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異世界鉄道王物語  作者: 蒼屋 瑞希
第一部 窓辺の王女と、地下の水音
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12/17

二人だけの町歩き

 夕暮れの王都は、昼間とはまた違う顔をしていた。


 通りの軒先に、ひとつ、またひとつとランプが灯っていく。店じまいを始めた八百屋の隣で、夜の屋台が湯気を上げはじめる。仕事帰りの職人たちが、肩を組んで酒場へ吸い込まれていく。


 その真ん中で、リリーは立ち止まってばかりいた。


「テオ、見て! あの魚、口が大きい!」


「それはただの鱈だよ」


「テオ、あれは何? 黄色い粉が山みたいに積んであるの」


「たぶん、香辛料じゃないかな……」


「テオ! あの人、帽子に鳥がとまってる!」


「……あれは僕もよく分からない」


 リリーは、何もかもに目を輝かせていた。魚屋の桶をのぞき込み、香辛料の匂いに思いきりくしゃみをし、帽子に鳥をのせた男の後ろをついていこうとして、テオに袖を引っ張られた。


 テオは、そんなリリーの横顔を見ながら、なんだか不思議な気持ちになっていた。


 四日前の自分も、きっとこんな顔をしていたのだ。丘の上から初めて王都を見下ろしたとき。伯爵の工房の扉を開けたとき。


 けれど、リリーは違う。


 リリーは、この王都で生まれ育ったはずだ。毎日、あの塔の窓から、この町を見下ろしてきたはずだ。


 それなのに、まるで初めて見る景色のように、何もかもに驚いている。


(本当に、一度も歩いたことがなかったんだな)


 腰の水筒袋の中で、ミズハがちゃぷんと揺れた。


◇


「坊主、また来たね!」


 東の市場の角の串焼き屋で、恰幅のいいおかみさんが手を振った。


「おや、今日はかわいいお連れさんまで。どこのお嬢さんだい?」


「え、ええと……友だちです」


「ふうん?」


 おかみさんは、にやにやしながら串を二本、炭火の上でひっくり返した。


 リリーは、フードを深くかぶったまま、炭火の上で脂を落とす肉を、穴が開くほど見つめていた。


「いいにおい……」


「はいよ、二本ね。熱いから気をつけな」


 テオは、伯爵にもらった革袋から銅貨を出して、串を受け取った。一本をリリーに渡す。


 リリーは、串を両手で持ったまま、きょろきょろと辺りを見回した。


「……テオ。どこに座るの?」


「座らないよ。歩きながら食べるか、ここで立ったまま食べるんだ」


 リリーは、目をまん丸にした。


「立ったまま?」


「うん」


「お皿も、ナイフも、なしで?」


「串だからね」


 リリーは、手の中の串をしげしげと眺めた。それから、まわりで同じように串をかじっている職人たちを見た。もう一度、串を見た。


 そして、意を決したように、思いきりかぶりついた。


「――っ!」


「あ、熱いって言ったのに」


 リリーは、はふはふと口を動かしながら、目に涙を浮かべていた。けれど、ようやく飲み込んだあと、その顔はぱあっと輝いた。


「おいしい……!」


「だろ?」


「すごくおいしい! わたし、立ったまま何かを食べるの、生まれて初めて!」


 おかみさんが、げらげらと笑った。


「なんだい、お嬢さん。よっぽどお上品なお屋敷の子なんだねえ」


 リリーは、はっとしたようにフードを引っ張った。


 テオは、慌てて話をそらした。


「リリー、ほっぺた。たれがついてる」


「えっ、どこ?」


「右。いや、そっちは左……」


 リリーは手の甲でごしごしと頬をこすり、たれを顔中に広げた。


 テオは、こらえきれずに吹き出した。


 リリーは、むっとした顔でテオをにらみ――それから、自分でもおかしくなったのか、一緒になって笑い出した。


◇


 二人は、串をかじりながら通りを歩いた。


 広場では、大道芸人が人だかりを集めていた。


 派手な衣装の男が、手のひらを上に向けて呪文を唱える。


「炎よ、我が手に宿れ!」


 ぼっ、と手のひらの上に小さな火が灯った。見物人たちから、拍手と歓声が上がる。


「すごい……! テオ、見た? 手の上に火が!」


 リリーは、身を乗り出して拍手をしていた。


 テオも拍手をした。けれど、テオの目には、別のものも見えていた。


 男の手のひらの上で、赤い小さな火の精霊が、いかにも不機嫌そうに体を揺らしているのが。呪文で呼びつけられ、人前で見世物にされて、むすっと頬をふくらませているのが。


(ごめんな。お疲れさま)


 テオが心の中でそう言うと、火の精霊はちらりとこちらを見て、ぷいと顔をそむけた。


 それでも、ほんの少しだけ、炎が大きく揺れた。


「わあ……今、火が大きくなった!」


 リリーが、また歓声を上げた。


◇


「ねえ、テオ。あなたは、どこに住んでるの?」


 広場を抜けたところで、リリーがたずねた。


「伯爵様のお屋敷。フィッツジェラルド伯爵っていう人が、村から連れてきてくれたんだ」


 リリーが、ぴたりと足を止めた。


「フィッツジェラルド伯爵? あの、変わり者の?」


「知ってるの?」


「知ってるも何も……」


 リリーは何か言いかけて、慌てて口をつぐんだ。それから、ごまかすように咳払いをした。


「……有名な人だもの。孔雀みたいな上着を着て、いつも変なからくりを持ち歩いてるって」


「ああ、うん。そのとおりの人」


 テオが答えると、リリーは何かを思い出したように、くすくすと笑い出した。


「そう。あの人のお屋敷に……ふふっ。じゃあ、テオは毎日、からくりの鳥に起こされてるの?」


「よく知ってるね。本当に、からくりの鳥が窓をつついて起こしにくるんだ」


 リリーは、お腹を抱えて笑った。


 テオは首をかしげた。城に住んでいる貴族の娘なら、伯爵のことを知っていてもおかしくはない。けれど、リリーの笑い方は、遠くから噂を聞いているというより、もっと近くで、何度も伯爵の奇行を目にしてきた人の笑い方に見えた。


