第3話 魔法少女としての幸福
ジリリリリ、と規則正しい目覚まし時計の音が朝の訪れを告げる。
午前七時。いつもと同じ時刻。いつもと同じ、部屋の天井。カーテンの隙間から差し込む柔らかい秋の朝光が、フローリングを黄色く染めていた。
けれど、ミユの胸の奥は、昨日までとはまったく違う鼓動を打っていた。
目を覚ました瞬間、ベッドの中で布団を抱きしめながら、ミユの頭に一番最初に浮かんだのは「あーあ、今日も学校か……」という鬱屈とした溜め息ではなかった。
(……今日も、なれるんだ)
それだけで、体の中に温かいエネルギーがぐんぐんと満ちていくのが分かった。
夢じゃなかった。あの鮮やかなミントブルーの髪も、星とハートのステッキ『ケセラセラ・ポッピー』も、夜空を舞ったあの浮遊感も。手のひらを固く握り締めると、今でも魔法の温もりが微かに残っているような気がした。
「ミユ! 早く起きなさい!」
「はーい! もう起きてるよ!」
階下からの母親の声に、ミユは跳ね起きるようにベッドを抜け出した。
素早く制服に着替え、鏡の前で髪を結ぶ。鏡の中の黒髪の自分に、ミユはフッと笑いかけた。もう、自分を「何も持たない惨めな存在」だとは思わない。私の中には、誰も知らない特別な秘密がある。
「あら、今日は随分早いのね。顔色もいいし、何かいいことでもあったの?」
食卓でトーストを齧るミユを見て、母親が不思議そうに首をかしげる。
「ううん、別にー! あ、ごちそうさま! 行ってきます!」
「えっ、パン半分残ってるわよ! ミユ!?」
母親の呼び止める声を背に受けながら、ミユは弾むような足取りで玄関を飛び出した。秋の風が心地いい。世界が、昨日までよりずっと鮮やかで、キラキラして見えた。
学校が終わった放課後。夕暮れの駅前広場は、帰宅ラッシュを迎えて多くの人々が行き交っていた。
人混みの端、植え込みの近くで、小さな女の子が一人でしゃがみ込み、しくしくと肩を揺らして泣いていた。道行く大人はチラチラと一瞬視線を向けるものの、誰も足を止めようとはしない。
(……あの子、どうしたんだろ)
ミユは胸ポケットの中の『幸福』の缶の存在を意識した。朝、あの不思議な自販機があった場所へ行くと、昨日と同じように『幸福』が売られていたのだ。
ミユは人気の少ない物陰に滑り込むと、息を呑んで缶を開け、一口口に含んだ。
一瞬の静寂ののち、全身を光が包み込む。 制服がフリルとリボンのドレスに変わり、黒髪がサラリと鮮やかなミントブルーへと染まっていく。手にはピンク色のステッキ『ケセラセラ・ポッピー』。
変身を終えたミユは、物陰からそっと抜け出し、泣いている女の子の前でかがみ込んだ。
「どうしたの? どこか痛いの?」
柔らかい声で尋ねると、女の子はビクッと肩を震わせ、涙に濡れた目を上げた。
「マ、ママが……いなくなっちゃったの……ママぁ……」
「そっか、迷子になっちゃったんだね」
ミユはどうしていいか分からず、背後を振り返った。そこには、いつの間にか小さな二足歩行のシロクマ――シロクマさんが、空中に浮きながらニコニコと佇んでいた。
「シロクマさん、どうしよう? お母さん、どこにいるか分からないよ」
「ふふっ、大丈夫だよ。ミユなら助けられるよ」
シロクマさんは丸い手手をパチンと鳴らした。
「君の魔法はね、想いを繋ぐ力なんだ。『お母さんに会いたい』っていうあの子の願いに、ステッキで応えてごらん」
「私の魔法で……!」
ミユは頷き、ステッキ『ケセラセラ・ポッピー』を胸の前で掲げた。深く息を吸い込み、強く念じる。
(この子のお母さんが、どこにいるのか教えて――!)
