針が、最後のひと刻みを数えた。
長針と短針が、真上でぴったりと重なり合う。
【00:00】。
その瞬間――。
音もなく、世界からすべての景色が消え去った。
まばゆい光も、色彩も、空気の感触も、すべてが漆黒の闇へと呑み込まれていく。 視界が覆われ、意識がふっと一瞬だけ宙に浮くような、不思議な感覚。
――暗転。
「……」
ミユはゆっくりとまぶたを開けた。
目に入ってきたのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。 部屋の隅、学習机の椅子には、昼間着ていた濃紺の制服とチェック柄のスカートが丁寧に掛けられている。
壁の時計に目をやる。 針は【00:01】を指していた。
静かすぎる部屋。外からは、時折通り過ぎる遠くの車の走行音だけがかすかに聞こえてくる。
「……戻っちゃった」
ミユはゆっくりと手を伸ばし、自分の肩にかかる髪に触れた。 サラサラとしたミントブルーの感触はない。指に触れたのは、少し硬く、見慣れた自分の黒髪だった。
立ち上がり、机の上の姿見を覗き込む。
鏡の中に映っていたのは、華やかなドレスをまとった可憐な魔法少女ではない。スウェット姿で、黒髪をひとつに結んだ、どこにでもいるごく普通の女子高生――昨日までの自分だった。
第1話で、朝起きて鏡を見るたびに感じていた「何もない自分」と同じ構図。
けれど、あの時感じていたのは「何一つ波風の立たない日常への退屈」だった。
今のミユが感じているのは、それとはまったく違う、胸の奥がキュッと締め付けられるような、鋭い「寂しさ」だった。
あんなに輝いていた自分が、一瞬で消えてしまったような虚無感。 魔法が解けたあとのこの部屋は、あまりにも静かで、あまりにも普通すぎた。
「……あ」
鏡の中の自分が、少しだけ泣きそうな顔をしていることに気づき、ミユは思わずハッとした。
そして、すぐにポンと自分の両頬を叩き、ふっと笑顔を浮かべた。
「……まあ、明日になればまたなれるか!」
そう、何も悲しむことなんてないのだ。 魔法が解けたって、この力が永久に失われたわけじゃない。朝になればまた『幸福』を飲んで、あの輝かしい魔法少女の姿に変身できる。
むしろ――と考えを巡らせる。
(昼間はみんなのヒーローになって、夜はこうやって普通の女子高生として家で休む……それって、一番都合がいいんじゃない?)
普通の学校生活も、友達との会話も捨てずに済む。そして放課後になれば、誰もが憧れる特別な存在になれる。 魔法少女の特別感と、日常の安心感。その両方をいいとこ取りできるなんて、これ以上ない最高のシステムだ。
「よしっ、明日もがんばろ!」
ミユは自分に言い聞かせるように大きく頷くと、軽やかな足取りでベッドへともぐり込んだ。
明日の放課後はどんな魔法を使おうか。誰を助けてあげようか。 楽しい想像を胸に膨らませながら、ミユは幸せな気分のまま、ゆっくりと瞳を閉じた。
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