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異世界鉄道王物語  作者: 蒼屋 瑞希
第一部 窓辺の王女と、地下の水音
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5/12

「この道は、都まで続いている」

 三日後の夜。


 テオは、古代の水路の石畳を歩いていた。


 右手にランプ、背中には水と干し肉を詰めた袋。腰の水筒からは、ミズハが顔だけ出して道案内をしている。


「まだ先?」


「もう少し」


「さっきも『もう少し』って言ってたよね」


「精霊の『もう少し』は、人間の『もう少し』より長いの」


 ミズハはしれっと言った。テオは苦笑して、足を進める。


 古井戸の底から入って、もう一時間は歩いているだろうか。どこまで行っても、景色はほとんど変わらなかった。左手には黒く澄んだ水の流れ。頭上には、半円のアーチがどこまでも連なっている。


 ただ、ところどころで、道は傷ついていた。


 天井の石が崩れ落ち、通路の半分を塞いでいる場所。壁から土砂が流れ込み、水の流れをせき止めかけている場所。そのたびにテオは瓦礫を乗り越え、ミズハは水面を伝ってその先へ回り込んだ。


「ここ、昔は崩れてなかったの?」


「ええ。土の子たちが、毎日見回ってたもの」


 ミズハは、崩れた天井を見上げた。


「ひびが入れば、すぐに埋めてくれた。水があふれそうになれば、風の子が教えてくれた。暗いところには、火の子が明かりを灯してくれた。人間たちも一緒に、石を運んだり、壁を磨いたりしていたわ」


「みんな、いなくなっちゃったの?」


「いなくなったんじゃないの。どこかには、いるはず」


 ミズハの光が、少しだけ揺れた。


「でも、道がこんなふうに途切れてしまったから、もう会いに行けないの。水の流れは、わたしたちの通り道でもあるのよ。流れが細くなって、途切れて……遠くの子たちとは、もうずっと話をしていない」


 テオは、瓦礫の山を見つめた。


 ただ石が崩れているだけではなかった。これは、精霊たちを隔てる壁でもあるのだ。


◇


 やがて、前方の闇の中に、ぼんやりと何かが見えてきた。


 道が、広がっていた。


 テオはランプを高く掲げ、息をのんだ。


 円い広間だった。


 天井は、それまでのアーチよりもさらに高い。丸い天井の真ん中から、まるで木の根のように、いくつもの水の道が四方八方へ分かれていく。テオが歩いてきた道もその一本で、ほかにも、右へ、左へ、奥へ――数えてみると、八本もの道がこの広間に集まっていた。


「ここは……」


「分かれ道の広間。昔は、たくさんの人間がここで行き先を選んでいたの」


 ミズハが水筒から飛び出し、広間の奥の壁のほうへふわりと飛んでいった。


「テオ。これを見て」


 テオは、ミズハの光を追いかけた。


 奥の壁は、ほかの壁と違っていた。


 一枚の巨大な石板だった。テオが両腕を広げても、端から端まで届かない。その表面いっぱいに、細い線が彫り込まれていた。


 線は、くねくねと曲がりながら、石板の上を縦横に走っていた。ところどころで線が交わり、そこには小さな丸い印が刻まれている。いくつもの線が、石板のあちこちで枝分かれし、つながり合い、まるで蜘蛛の巣か、木の葉の葉脈のように広がっていた。


「地図……?」


 テオは、ランプを石板に近づけた。


 丸い印の横には、見たことのない文字が添えられている。読めない。けれど、線の形には見覚えがあった。


 石板の左下、山並みの絵の手前に、小さな丸い印。そこから線が一本延びて、この広間らしき大きな丸につながっている。


「これ、もしかして……僕たちの村?」


「そう。村の古井戸は、この小さな丸」


 ミズハは、石板の上をすうっと滑るように飛んだ。


「この線が、水の道。丸い印は、町や村。昔はね、この線の全部に水が流れていたのよ。国中の町や村に、この道を通って水が届いていたの」


 テオは、石板全体を見渡した。


 線は、石板の隅々にまで延びていた。山の向こうへ。川の向こうへ。森の奥へ。ひとつの村から次の村へ、町から町へ。この広間は、そのたくさんの線のうちの、ほんの一つの結び目にすぎなかった。


 国中に。


 この石の道が、国中に張り巡らされている。


「……すごい」


 テオの声は、かすれていた。


 前の世界でも、こんなものは見たことがない。何百年も前の人々が、精霊と力を合わせて、国中の地下に水の道を通したのだ。そして今、それを知っている人間は、誰一人いない。