「ハッピー・サーチ!」
自然と口から魔法の言葉が飛び出していた。 ステッキの先端から、キラキラとしたピンク色の光の粒子が溢れ出し、すーっと人の波を掻き分けるように一直線の光の筋となって伸びていった。
「あっちだ!」
ミユは女の子の小さな手を優しく包み込んだ。
「大丈夫だよ、一緒に行こうね」
光の筋を辿って人混みを抜けていくと、少し離れた改札の近くで、青ざめた顔で周囲を見回している女性の姿があった。
「あ……ママ!」
「さなちゃん!? どこ行ってたの、探したのよ……!」
駆け寄る女の子と、抱きしめる母親。母親は涙を浮かべながら、何度もミユに向かって深々と頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございました……! 親切な方に見つけていただいて……」
「ううん! 見つかってよかったです!」
ミユが笑顔で返すと、お母さんの服の裾をギュッと掴んだ女の子が、恥ずかしそうにチラリとこちらを見上げてきた。
「魔法のお姉ちゃん、ありがとう!」
「……っ!」
その言葉が耳に届いた瞬間、ミユの胸の奥が、じんわりと、熱く温かくなった。
これまでも、ミユは人に優しくしてきた。落ちた消しゴムを拾ってあげたり、席を譲ったり。「ありがとう」と言われたことなんて、人生で何度もある。
けれど――今の「ありがとう」は、まったく別物だった。
「えっ……あの格好、何!?」 「めちゃくちゃ可愛くない!?」 「コスプレ……? ううん、さっき光ってなかった!?」 「魔法少女だ! 本物の魔法少女じゃない!?」
周囲の歩行者たちが、次々と足を止め、ミユを取り囲み始めていた。 誰もが目を輝かせ、驚きと感嘆の視線をミユに注いでいる。スマホのカメラを向け、「写真撮ってもいいですか!?」と興奮気味に叫ぶ女子高生。子供たちが「ミユちゃん! ミユちゃん!」と手を振ってくる。
何十人、何百人もの視線が、自分だけに集まっている。 クラスで誰の記憶にも残らない「その他大勢」だった自分が、今やこの広場の完璧な中心だった。
「みんな、ありがとう! 気をつけて帰ってね!」
ミユがステッキを振って光の粒を散らすと、わあっと歓声が上がった。
その夜、自分の部屋に戻ったミユは、変身を解除してベッドに転がり込み、真っ先にスマホを開いた。
SNSのトレンド欄や検索ワードに、すでに自分の噂が躍っていた。
《【朗報】駅前にマジで可憐な魔法少女現るwww》
《ミントブルーの髪の子、ガチで可愛すぎるんだが》
《迷子の子を一瞬で見つけてた! マジで魔法使ってるっぽい》
《神対応だった……天使かよ》
アップされた画像や動画には、光を纏い、可憐に微笑む自分の姿が映っていた。数千、数万の「いいね」と、称賛のコメントが滝のように流れていく。
「……私?」
スマホの画面を見つめたまま、ミユの口元が自然と緩んだ。
胸の奥がゾクゾクするような、甘い快感が全身を駆け巡る。誰かに認められること、誰かに必要とされること、誰かの視線を独占すること。それがこれほどまでに心地よく、脳を痺れさせるものだなんて知らなかった。
それからの数日間、ミユはまるで何かに取り憑かれたように「魔法少女」としての活動に没頭していった。
【CASE 1:泣いている子供】 公園で泣いている子供を見つければ、ミユはすぐに駆けつけた。転んで擦りむいた膝にステッキで優しく触れ、「ハッピー・ヒール」と唱えれば、小さな光とともに痛みは消え去る。 「すごーい! 痛くない! お姉ちゃんありがとう!」 無邪気な子供の笑顔と感謝の声が、ミユの心を満たしていく。
【CASE 2:困っているお年寄り】 急な坂道で、大きな荷物を抱えて立ち尽くすおばあさんを見かけると、ミユはフワリと降り立った。 「私に任せてください!」 魔法で荷物を風のように軽くしてあげると、おばあさんは手を合わせて涙ぐんだ。 「まあまあ、なんてお優しい……ありがとうございます、魔法少女様……」 「魔法少女様」。その響きに、ミユは背筋が伸びるような誇らしさを覚えた。
そして――。
【CASE 3:願いを叶える】 ある日の夕方。病院の屋上テラスで、車椅子に座った少女と出会った。病気で長期間の入院を余儀なくされ、外に出ることができないのだという。