(伯爵様の、知り合いの家の子なのかな)


◇


「テオ、あそこに登れる?」


 リリーが指さしたのは、王都を囲む城壁だった。


 城壁の内側には、ところどころ石の階段があり、見張りの通路へ上がれるようになっている。夕暮れどきには、町の人々が涼みがてら登って、外の景色を眺めるのだと、伯爵から聞いたことがあった。


 二人は、長い石段を登った。


 てっぺんに着いた瞬間、強い風が吹きつけた。


 リリーのフードが、ばさりと外れる。淡い金色の髪が、夕陽の中に舞い上がった。


 けれど、リリーは髪を押さえもしなかった。


 城壁の向こうを、ただじっと見つめていた。


 そこには、どこまでも続く世界が広がっていた。


 夕陽に染まった麦畑。その間を縫うように延びる、何本もの街道。遠くに点々と見える、小さな村の屋根。その向こうに、青くかすむ森。さらにその向こうに、薄紫色の山並み。


 街道の一本を、荷馬車が一台、ゆっくりと遠ざかっていくのが見えた。


「……あの道の向こうには、何があるの?」


 リリーが、ぽつりとつぶやいた。


 テオは、リリーの視線の先を追った。南へ延びる、いちばん大きな街道。


 自分が、十日かけて通ってきた道だった。


「あの道をずっと行くと、宿場町がいくつもあって、大きな川を渡って、それから山が見えてくる。その山のふもとに、僕の村があるんだ。馬車で十日」


「十日……」


「何にもない村だよ。畑と、小川と、井戸と。でも、夏の夜は星がすごくきれいで、朝は霧が出て、山が真っ白に見える」


 リリーは、黙ってテオの話を聞いていた。


 その横顔は、塔の窓辺で見たときと同じだった。退屈そうで、それでいて、行きたくてたまらないような目。


 けれど、今はもっと近くて、もっと切なそうに見えた。


「わたしね」


 リリーが、ゆっくりと口を開いた。


「生まれてから一度も、王都の外に出たことがないの」


 テオは、リリーの横顔を見た。


「毎日、窓から町を見てたわ。あの屋根の下で、どんな人が暮らしてるんだろうって。あの道の先には、どんな町があるんだろうって。でも、どんなに見ても、窓からじゃ何も分からないの」


 風が、リリーの髪をなびかせる。


「だから、あの抜け道を見つけたときは、本当にうれしかった。でも、今日、テオと歩いて分かったわ。わたし、王都の中ですら、ほとんど何も知らなかったんだって」


 リリーは、城壁の縁に手をついて、遠くの山並みを見つめた。


「あの壁の向こうを、もっと遠くまで見てみたい」


 その声は、小さかった。


 けれど、テオの胸の奥に、深く深く染み込んでいった。


「テオの村も。その先の山も。海も。この国の、端から端まで、全部」


 それから、リリーはふっと笑った。少しだけ、寂しそうに。


「……なんて。無理なのは、分かってるんだけどね」


 テオは、何も言えなかった。


 言えることが、何もなかった。


 ただ、頭の奥に、あの石板の地図が浮かんでいた。


 国中に張り巡らされた、無数の線。村から村へ、町から町へ。山の向こうへ、川の向こうへ、森の奥へ。そのすべてが、この王都の真ん中へ集まり、そしてまた、国の端から端まで延びていく。


(あの道を、この子が歩けたら)


 そんな考えが、ふと浮かんで――テオは、自分で自分に驚いた。


 何を考えているんだろう。あれは崩れて、途切れて、水の流れる真っ暗な地下の道だ。お嬢様が歩けるような場所じゃない。


 けれど、その考えは、なかなか頭から離れなかった。


◇


 ごーん。


 遠く、王城のほうから、鐘の音が響いた。


 リリーが、びくっと跳び上がった。


「夕食の鐘!」


「えっ、もう!?」


「まずいわ、テオ! 走って!」


 二人は、城壁の石段を駆け下りた。


 夕闇の路地を抜け、さびれた倉庫街を駆け抜け、雑草の坂を転がるように下りて、石橋の下へ。


 リリーは、息を切らしながら鉄格子を持ち上げた。四つん這いになってアーチに潜り込みかけ――それから、くるりと振り返った。


「テオ」


「うん?」


「今日は、ありがとう。すっごく、すっごく楽しかった」


 夕闇の中で、青い瞳がきらきらと光っていた。


「ねえ、また来てもいい?」


 テオは、うなずいた。


「三日後。同じ時間に、ここで待ってる」


 リリーの顔が、ぱあっと輝いた。


「約束よ!」


 それだけ言うと、リリーはアーチの中へするりと消えていった。ぺたぺたという足音が、暗がりの奥へ遠ざかっていく。


 テオは、鉄格子をそっと元に戻した。


 それから、アーチの奥に灯る小さな青い光に、いつものように頭を下げた。


(あの子を、ちゃんと送り届けてあげてね)


 青い光が、ふるりと揺れて、足音を追うように奥へ消えていった。


 帰り道、腰の水筒袋の中から、ミズハがくすくすと笑う声がした。


「テオ。三日後が、待ち遠しいって顔してる」


「……してないって」


「してる」


 テオは何も言い返せず、夜空を見上げた。


 一番星が、王城の北の塔の真上で光っていた。


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