 ミズハは、石板の中央へと飛んでいった。


 そこには、ひときわ大きな丸が刻まれていた。


 ほかの丸の何倍もある、二重の円。その周りを囲むように、いくつもの線が集まっている。四方八方から延びてきた水の道が、すべてそこへ流れ込み、そしてまたそこから四方八方へと分かれていく。


 まるで、国中の道の心臓のようだった。


「テオ。ここがどこだか、分かる?」


 テオは、二重の円の上に刻まれた模様に目を凝らした。


 塔のような形。それを囲む、城壁のような線。その真ん中に、王冠を思わせる小さな印。


「……都だ」


 王都。


 この国の王様が住む、お城のある大きな都。テオは一度も行ったことがない。村から馬車で十日もかかる、遠い遠い場所だ。


 ミズハが、その二重の円の真ん中に、そっと体を寄せた。


「わたしたちの村の古井戸から延びるこの道はね」


 ミズハは、石板の線をなぞるように、ゆっくりと飛んでいく。村の小さな丸から、分かれ道の広間へ。広間から、いくつもの丸を経て――中央の、二重の円へ。


「ずっと、ずっと延びていって」


 青い光が、王冠の印の上で止まった。


「――この道は、都まで続いているの」


 広間に、水の音だけが響いていた。


 テオは、何も言えずに石板を見上げていた。


 ランプの明かりが届かない闇の向こうに、この道は続いている。崩れて、途切れて、誰にも知られないまま、それでも都まで。


「ねえ、ミズハ」


 テオは、ゆっくりと口を開いた。


「都にも、精霊はいるの?」


「いるはずよ。昔は、都の水の道にもたくさんの子たちがいた。わたしの……」


 ミズハは、そこで言葉を切った。


 少しの沈黙のあと、小さな声で続ける。


「わたしの、古い友だちもいたの。都のいちばん大きな泉に住んでいた子。いつも、都の噂話を水に乗せて届けてくれた」


「今は?」


「わからない。道が途切れてから、もう何百年も話していないもの」


 ミズハは、二重の円を見つめていた。


 その光が、ほんの少しだけ、ぼやけて見えた。


 テオは、石板に手を伸ばした。


 指先で、村の小さな丸に触れる。そこから、線をたどっていく。分かれ道の広間。いくつもの町。いくつもの村。そして――都。


「……いつか、行ってみたいな」


 ぽつりと、言葉がこぼれた。


「この道の先に。都に」


 ミズハが、くるりとテオを振り返った。


「テオが?」


「うん。ミズハの友だちが、まだいるかどうか、確かめに」


 テオは、照れくさそうに鼻の頭をかいた。


「それに、見てみたいんだ。この道が、本当に都までつながってるのか。どんな人たちが、どんなふうに暮らしてるのか」


 ミズハは、しばらく黙ってテオを見つめていた。


 それから、ふわりとテオの肩に戻ってきた。


 ひんやりとした感触が、首筋に触れる。


「……ふふ。テオって、本当に変な人間ね」


「よく言われる」


「村から都までは、馬車で十日もかかるのよ。テオみたいな子どもが、一人で行けるところじゃないわ」


「分かってるよ」


 テオは、石板を見上げたまま答えた。


 分かっている。自分はただの村の子どもだ。発明が少し得意なだけで、お金もないし、都に知り合いもいない。馬車に乗る理由もない。


 けれど。


「いつか、だよ。いつか」


 ミズハは、それ以上何も言わなかった。


 ただ、テオの肩の上で、小さく、うれしそうに体を揺らした。


◇


 帰り道、テオは何度も後ろを振り返った。


 分かれ道の広間は、すぐに闇の中に溶けて見えなくなった。それでも、まぶたの裏には、あの石板の模様が焼きついていた。


 国中に張り巡らされた線。


 それぞれの線を流れていた水。


 そして、すべての線が集まる、都という名の大きな丸。


 古井戸の縄ばしごを登りきると、空はもう白みはじめていた。


 テオは、井戸の縁に腰かけて、東の空を見上げた。


 あの空の下、ずっとずっと遠くに、都がある。


(いつか――)


 そのとき、腰の水筒の中で、ミズハがぽつりとつぶやいた。


「ねえ、テオ。『いつか』って、案外すぐに来るものよ」


「え?」


「精霊の勘」


 ミズハは、それきり水筒の中で黙ってしまった。


 テオは首をかしげながら、朝焼けに染まる村への道を歩きはじめた。


 それが、半月もしないうちに本当になるとは、このときのテオはまだ知らなかった。


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