「私ね……ずっと、お外の夜空を近くで飛んでみたかったの。星に手を伸ばしてみたいの」
ぽつりと溢された少女の寂しげな呟き。以前のミユなら「大変だね」と気休めの言葉をかけることしかできなかっただろう。だが、今のミユには「力」があった。
「それなら――私が叶えてあげる!」
ミユは少女の手を優しく取り、車椅子ごとふわりと宙へ浮かび上がらせた。
「えっ……きゃあっ!?」
ゆっくりと上昇し、病院の屋上を飛び越えて、街の上空へ。 夕闇が迫り、満天の星が瞬き始める夜空の中へ、二人は溶け込んでいった。ひんやりとした夜風が頬を撫で、街の明かりが眼下で流星の群れのように輝いている。
「すごい……! 本当に空を飛んでる……! 星が、こんなに近くにある……!」
少女は目を輝かせ、子供のように歓声を上げた。涙を拭いながら、何度も、何度もミユを見つめて叫んだ。
「ありがとう……! ありがとう、ミユお姉ちゃん!」
夜風の中で微笑みながら、ミユは激しい全能感に身を包まれていた。
(私が……私が、この子を笑わせたんだ。私の魔法で、この子の世界を変えてあげたんだ)
ただの女子高生には絶対にできなかったこと。白石結衣にだって、学校の先生にだってできないこと。 私だけが、この子の救世主になれた。
少女を無事に病院へ送り届け、夜空の散歩を楽しんだ後。 ミユは静かなビルの屋上に降り立ち、夜風にミントブルーの髪をなびかせていた。
「ふふっ、ミユは素晴らしいね」
隣に並んだシロクマさんが、丸い手を叩いてミユを称賛した。
「みんな、とっても幸せそうだったよ。君が魔法少女になってくれて、本当に良かった」
「うん……! 私ね、シロクマさん。困ってる人を助けるの、すっごく楽しい。自分が誰かの役に立ってるんだって、ハッキリわかるの」
胸に手を当てながら、ミユは熱っぽく語った。 もう「中の上」の退屈な日常には戻りたくない。この甘美な感謝と称賛の世界に、ずっと浸っていたかった。
すると、シロクマさんは首を少し傾げ、愛くるしい瞳でミユを見つめた。
「魔法少女はね、ミユ。ただ困っている人を助けたり、怪我を治したりするだけじゃないんだよ」
「え……? どういうこと?」
「『誰かの願いを叶える』こともできるんだ」
「願い……?」
ミユは首をかしげた。
「そう。人はみんな、胸の中にたくさんの『願い』や『欲望』を抱えているでしょ? 『もっと可愛くなりたい』とか、『あいつがいなくなればいいのに』とか、『ずっとこのままでいたい』とか」
「……どんな願いでも、叶えられるの?」
ミユの問いかけに、シロクマさんは満面の笑みを浮かべ、穏やかに頷いた。
「君が幸せにできる願いならね」
その言葉は、どこまでも優しく、暖かく、夜の静寂の中に響いた。
ミユはその言葉の真意に気づくこともなく、「私ならもっとたくさんの人を幸せにできるんだ」という純粋な歓喜だけに胸を躍らせ、強く頷くのだった。
◇
翌朝、2年B組の教室は、いつにも増して朝から異様な熱気に包まれていた。
「ねえ、見た!? 昨日の駅前のやつ!」 「見た見た! SNSで動画流れてきてマジでビビったんだけど!」 「あのミントブルーの髪の子でしょ? めちゃくちゃ可愛かったよね!」 「コスプレとかじゃないよね、マジで光って空飛んでたって噂だけど……!」
教室のあちこちで、同じ話題が花咲いている。ミユは自分の席にカバンを置き、いつもと同じように大人しく机に向かっていた。けれど、胸の鼓動は早鐘のように激しく打っていた。
息が詰まりそうなほどの興奮と、熱い快感が胸を満たしていく。
(みんな……私の話をしてる……)
その時、前方のグループから、ひときわ大きな声が聞こえてきた。
「ていうかさ、あの魔法少女の子……名前『ミユ』って名乗ってたらしいよ!」 「えっ、マジで!? ミユちゃん!?」
ミユは思わず肩を跳ねさせそうになった。必死で平静を装い、ノートを開くフリをする。
「おはよー、ミユ!」
不意に背後から声をかけられ、飛び上がりそうになった。振り返ると、いつものようにアオイとリコが立っていた。だが、アオイの目がいつになく真剣で、じっとミユの顔を覗き込んできた。
「……ねえ、ミユ」
