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異世界鉄道王物語  作者: 蒼屋 瑞希
第一部 窓辺の王女と、地下の水音
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4/12

石造りの、古い道

 その夜、アースが寝息を立てはじめたのを確かめてから、テオは作業台の前で水筒の栓を抜いた。


「ミズハ。ちょっと相談があるんだ」


 水筒の口から、青い雫がふわりと浮かび上がる。


「アースのこと?」


「うん。明日、畦を直すのを手伝うって約束しちゃったんだけど……僕、土魔法なんて使えないし」


 ミズハは、テオの肩にちょこんと乗った。ひんやりとした感触が、首筋に伝わってくる。


「昼間の土の子たち、ずいぶん機嫌が悪かったでしょう」


「怒鳴られてたからね」


「それもあるけど、それだけじゃないの」


 ミズハは、窓の外の乾いた畑のほうへ体を向けた。


「土の子たちはね、喉が渇いてるの。この夏、ずっと雨が降らないから。からからに乾いた土は、いくら押し固めても、すぐにぼろぼろ崩れちゃう。土の子たちだって、どうしようもないのよ」


 テオは、昼間にすくった土の手触りを思い出した。指の間からさらさらとこぼれていった、乾ききった土。


「……つまり、土を湿らせてやればいいってこと?」


「そういうこと」


「でも、水がないから困ってるんだよ。村の井戸だって、ミズハのおかげで少し増えたけど、畑に回すほどは――」


「水なら、あるわよ」


 ミズハは、テオの肩の上でくるりと回った。


「言ったでしょう? 古井戸の奥には、まだたくさん水が流れてるって」


 それから、少しだけ声の調子を変えた。


「テオ。今夜、あの奥を見せてあげる」


◇


 二度目の古井戸は、一度目ほど怖くなかった。


 縄ばしごを降りきると、ミズハが水筒から飛び出し、壁の入り口の前で青く光った。


「こっちよ」


 テオはランプを掲げ、かがんで入り口をくぐった。


 狭い通路だった。大人なら頭をぶつけそうな高さで、左右の壁にはやはり、ぴったりと噛み合った石が積まれている。足元はわずかに下り坂になっていて、奥へ進むほど、空気がひんやりと湿っていく。


 水の音が、近づいてくる。


 ちゃぷん、ではない。もっと大きな音だ。さらさらと、絶え間なく、どこまでも続いていく流れの音。


 二十歩ほど進んだところで、通路が急に途切れた。


 テオは、足を止めた。


 ランプの明かりが、届かなかった。


 目の前に、巨大な空間が広がっていた。


 天井は、テオの背丈の三倍はあるだろうか。石を積んだ半円形のアーチが、奥の闇に向かってどこまでも連なっている。その真ん中を、幅の広い水の流れが走っていた。黒く澄んだ水が、ランプの光を受けてきらきらと揺れながら、闇の奥から流れてきて、また闇の奥へと流れていく。


 流れの両側には、人が並んで歩けるほどの石畳の通路が、まっすぐに延びていた。


「これ……」


 声が、高い天井にこだました。


「これ、なんだ……?」


「水の道よ」


 ミズハが、テオの目の前に浮かんだ。その青い光が、水面に映ってゆらゆらと揺れる。


「むかしむかし、人間とわたしたちが一緒に作った道。遠くの山から、たくさんの町や村に水を運ぶための道」


 テオは、ゆっくりと通路を歩きはじめた。


 石畳の継ぎ目に、ランプを近づける。紙一枚差し込めないほど、ぴったりと隙間なく並んでいる。壁を手でなぞる。何百年も水に洗われてきたはずなのに、表面はなめらかで、ひび一つない。


 アーチの頂上の石――要石には、何かの模様が彫り込まれていた。波のような曲線と、その上に小さな雫の形。


(ミズハの形だ)


