↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界鉄道王物語  作者: 蒼屋 瑞希
第一部 窓辺の王女と、地下の水音
PR
15/17

宮廷魔法使いマーリン

「王家の泉に、からくり小僧を? 冗談ではない」


 宮廷発明家見習いとして城に通いはじめた、最初の日。


 テオの前に立ちはだかったのは、深紅のローブをまとった、背の高い男だった。


 宮廷魔法使い長、ヴィクトル。


 鷲のように鋭い鼻。きっちりと撫でつけた銀髪。胸元には、宮廷魔法使いの長であることを示す、大きな金の紋章が光っている。


「陛下のお許しはいただいています。城の水回りを見てまわるようにって……」


「水回りなら、厨房でも洗濯場でも好きに見るがいい」


 ヴィクトルは、テオを見下ろして鼻を鳴らした。


「だが、王家の泉は別だ。あれは、この国でもっとも古く、もっとも神聖な水源。我ら宮廷魔法使いが、代々その守りを任されてきた場所だ。井戸のからくりしか知らん村の子どもが、うろうろしてよい場所ではない」


「でも、泉の水が細くなってるって……」


 テオが言いかけると、ヴィクトルの眉がぴくりと跳ね上がった。


 後ろに控えていた若い魔法使いたちが、気まずそうに目をそらす。


「……水が細くなっているのは、一時のことだ。我らの呪文の力が足りぬだけのこと。いずれ、必ず戻る」


 ヴィクトルは、ばさりとローブを翻した。


「どうしても泉を見たいというなら、まずは書庫の爺さんにでも、泉の歴史を教わってくるがいい。あの爺さんなら、暇を持て余しているだろうからな」


 若い魔法使いたちの間から、くすくすと笑い声が漏れた。


 ヴィクトルは、それきり振り返りもせずに、廊下の向こうへ去っていった。


◇


「書庫の爺さん、って誰だろう」


 城の廊下をとぼとぼと歩きながら、テオはつぶやいた。


「たぶん、あの人たちに笑われてる人ね」


 水筒袋の中から、ミズハが答える。その声は、少し不機嫌そうだった。


「あの赤い服の人、嫌い。あの人のまわりの子たち、みんなすごく疲れた顔してたもの」


 テオも、それには気づいていた。


 ヴィクトルのローブの裾のあたり、それに後ろの魔法使いたちの肩のまわりに、何体もの精霊がまとわりついていた。水の精霊、風の精霊、火の精霊。どれもぐったりと力なく、まるで鎖でつながれた犬のように、魔法使いたちの後をのろのろとついていっていた。


 テオは、通りかかった侍従に書庫の場所をたずねた。


 侍従は、なぜだか気の毒そうな顔をして、城の西の端にある古い塔を指さした。


◇


 西の塔は、城の中でいちばん古びた建物だった。


 螺旋階段を、ぐるぐると登っていく。壁の石はところどころ欠け、窓から吹き込む風がひゅうひゅうと鳴っている。


 最上階に、古い木の扉があった。


 扉の上の鉤に、小さな銀の風鈴がぶら下がっていた。


 ちりん。


 テオが扉の前に立つと、風もないのに、風鈴がひとりでに鳴った。


 テオは、目を凝らした。


 風鈴のまわりを、薄緑色の小さな影がくるくると飛び回っていた。羽根のような、綿毛のような、ふわふわとした体。風の精霊だった。


 ヴィクトルのまわりにいた精霊たちとは、まるで様子が違った。楽しそうに風鈴を揺らし、テオの顔をのぞき込むようにして、すいっと扉の隙間に吸い込まれていく。


(……この扉の向こうの精霊たちは、元気だ)