「な、なに……? アオイ……」
「……昨日の魔法少女ってさ」
アオイは声を一段低くして、ミユの顔にぐっと顔を近づけた。
「……ミユじゃない?」
「――っ!?」
心臓がどきりと跳ね上がった。冷や汗が背中を伝う。
「えっ……な、なに言ってるの……!?」
「いやさー、動画見たんだけど、背格好とか、声の感じとか……なんかミユに似てない?」
隣でスマホの画面を眺めていたリコも、首を傾げながら乗っかってきた。
「たしかに。顔立ちも、髪型とか色は全然違うけど……目元とか、雰囲気がちょっとミユに似てるんだよね」
「いやいやいや! そんなわけないじゃん!」
ミユは慌てて両手をブンブンと振って笑い飛ばした。
「私があんな可愛いわけないでしょ! 空なんて飛べるわけないし! 同姓同名の別人の誰かだよー!」
「あはは、だよねー! ミユが魔法少女だったらウケるんだけど!」 「流石にアニメの観すぎかー」
二人はあっさりと納得し、いつもの大雑把な笑い声を上げた。
ミユはフゥーッと胸の内で安堵の息を吐きながら、うつむいて口元を緩めた。
(ふふ……騙されてる……)
以前の自分なら、こんな風に注目されたら怯えて引き下がっていたかもしれない。けれど今は違った。 クラスの誰もが噂している「奇跡のヒロイン」の正体が、自分であるという事実。この教室で自分だけが知っている、甘く絶大な秘密。
優越感が、身体の芯からじわじわと湧き上がってくるのを感じていた。
その日を境に、ミユの周囲の空気は目に見えて変わり始めた。
「ミユちゃーん! 昨日の数学のノート、見せてくれない?」 「ミユ、今日の放課後さ、新しいカフェ行くんだけど一緒に行かない?」 「ねえねえ、ミユって何の動画見てるの? おすすめ教えてよ!」
昼休み。いつもならアオイ、リコと三人だけでひっそりと食べていたミユの机の周りに、自然と他のグループの女子たちが集まってくるようになった。
スマホのLINEの通知音も、止まることを知らなかった。 「今度遊びに行こうよ!」「今度の土曜って空いてる?」といったメッセージが次々と届く。
ミユ自身が何か特別な自己主張をしたわけではない。けれど、魔法少女として「誰かの役に立っている」「大勢に愛されている」という絶対的な自信が、彼女の全身から溢れ出ていたのだ。伏せがちだった視線は真っ直ぐになり、表情は華やかになり、言葉遣いにはどこか人を惹きつける温かい余裕が生まれていた。
第1話までのミユなら、急に距離を詰めてくるクラスメイトたちに対して、 「ごめん、今日はちょっと用事があって……」 と、波風を立てないように断っていただろう。人と深く関わることを無意識に恐れ、「中の上」の無難な場所に逃げ込んでいたからだ。
けれど、今のミユは違った。
「うん、行く! 一緒に行こう!」
ミユは迷いなく、とびきりの笑顔でそう答えた。
世界が自分を求めている。みんなが自分を好きになってくれている。 その承認の渦の中に身を置くことが、今のミユにはたまらなく心地よかった。
放課後。夕暮れの光が差し込む誰もいない教室で、ミユが一人日直の作業を終えてカバンを持とうとした時だった。
「月城さん」
不意に名前を呼ばれ、ドアの方を振り返る。
そこに立っていたのは、白石結衣だった。 相変わらず綺麗に整った容姿、陸上部のユニフォーム姿。第1話でミユが「住む世界が違う」「何でもできる特別な子」と羨望の眼差しで遠くから見つめていた、クラスのアイドルだ。
「白石さん……? 部活、もう終わったの?」
「うん、今日は自主練だから早めに切り上げたの」
結衣は歩み寄ってくると、ミユの目の前で立ち止まった。その透きとおるような瞳が、じっとミユを見つめてくる。
「ねえ……月城さん」
「え……?」
結衣は少しだけ声を落とし、優しく微笑みながら、衝撃の一言を口にした。
「ミユって……魔法少女なんでしょ?」
「――っ!?」
ミユの身体が凍りついた。カバンを握る手が固まる。
「え……っ、な、何言ってるの……? 白石さん、冗談……」
心臓が口から飛び出しそうなほど激しく脈打つ。アオイたちの時には冗談で流せたが、結衣の瞳には誤魔化しを許さない圧倒的な確信が宿っていた。
「ううん、冗談じゃないよ。なんとなく、分かるんだ」
