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異世界鉄道王物語  作者: 蒼屋 瑞希
第一部 窓辺の王女と、地下の水音
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11/16

城を抜け出した少女

 それから二日間、テオは工房にこもりきりだった。


 伯爵に頼まれたのは、屋敷の厨房の水汲みを楽にするポンプだった。村で作ったものと仕組みは同じだが、王都の工房には鉄も銅もある。胴体を銅の筒にし、弁を真鍮の金具で留めると、村のポンプよりずっと軽く、ずっと長持ちするものができあがった。


 厨房の料理人たちは大喜びし、伯爵は例によって手帳に猛烈な勢いで何かを書きつけた。


 けれど、そのあいだもずっと、テオの頭の片隅には、あの北の塔があった。


 塔の下から城の外へ延びる、細い古い道。


 水がほとんど流れていない、人の足音が残る道。


(あの道は、どこに出るんだろう)


 もしかしたら、王家の泉の近くを通っているかもしれない。もしかしたら、村から続くあの古い水路と、どこかでつながっているかもしれない。


 三日目の夕方、ポンプの仕上げを終えたテオは、工房の片付けもそこそこに屋敷を出た。


◇


「こっち。もう少し左」


 水筒袋の中から、ミズハが道案内をする。


 テオは、王都の北のはずれを歩いていた。城の北側をぐるりと回り込み、さらにその先へ。立派な屋敷は少なくなり、古い倉庫や、使われていない粉ひき小屋が並ぶ、さびれた一角に出る。


 その先を、細い川が流れていた。


 川には、苔むした古い石橋が架かっていた。人通りはない。橋のたもとには雑草が生い茂り、壊れた荷車が一台、打ち捨てられている。


「あの橋の下よ」


 テオは、雑草をかき分けて川べりへ降りた。


 石橋の下は、薄暗かった。ひんやりとした空気。水の匂い。


 橋の根元の石壁に、半円形の小さなアーチが口を開けていた。大人なら四つん這いにならないと通れないほどの大きさだ。その口は、錆びた鉄格子でふさがれている。


「古い排水口……かな」


 テオは、鉄格子に顔を近づけた。


 格子の奥は、真っ暗だった。けれど、かすかに風が吹き出してくる。ずっと奥まで、どこかへ通じている風だ。


 足元を見る。


 アーチの手前の泥に、小さな足跡がいくつも残っていた。


 子どもくらいの大きさの、靴の跡。


 それも、新しい。


(本当に、誰かがここを通ってるんだ)


 テオは、鉄格子をつかんでみた。


 がたん。


 格子が、あっけなく動いた。錆びついているように見えて、実は留め金が外されている。ちょっと持ち上げれば、子ども一人がくぐれるくらいの隙間が開くようになっていた。


「テオ」


 ミズハが、急に声をひそめた。


「誰か来る。奥から」


 テオは、息を止めた。


 耳を澄ます。


 かすかに、聞こえた。


 ぺた、ぺた、ぺた。


 暗いアーチの奥から、足音が近づいてくる。軽い足音だった。それに混じって、衣ずれの音と――小さな、楽しげな鼻歌。


(まずい)