 テオは、扉をノックした。


「開いとるよ」


 しわがれた声がした。


 扉を押し開けると、そこは本の海だった。


 床から天井まで、壁という壁を本棚が埋めつくしている。棚に入りきらない本が床に積み上げられ、机の上にも、椅子の上にも、窓辺にも、巻物や羊皮紙が山になっていた。


 その本の山の真ん中で、一人の老人が、ロッキングチェアに揺られながら居眠りをしていた。


 いや、居眠りをしているように見えた。


 長い白い髭が、膝の上まで垂れている。灰色の、くたびれたローブ。頭には、てっぺんの折れたとんがり帽子。


 老人の膝の上で、一匹の黒猫が丸くなっていた。


「……あの」


「聞こえとるよ」


 老人は、目を閉じたまま答えた。


「ヴィクトルの坊やに、追い払われてきたんじゃろう。陛下が新しく任じられたという、村の発明家殿」


 テオは、目をぱちくりさせた。


「どうして、それを……」


「風が教えてくれた」


 老人は、ゆっくりと片目を開けた。


 驚くほど澄んだ、明るい灰色の目だった。


「――というのは冗談じゃ。城の噂話は、この塔のてっぺんまでちゃんと届くでな。わしはマーリン。宮廷魔法使いの端くれで、今はこの書庫の番人をしておる」


 マーリンは、ロッキングチェアをきいきいと揺らしながら、テオを上から下まで眺めた。


「それで? 泉の歴史を教わりに来たのかね」


◇


 マーリンは、泉の歴史について、驚くほどよく知っていた。


 王家の泉は、王都ができるよりもずっと昔からそこにあったこと。王都という町は、そもそもその泉のまわりに人が集まってできた町だったこと。何代か前の王が泉を城壁で囲い、それ以来、宮廷魔法使いが泉を守るようになったこと。


「泉の水が細くなりはじめたのは、記録によれば、およそ百年前からじゃ」


 マーリンは、机の上の古い羊皮紙を指でなぞった。


「最初はほんのわずかじゃった。それが年々、少しずつ、少しずつ。ここ数年は、目に見えて減っておる」


「宮廷魔法使いの呪文でも、戻らないんですよね」


「戻らん」


 マーリンは、あっさりと言った。


「戻るはずがないと、わしは思っとる」


 テオは、顔を上げた。


 マーリンは、机の引き出しから、一冊の古い本を取り出した。表紙は黒ずみ、端はぼろぼろに崩れかけている。


「これはな、この書庫でいちばん古い魔法の書じゃ。何百年も前のものでな、文字も古くて、今の魔法使いはほとんど誰も読めん」


 マーリンは、慎重にページをめくった。


 黄ばんだ紙に、見たことのない文字がびっしりと並んでいる。テオは、どきりとした。分かれ道の広間の石板に刻まれていた文字に、どこか似ていた。


「ここを見てみい。風を呼ぶ呪文じゃ」


 マーリンは、ページの一行を指さした。


「今の呪文は、『風よ、我が声に従え』じゃろう。ところが、この古い書では、こう書いてある」


 マーリンは、ゆっくりと読み上げた。


「『風よ、どうか、我が声を聞きたまえ』」


 テオは、息をのんだ。


 どうか。


 お願い。


「ほかの呪文も、みんなそうじゃ。水の呪文も、火の呪文も、土の呪文も。古い呪文には、どれも『どうか』『願わくは』という言葉が入っておる。それが、いつの時代からか消えて、『従え』『命ずる』に置き換わっていった」


 マーリンは、古い本をそっと閉じた。


「そして、記録をたどると――魔法の力が弱くなっていったのも、ちょうど同じころからなんじゃよ」


 塔の窓から、風が吹き込んできた。


 扉の上の風鈴が、ちりんと鳴った。


「わしは若いころ、それを論文にまとめて、宮廷魔法使いたちの前で発表した。『呪文を、昔の形に戻すべきではないか』とな」


 マーリンは、白い髭をなでながら、からからと笑った。


「大笑いされたわい。魔法使いが、魔法の力に『どうか』などと頭を下げてどうする、とな。それ以来、わしはこの塔で本の番人じゃ」


 テオは、何も言えなかった。


 胸の奥が、熱くなっていた。


 この人は、知らないのだ。魔法の正体が、精霊だということを。精霊の姿も見えないし、声も聞こえない。


 それなのに、古い本だけを手がかりに、ここまでたどり着いている。


 命令ではなく、お願い。


 テオが、おばあちゃんから教わったことと、同じところへ。


「……試してみたことは、あるんですか?」


 テオは、おそるおそるたずねた。


「古い呪文。『どうか』のほう」


 マーリンは、片方の眉を上げた。


「あるにはある。じゃが、どうにも照れくさくてのう。この年になって、風に『どうか』などと言うのは」


「僕、見てみたいです」


 テオは、身を乗り出していた。


 マーリンは、しばらくテオの顔をじっと見ていた。それから、ふうっと息をついて、ロッキングチェアから立ち上がった。膝の上の黒猫が、不満そうに床へ飛び降りる。


「……まあ、よかろう。笑うでないぞ」


 マーリンは、窓辺に立った。


 古い杖を、そっと窓の外へ向ける。


 そして、ささやくような声で唱えた。


「風よ、どうか、我が声を聞きたまえ」


 テオには、見えた。


 扉の上の風鈴のまわりにいた薄緑色の風の精霊たちが、ぱっとこちらを振り向いたのが。


 それから、うれしそうにくるくると宙を舞い、マーリンの杖の先へと集まっていったのが。


 ふわり。


 窓の外から、やわらかな風が吹き込んできた。


 強い風ではなかった。けれど、机の上の羊皮紙の山が、一枚、二枚、ふわりと宙に舞い上がった。マーリンの白い髭が、やさしく揺れた。部屋中の本のページが、ぱらぱらとめくれていった。


