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八番読了印欄は、存在しない候補者の同意ではありません

八番、という数字だけが、レオンの手袋の内側で銀色に光っていた。


候補者名簿は七番まで。王太子妃候補控えも七人分。外套掛け札も、帰宅靴の仮置き棚も、七つしかない。


「存在しない番号です」


王太子殿下の側近が、ほっとしたように言った。


「名簿にないなら候補者ではない。候補者でないなら、同意欄など不要だ」


その言葉に、私は針箱の蓋へ手を置いた。


不要。


その一語で閉じられるものを、私は今日だけで何度も見た。歩幅、帰宅靴、夜気外套、読了印欄。どれも、祝典の布から見れば小さな端切れだ。けれど、本人の生活から見れば、足を痛めず帰るための条件で、声を奪われないための欄だった。


「候補者でないなら、候補者衣装の芯に縫える理由がなくなります」


私は青い仮止め札をもう一枚出した。


「八番読了印欄。本人名、未記載。生活影響欄、王太子側受領済み。候補者名簿外。よって、存在しない同意としてではなく、本人確認未了の空白として保護します」


「保護だと? 空白を守ってどうする」


「空白を勝手に埋められないようにします」


王妃陛下が小さく頷いた。


私は七人分の候補者控えを机へ並べた。リナリア、セリア、ミリア、ほか四名。どの紙にも、名前、歩幅、帰宅門、外套、読了印欄がある。


八番の切れ端には、名前がない。けれど、紙幅は候補者控えより細い。布目は、王宮衣装室の候補者紙ではなく、退職処理済み箱に使う保守記録紙に近かった。


私は針を入れず、紙端の繊維を指先でなぞるだけにした。


「候補者名簿外なのに、王太子側受領済み。候補者紙ではないのに、礼服芯へ縫われている。これは候補者の同意欄ではありません」


レオンの顔色が変わる。


「では、何だと言う」


「誰かを候補者として扱った欄ではなく、誰かの職能欄を候補者の代わりに使った跡です」


廊下がざわめいた。


私は退職処理済み箱を持って来させた。自分の名を戻すためではない。箱の端に貼られた古い封緘紙を、八番の紙幅と比べるためだった。


封緘紙には、私の旧保守印の跡があった。


ただし、押された角度が違う。私が返した日の角度ではない。退職処理の翌朝、箱が一度開き、誰かが同じ印面を寝かせて押した角度だった。


「エリナ様の印ではないのですか」


セリアが息をのむ。


「印面は同じです。でも、責任者が違います。私が読んでいない欄を、私が読んだことにして閉じた跡です」


私は八番札の横へ、三つの欄を書いた。


本人名。


読了者。


生活影響。


「王太子側は、候補者七人の同意だけでは足りなかった。祝典礼服の芯を起動するために、衣装室保守係が読んだ、という欄が必要だったのでしょう。だから退職処理済み箱から、私の保守記録紙を切った」


「そんなもの、ただの紙片だ」


レオンが言い切る前に、ノアが外套棚から一枚の小さな札を持ってきた。


「ただの紙片なら、どうして外套棚の鍵番号と合うんですか」


札には、八番棚、と書かれていた。


衣装室に八番候補者はいない。けれど、退職処理済み箱の隣には、私が夜番の針子へ戻すはずだった予備外套の棚がある。病欠明けの針子が、帰る時に使う一着。名前を書く前だったから、空白で保留していた棚だ。


「候補者ではない八番は、外套棚の八番です」


私は声を落とした。


「未使用外套ではありません。病欠明けの針子が、明日の夜番から帰るための予約分です」


王妃陛下の目が冷えた。


「その外套を礼服芯に縫えば、どうなる」


「八番棚は受領済みになります。針子は外套を受け取っていないのに、帰宅条件が閉じられます。さらに、私の保守印で読了済みにされる。本人も、読んだ者も、どちらも存在しないことになります」


存在しない候補者。


その言葉は、誰かを消すために便利すぎた。


私は青い仮止め札を八番棚へ結んだ。結び目は作らない。病欠明けの針子が自分の名前を読めるように、輪だけを残す。


「八番棚。夜番針子帰宅外套。本人名未記載のため、礼服芯への転用不可。王太子側受領済み印は、生活影響明細未添付のため未発効」


セリアがすぐに、棚の前へ布をかけた。ノアは退職処理済み箱に封を戻し、王妃陛下の前で写しを取る。


リナリアが、自分の踵当てを確かめながら言った。


「存在しないのではなく、まだ帰ってきていないだけなのですね」


「はい」


私は八番札の空白を、指で押さえずに見守った。


「帰ってきて、自分の名前で外套を受け取るまで、この欄は閉じません」


その時、退職処理済み箱の底から、薄い音がした。


封緘紙の下に、もう一枚、同じ幅の紙が挟まっている。


そこには私の旧保守印ではなく、王太子側管理室の紫の受領印が押されていた。


日付は、私が退職を宣言する前日。


つまり、私の印が返される前から、八番棚を「受領済み」にする準備は始まっていた。


王妃陛下が紙を見下ろす。


「レオン。これは、誰の帰宅外套を、誰の礼服へ縫う予定だったのです」


レオンは答えなかった。


答えない沈黙も、欄だ。


私はその沈黙の横へ、青い札を置いた。


未回答。生活影響明細、要提出。

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