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壊れたままのあなたも、ここにいていい――悪役令嬢の魔導具修理店  作者: 夜凪 蒼


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エピローグ「錆びた鈴は、今日も鳴っています」

初夏の朝の光には、彫りたての看板がよく映える。軒下を抜ける風は乾いた土の匂いを運んで、通りの井戸端はもう水音とおしゃべりでにぎやかだ。


 ある朝、店の前に立てかけてあったのだ。樫の一枚板に、深くまっすぐな彫り文字で「アッシュフォード工房 なんでも直します」。文字の下には歯車の絵まで律儀に彫り写してある。


 名乗りはどこにもないけれど、のみの運びの迷いのなさが作り手を教えていた。彫り溝に指を沈めると木の香がまだ青い。礼を言いに行くと槌の音がひとつだけ乱れて、それきり返事はなかった。


 殴り書きの古い看板は、外して店の中の壁へ掛けた。作業台の真上、母の工具と同じ目の高さ。この店でいちばん上等な場所だと私は思っている。


 今日の直しものは、歌の出だしがずれる子守り玩具と、火加減の頑固な魔導コンロのふたつ。石板の予定表はピコの右肩上がりの字で埋まりつつある。


 ピコは近ごろ、魔石の交換と接点磨きならひとりで請け負う。得意先は横丁の子どもたちで、玩具の直し賃はたいてい飴玉払い。値付けが甘いとからかうと、腕が上がったら値上げすんの、と生意気な返事が来る。


 この前は年下の洟垂れ坊主に柄の短いねじ回しを持たせて、したり顔で講釈していた。刃物は刃を自分に向けない——母から私へ、私からあの子へ、あの子から次の誰かへ。言葉は工具より長持ちするらしい。


 弟子の商いには掟をひとつだけ足した。直す前に、その品の思い出を持ち主から聞くこと。飴玉より値打ちのある報酬を、あの子はもう毎日受け取っている。


 母の箱は棚の奥から中の段へ引っ越した。日に灼けない、けれど店じゅうから見える高さ。布はもうかけていない。


 店じまいの前にひと巻きするのが決まりで、居合わせた客は得をしたと喜んで帰る。三つ目の節が外れるところで、常連はみんな笑うのだ。初めての客だけが目を丸くして、それから釣られて笑う。


 マルタさんなどは焼き菓子を提げて、わざわざ閉店間際を狙ってくる。母の声のほうはあの夜から一度も流れない。ふたりで歌う晩がまた揃えば聞けるのか、一度きりの言付けだったのか。


 急いで確かめずに、その楽しみは棚の上にとってある。うちが預かるのは変わらず、品物と思い出のふた包みだ。


 先だって、北の国境から小包が届いた。中身は潰れた魔導ランタン、手紙は一行きり。「約束どおり、壊れたので送る」。


 癖の強い署名に噴き出してしまった。芯柱を叩き直し、魔石を替えて送り返す。荷札の口上はもちろん「魔石は5年もちます」。


 国境まで出張する修理屋は、王国広しといえどもうちだけだろう。すみれの香水のあの人からも、季節の変わり目に魔導鏡の具合を報せる短い便りが届く。坂の上と下はいまはそれくらいの細い糸でつながっている。


 切れない程度に細くて、絡まない程度に長い。ちょうどいい塩梅である。


 王宮府の御用もいまも絶えない。もうすぐ、あの夜からかぞえて三度目の建国祭だ。私にとってはもう記念日ではなく、ランプ修理の書き入れどきである。


 壊れたシャンデリアの代わりに、いまは横丁じゅうの灯りが私の手を待っている。灯りものが立て込むこの時季、うちの作業台と隣の台は、昼のあいだ路地のまんなかで突き合わせになる。大物はふたりがかり、細物は手分けで進める。


 御用の荷札に屋号を書き入れるたび、母の名前と並んで働いているような気になる。


 きのうもそうだった。座金を握り込んだまま、ヴィムが無言で左の手を開く。私はその掌へ、見もせずに鑷子をのせる。


 逆のときは私が手を開いて、欲しい工具が頼むより先にのっている。手順の帳面をいつのまにか一冊、ふたりで共有しているらしい。それがどういうことなのかは、当分、深く考えないことにした。


 金物屋の奥の梁には仕上がった星籠が吊るされていて、夕暮れどきに小さな星をともす。売り物かと訊く客に、あの人は毎度「非売品だ」とだけ答えている。


 ピコは今年こそ祭りの屋台を全制覇すると息巻いていて、ダリア婆さんは寄り合いの仕切りで朝から声を嗄らしている。錆び横丁の夏がもう坂の下まで来ている。


 軒先の鈴はあいかわらず赤茶けたままでいる。先日、行商の錺職人に「磨けば見違えますよ」と声をかけられた。店の奥からピコがすっ飛んできて、胸を張って断ったものだ。


 これがうちの音なんだ、錆びてるけどちゃんと鳴るんだ——教えたおぼえのない口上に、私は頷くだけでよかった。あの錆はこの店がくぐってきた雨と朝の数だ。磨いて消すようなものではない。


 作業台には布がふた張り。工具はどちらも右から左へ、使う順に眠っている。刃はどれも手前へ向けずに。前掛けの紐を結ぶと、何千回とこしらえてきた結び目を、手が勝手に仕上げてくれた。


 表で、ざらりとあの音がした。


 口開けのお客さまだ。響きを聞きつけて、誰かが壊れた何かと一緒に坂を下りてくる。


「はあい、ただいま」


 返した声は我ながら、錆びた鈴よりよく通った。

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