 まるで、塔の中が深呼吸をしたようだった。


 風が、やんだ。


 舞い上がった羊皮紙が、ひらひらと床に落ちてくる。


 マーリンは、杖を下ろしたまま、しばらく窓の外を見つめていた。


「……ふむ」


 それから、首をかしげた。


「いつもより、少しばかり風が素直じゃったような気がするのう」


 テオは、口元がゆるみそうになるのを必死にこらえた。


 精霊たちが、マーリンのとんがり帽子のまわりを、はしゃぐようにくるくると飛び回っていた。


「まあ、気のせいじゃろう」


 マーリンはそう言いながらも、机の上の手帳に、何やらこっそりと書きつけていた。


◇


 床に散らばった羊皮紙を、二人で拾い集めた。


 テオが最後の一枚を拾い上げたとき、扉の上の風鈴が、またちりんと鳴った。


 風の精霊が一体、テオの目の前をすいっと横切っていった。


 テオは、思わずそれを目で追っていた。


 窓辺へ。本棚の上へ。マーリンの帽子のてっぺんへ。


「――おぬし」


 ふいに、マーリンの声がした。


 テオは、はっとして振り返った。


 マーリンが、明るい灰色の目で、じっとテオを見ていた。


「今、何を見ておった?」


 テオの背中が、ひやりと冷えた。


「え……いえ、その、ほこりが……」


「ほこり、か」


 マーリンは、テオの目線の先――自分の帽子のてっぺんを、ちらりと見上げた。


 もちろん、マーリンには何も見えない。


 風の精霊が、帽子の上でのんきに綿毛の体を揺らしているだけだ。


「さっきもそうじゃった。わしが呪文を唱えたとき、おぬしは窓の外ではなく、扉の上の風鈴のほうを見ておった。それから、わしの杖の先を。まるで、何かが動くのを目で追っておるように」


 テオは、何も言えなかった。


 マーリンは、しばらく黙ってテオを見つめていた。


 それから、ふっと目元をゆるめた。


「……まあ、よい。年寄りの気のせいじゃろう」


 マーリンは、ロッキングチェアにどっかりと腰を下ろした。黒猫が、待っていたとばかりに膝の上に飛び乗ってくる。


「テオと言ったな。泉を見たいんじゃろう」


「は、はい」


「明日の朝、もう一度ここへ来なさい」


 テオは、目を見開いた。


「わしにも、泉には用があってな。泉の古い記録を、もう一度この目で確かめたいと思っておったところじゃ。わしの付き添いという形なら、ヴィクトルの坊やも文句は言えまい」


 マーリンは、いたずらっぽく片目をつぶってみせた。


「わしは、これでも宮廷魔法使いの最古参じゃからな。あの坊やが、まだおしめをしておったころから、この城におる」


 テオは、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、マーリンさん!」


「さん、はいらんよ。マーリンでいい」


 マーリンは、目を閉じた。


 もう眠ってしまったのかと思ったころ、ぽつりとつぶやいた。


「――おぬしのような目をした子に会うのは、久しぶりじゃ」


◇


 塔の螺旋階段を下りながら、テオは水筒袋をそっと押さえた。


「ミズハ。聞いてた?」


「聞いてたわ」


 ミズハの声は、少し震えていた。


「あのおじいさん、わたしたちのことが見えないのに……昔の言葉を、ちゃんと覚えててくれた人がいたのね」


「うん」


「『どうか、我が声を聞きたまえ』……」


 ミズハは、その言葉を確かめるように、小さく繰り返した。


「人間がそう言ってくれていたころのこと、わたし、覚えてる。ずっとずっと昔。みんなで、あの水の道を作っていたころ」


 テオは、階段の途中で足を止めた。


 塔の窓の外に、城の中庭が見えた。


 その奥に、高い壁で囲まれた一角がある。たぶん、あの向こうに王家の泉があるのだ。


「明日、だね」


「ええ。明日」


 ミズハは、それきり黙ってしまった。


 けれど、水筒袋の中で、ちゃぷん、ちゃぷんと、落ち着かなげに水が揺れつづけていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。