結衣はクスッと可愛らしく笑った。焦るミユの表情を見て、探るような色を消し、心からの親愛を込めた目で頷く。
「昨日、駅前で迷子の子を助けてたでしょ? 私、遠くから見てたの。……魔法少女の姿をしててもね、困ってる子に寄り添う時の優しそうな目の形、月城さんそのものだったから」
「あ……」
ミユは声が出なかった。
秘密がバレたという恐怖は、次の結衣の言葉によって一瞬で吹き飛んだ。
「すごいね、月城さん」
結衣は瞳を輝かせ、心の底からの称賛をミユに贈った。
「誰かを助けるために、あんな風に一歩を踏み出せるなんて……本当にすごいよ。私、陸上で記録を出すことくらいしかできないからさ。本当の意味で誰かを幸せにできる月城さんのこと、すごく尊敬しちゃうな」
「尊……敬……?」
「うん。人を助けてるんでしょ?」
「……うん」
「……なんか、月城さんらしいや。カッコいいよ」
結衣はそう言うと、「じゃあ、また明日ね!」と爽やかに手を振って教室を出て行った。
一人残された教室で、ミユは立ち尽くしていた。
あの白石結衣が。 自分がずっと「自分には何もない」と比較して遠くから眺めていた、完璧で特別な存在だった白石結衣が――自分を認め、羨み、尊敬してくれた。
「……っ」
胸の奥から、言葉にならない熱いものが溢れ出してきた。 第1話で抱いていた劣等感が、綺麗さっぱり消え去っていく。自分はもう「特別な子の引き立て役」じゃない。白石結衣すらも認める、本当の「ヒロイン」なのだ。
夜。自分の部屋。
ベッドの上に寝転がりながら、ミユはスマホの画面を見つめていた。 SNSには、今日も魔法少女としてのミユへの感謝と称賛のメッセージが溢れ返っている。
《ミユちゃん、今日も助けてくれてありがとう!》 《さっき公園で見かけた! マジで天使すぎた……》 《ミユちゃんは私のヒーローです!》 《また困った時は助けてね!》
通知の表示が止まらない。画面から放たれる光が、暗い部屋の中でミユの顔を優しく照らしていた。
ミユはスマホを胸に抱きしめ、ゆっくりと天井を見上げた。
「……私、すごいんだ」
ぽつりと、小さく呟いた。
第1話の夜。この同じベッドの上で、自分には何もないと諦め、「私には何があるんだろう」と虚無感にさいなまれていた自分。
でも、違った。 私にも、あったのだ。世界を変える力も、誰かを救う優しさも、大勢から愛される特別な価値も。全部、私の中に最初からあったのだ。
ミユはベッドから立ち上がり、部屋の鏡の前に立った。
そこに映っているのは黒髪の自分だが、ミユの目には、その背後に透けて見える鮮やかなミントブルーの髪と、キラキラと輝く『ケセラセラ・ポッピー』を抱えた魔法少女の姿がはっきりと見えていた。
鏡の中の自分は、かつてないほど誇らしく、美しく笑っていた。
「ふふっ、嬉しそうだね、ミユ」
ふと横を見ると、ベッドの脇で小さな二足歩行のシロクマ――シロクマさんが、丸い手を膝の上に置いて、ニコニコとミユを見つめていた。
「うん……!」
ミユは鏡から振り返り、シロクマさんの前でしゃがみ込んだ。
「ねえ、シロクマさん」
「なあに?」
「私……魔法少女になって、本当によかった」
心からの言葉だった。100円を出してあの怪しい缶を買ったあの日の自分を、褒めてあげたかった。あの選択が、自分の退屈で空っぽだった人生を、こんなにも色鮮やかな物語へと変えてくれたのだから。
シロクマさんは首を少し傾げ、つぶらな瞳を細めて、どこまでも優しく語りかけてきた。
「よかったね、ミユ。君は、幸せになっていいんだよ」
「……」
その言葉の響きに、ミユは一瞬だけ息を呑んだ。 なぜだろう。どこまでも優しく、暖かく、全肯定してくれる言葉のはずなのに、一瞬だけ、胸の奥がひやりとするような、甘い毒を飲まされたような奇妙な感覚が走った。
けれど、今のミユにその違和感を突き詰める理由などなかった。
「……うん!」
ミユは笑顔を取り戻し、力強く頷いた。
「私、今すごく幸せ!」
自分は選ばれた魔法少女。 みんなに愛され、必要とされ、誰の願いも叶えてあげられる特別な存在。
満ち足りた幸福感の中で、ミユは弾けるような最高の笑顔を浮かべるのだった。