 テオは、慌てて辺りを見回した。隠れる場所がない。橋の下は狭く、川と石壁に挟まれている。


 ぺた、ぺた。


 足音が、すぐそこまで来ていた。


 がたん、と鉄格子が持ち上がった。


 そして、暗いアーチの中から、茶色い外套のフードをかぶった頭が、にゅっと出てきた。


 その頭が、四つん這いのまま顔を上げる。


 目の前に、テオがいた。


 二人は、まったく同じ姿勢で固まった。


 テオは、鉄格子の前で中腰のまま。相手は、アーチから上半身だけ出した四つん這いのまま。


 川のせせらぎだけが、橋の下に響いていた。


 フードの奥から、大きな瞳がのぞいていた。


 春の空のような、澄んだ青い瞳だった。


 その瞳が、みるみる大きく見開かれていく。


「――っ!」


 相手は、ものすごい勢いでアーチの中へ引っ込もうとした。


 ごん。


 鉄格子に、思いきり頭をぶつけた。


「いったぁ……!」


「だ、大丈夫!?」


 テオが思わず手を伸ばすと、相手は頭を押さえたまま、アーチの中から這い出してきた。立ち上がった拍子に、フードがはらりと外れる。


 淡い金色の長い髪が、夕暮れの光にこぼれた。


 テオは、息をのんだ。


 知っている。


 この髪を、知っている。


 塔のいちばん上の窓辺で、風になびいていた髪だ。


「あ……」


 相手は、頭を押さえたまま、テオの顔をまじまじと見つめた。それから、ぱちぱちとまばたきをした。


「あなた」


 青い瞳が、驚きから、ゆっくりと別のものに変わっていく。


「この前、堀の外で手を振ってた子!」


「え……見えてたの!?」


「見えてたわよ。塔の上からだって、ちゃんと見えるもの。わたし、目はいいのよ」


 少女は胸を張りかけて、はっと我に返ったように、自分が出てきたアーチを振り返った。それから、テオを振り返った。もう一度、アーチを。もう一度、テオを。


 その顔から、すうっと血の気が引いていった。


「……見たわね」


「え?」


「わたしがここから出てくるところ、見たわね」


 少女は、ずいっとテオに詰め寄ってきた。思っていたよりずっと背が高い。テオより、頭半分くらい。


「お願い。誰にも言わないで」


 さっきまでの勢いはどこへやら、少女の声は必死だった。


「この道のことが知られたら、きっと塞がれちゃう。そうしたら、わたし、もう二度と外に出られなくなる。だから、お願い。誰にも――」


「言わないよ」


 テオは、すぐに答えた。


 少女が、きょとんとした。


「……え?」


「言わない。誰にも」


 テオは、少しだけ笑ってみせた。


「僕も、人に言えない秘密くらい、持ってるから」


 少女は、しばらく黙ってテオを見つめていた。疑うような、確かめるような目で。


 それから、ふっと肩の力を抜いた。


「……変な人ね」


「よく言われる」


 少女は、くすっと笑った。


 塔の窓辺で手を振ったときと、同じ笑い方だった。


◇


「わたしは、リリー」


 少女は、外套の泥を払いながら名乗った。それ以上のことは、何も言わなかった。


「僕は、テオ。南の山のほうの村から、四日前に王都に来たんだ」


「四日前? じゃあ、王都はまだ全然知らないの?」


「まあね。市場の串焼き屋くらいしか」


 リリーは、なぜだか目を輝かせた。


「それでも、わたしよりはずっと詳しいわ」


「え?」


「わたし、町をちゃんと歩いたこと、ほとんどないの。この道を見つけてから、何度か抜け出してはみたんだけど……いつもこの橋のまわりをちょっと歩いて、すぐ戻ってきちゃうの。一人で遠くまで行くのは、ちょっと怖くて」


 リリーは、それから少しだけもじもじして、テオの顔をのぞき込んだ。


「ねえ、テオ。お願いがあるの」


「お願い?」


「町を、案内して」


 テオは、目をぱちくりさせた。


「僕が? 四日前に来たばっかりなのに?」


「四日も先輩じゃない」


 リリーは真顔だった。


 テオは、思わず吹き出しそうになった。


 それから、目の前の少女をあらためて見た。


 粗末な茶色の外套。けれど、その裾からのぞいている靴は、つやつやに磨かれた上等な革靴だった。泥を払う指先は白く、爪は桜貝のように整えられている。話し方にも、どこか品がある。


(お城に住んでるんだから……貴族のお嬢様、かな)


 城には、王様の家族だけでなく、たくさんの貴族や侍女たちも暮らしていると、伯爵から聞いていた。きっと、そのうちのどこかの家の娘なのだろう。窮屈な暮らしが嫌で、こっそり抜け出してきたのだ。


「……ミズハ、どう思う?」


 テオは、腰の水筒袋に向かって小声でたずねた。


 水筒袋の中から、くすくすと笑う声がした。


「いいんじゃない? あの子、悪い子じゃなさそうよ。それに、テオ、ちょっとうれしそうな顔してる」


「し、してないよ」


「してる」


「――誰と話してるの?」


 テオは、跳び上がりそうになった。


 振り返ると、リリーが首をかしげて、テオの腰のあたりをじっと見ていた。


「今、誰かと話してたでしょう?」


「え、いや、その……ひ、独り言!」


「独り言で『してないよ』って言い返すの?」


「……言い返すこともある」


 リリーは、じとっとテオを見た。


 テオは、背中に冷や汗が流れるのを感じた。


 けれど、リリーはそれ以上追及しなかった。ただ、面白いものを見つけたような顔で、小さく笑っただけだった。


「やっぱり、変な人」


◇


「じゃあ、行こうか」


 テオは、橋の下から川べりの坂を上ろうとして――ふと、足を止めた。


 振り返る。


 石壁の、半円形のアーチ。その奥の暗がりに、ほのかな青い光が一つだけ、ぽつんと灯っていた。


 水の精霊だった。王都のほかの精霊たちと同じように、小さく身を縮めている。けれど、逃げずにじっと、こちらを見ていた。


 この道に、ずっと住んでいる子なのかもしれない。リリーが通るたびに、きっと見守っていたのだろう。


 テオは、アーチに向かって、小さく頭を下げた。


(この子を、通してくれてありがとう)


 暗がりの中で、青い光がふるりと揺れた。


「……今、何にお辞儀したの?」


 リリーが、坂の途中で振り返っていた。


 テオは、少し迷ってから答えた。


「道に」


「道?」


「通らせてもらった、お礼」


 リリーは、ぽかんと口を開けた。


「道にお礼を言う人なんて、初めて見た」


「変かな」


「変よ」


 リリーは、きっぱりと言った。


 それから、坂を駆け下りてきた。テオの隣に並んで、アーチのほうへ向き直る。


 そして――ぺこりと、頭を下げた。


 テオは、目を丸くした。


「いつも、通らせてくれてありがとう」


 リリーは、顔を上げて、少しだけ照れくさそうに笑った。


「わたし、何回もここを通ってたのに、一度もお礼を言ったことなかったわ」


 アーチの暗がりで、青い光が――ほんの少しだけ、明るくなった。


 テオには、それが見えた。


 リリーには、見えていない。


 けれど、リリーはまるで何かを感じ取ったように、もう一度アーチのほうをじっと見つめて、それから満足そうにうなずいた。


「さあ、行きましょう、テオ」


 リリーが、テオの手をつかんだ。


「日が沈んで、夕食の鐘が鳴る前に戻らないと、エマに叱られちゃうの。だから、急いで!」


「エマって――うわっ」


 答えを聞く前に、テオは引っ張られていた。


 雑草の坂を駆け上がり、さびれた路地を抜けて、夕暮れの王都の町なかへ。


 フードを深くかぶり直したリリーの横顔は、塔の窓辺で見たときよりも、ずっとずっと楽しそうだった。


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