 テオは、目を凝らした。


 次のアーチの要石には、丸い小石のような模様。その次には、渦を巻く線。その次には、揺らめく炎のような形。


 水、土、風、火。


 まるで、精霊たちの姿を描いたかのような模様が、アーチごとに順番に刻まれていた。


「本当に……一緒に作ったんだ」


 テオはつぶやいた。


 前の世界の記憶をたどってみる。ローマの水道橋。江戸の玉川上水。教科書で見た、昔の人たちが何年もかけて作り上げた水の道。


 けれど、そのどれとも違った。ここの石組みには、無理に削ったり、力ずくで押し込んだりした跡がどこにもない。石そのものが、自分からここに収まりたがったように見える。


 テオは、通路の先を見つめた。


 ランプの光が届かない、どこまでも続くまっすぐな闇。その真ん中を、ゆるやかに流れていく水。両側に延びる、平らな石の道。


 ふと、何かが頭の隅をよぎった。


 暗い穴の奥へ、まっすぐに延びていく道。前の世界のどこかで、確かにこんな景色を見たことがある気がする――。


 けれど、それが何だったのか、思い出す前に消えてしまった。


「テオ?」


「……ううん。なんでもない」


 テオは首を振った。


「すごいところだね、ここ」


 ミズハは、うれしそうに体を揺らした。けれど、その光はすぐに少しだけ翳った。


「昔は、もっとすごかったのよ。水は今の何倍も流れていたし、土の子も、風の子も、火の子も、みんなここにいた。人間たちも、毎日ここを歩いていた」


「今は?」


「……今は、わたしだけ」


 ミズハは、それ以上何も言わなかった。


 テオも、聞かなかった。聞いてはいけない気がした。


 かわりに、テオは水の流れの前にしゃがみ込み、両手を合わせた。


「この水、少しだけ分けてもらってもいいかな。弟の畑に」


 ミズハが、ぱちぱちとまたたくように光った。


「もう。テオったら、わたしにまでお願いするの?」


「だって、ミズハたちが守ってきた水だろう?」


 ミズハは、くすりと笑った。


「いいわよ。ちょうど、アースの畑の下にも、昔の細い水の道が通ってるの。そこに少しだけ流してあげる。朝には、土がしっとりしてるはずよ」


「ありがとう、ミズハ」


「どういたしまして」


 ミズハはくるりと宙返りをすると、水面にするりと潜っていった。


 青い光が、流れに乗って闇の奥へ遠ざかっていく。


 テオはしばらく、その光を見送っていた。


 それから、もう一度、果てしなく続く石の道を見上げた。


(この道は……いったい、どこまで続いてるんだろう)


◇


 翌朝。


 畑に着いたアースは、崩れた畦の前で首をかしげた。


「……あれ?」


 しゃがみ込んで、土に手を当てる。


「湿ってる。雨、降ってないのに」


 テオはあくびを噛み殺しながら、何食わぬ顔でとなりに立った。


「朝露じゃないか?」


「朝露でこんなに湿るかな……」


 アースは不思議そうに土をつまんでいたが、やがて気を取り直したように両手を地面に押し当てた。


「よし。兄ちゃん、見てて」


 テオの目には、もう見えていた。


 畑の土の中から、焦げ茶色の小石のような精霊たちが顔を出している。昨日の不機嫌そうな顔ではない。湿った土の中で、気持ちよさそうに体を伸ばしている。


 その中に、苔の帽子をかぶった一匹がいた。


 テオは、アースに気づかれないように、小さく口を動かした。


(今日は、アースをよろしくね)


 苔の帽子の精霊が、ちらりとテオを見た。それから、ふん、と鼻を鳴らすような仕草をした。


「土よ、我に従え! この畦を固めよ!」


 アースの声が、畑に響く。


 精霊たちは、相変わらずびくりと首をすくめた。命令の言葉は、やっぱり好きではないらしい。


 けれど、昨日とは動きが違った。


 湿った土をぎゅっと抱え込み、体ごと押しつけるようにして、畦のひび割れを一つひとつ埋めていく。苔の帽子の精霊が、仲間たちに何やら指図をしている。端から端まで、ていねいに。


 やがて、精霊たちが土の中に戻っていった。


 アースはおそるおそる立ち上がり、直した畦に足をのせた。


 崩れなかった。


 体重をかけても、跳ねてみても、畦はびくともしなかった。


「……やった」


 アースの顔が、ぱっと輝いた。


「やった! 兄ちゃん、見た!? 崩れない!」


「ああ、見てたよ」


「すごい、昨日と全然違う! なんでだろう、今日は土の機嫌がいいのかな!」


 アースは、昨日テオが言った言葉をそのまま口にして、それから自分でおかしくなったのか、けらけらと笑い出した。


「兄ちゃんの言ったとおりだ。土の機嫌って、本当にあるのかも」


「だろ?」


 テオは笑い返した。


 本当のことは、何も言えない。湿った土がどこから来たのかも、畦を固めたのが誰なのかも。


 けれど、弟が笑っている。それで十分だった。


 アースは勢いづいて、次の畦へと駆けていった。その背中を見送りながら、テオは腰の水筒にそっと手を当てた。


 ちゃぷん、と返事がした。


「ねえ、テオ」


 水筒の中から、ミズハの小さな声がする。


「昨日の水の道ね。あれ、ほんの入り口なの」


「入り口?」


「次は、もっと遠くを見せてあげる」


 ミズハの声は、どこか楽しそうで――それでいて、ほんの少しだけ、寂しそうでもあった。


「あの道が、どこまで続いているのか」


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