礼服芯布の七番核は、候補者の歩幅で縫うものではありません
レオンの手袋から覗いた切れ端に、廊下の視線が吸い寄せられた。
「その手袋を出しなさい」
セリアが一歩前へ出る。リナリアも、痛む踵をかばいながら外套の合わせ目を握った。候補者たちの顔に浮かんだのは怒りではない。自分の読了印欄も、いつの間にか誰かの袖や手袋の内側へ入れられているかもしれない、という寒さだった。
レオンは白い手袋を背へ隠した。
「これは王太子側の礼装品だ。下働きの針子が触れるものではない」
「触れません」
私は針箱を閉じた。
奪えば、紙端の繊維が崩れる。崩れれば、その欄が誰の生活影響を動かしたのか、二度と読めなくなる。ここでレオンを怒鳴ることは簡単だった。けれど、読んでいない人の欄を、怒りの証拠にしてしまえば、王太子側と同じことになる。
私は青い仮止め札を一枚、手袋の前へ置いた。
「王太子側礼装手袋。読了印欄相当の紙片を内蔵。本人確認未了。開封ではなく、生活影響明細待ちとして保留」
「保留だと?」
「はい。礼服芯布の七番核は、候補者の歩幅で縫うものではありません」
王妃陛下が眉を動かす。
私は候補者控え台帳を開いた。七番核の欄には、華やかな言葉ばかりが並んでいる。王太子妃候補布。祝典礼服補強。王家承認済み。けれど、その隣にあるはずの生活欄は、三つとも薄く削られていた。
歩幅確認。
帰宅靴。
夜気外套。
「歩幅は、舞踏会で王太子殿下の隣に立つための数字ではありません。東門まで帰る足が痛まないか、馬車待ちの石段を越えられるか、途中で休む椅子が必要かを決める数字です」
私はリナリアの札を持ち上げた。
「リナリア様の歩幅は、王太子礼服側で七番核へ合わせられていました。でも本人は、控室からここまでで踵が痛いと言った。つまり、礼服側の受領済みは、帰宅条件を閉じていません」
リナリアは小さく息を吐いた。
「では、私の歩き方が悪かったのではないのですね」
「悪いのは足ではありません。足を読まない手順です」
私はノアへ目配せした。彼は靴棚から、候補者用ではなく夜番縫い子が使う柔らかい踵当てを持ってくる。セリアは東門外套の掛け札を三枚外し、候補者名札と重ねた。
一枚目、リナリア・フォルド。帰宅靴、踵当てあり。東門外套、一着返却。歩幅再確認まで礼服核転用不可。
二枚目、ミリア・ノルヴァ。本人未読保護。帰宅靴、本人確認待ち。候補者布、礼服核転用不可。
三枚目、名札なし。七番核周辺より切除紙片疑い。本人名不明のため、王太子側手袋内での受領扱い不可。
三枚目を書いた瞬間、レオンの喉が動いた。
「名札なしなど、候補者ではない」
「候補者でないなら、なおさら王太子妃礼服の核には縫えません」
私は青い糸を三枚の札へ通し、結ばずに輪だけ作った。ほどける形。本人が読めば、自分でほどける形。
「王妃陛下。祝典を止めたいのではありません。帰れる条件を持たない歩幅を、礼服の芯に縫い込むことを止めます」
廊下の候補者たちが、一人ずつ自分の靴先を見た。誰かが小さく「私も東門です」と言う。別の候補者が「私は南門、馬車がありません」と続ける。声が増えるたび、祝典礼服の白さは薄くなり、帰るための外套と靴の重さが見えてきた。
セリアが外套を配り、ノアが踵当てを渡す。リナリアは自分の名前で札を読み、痛む足に当て布を入れた。
「これなら、帰れます」
それだけで十分だった。
王太子殿下の面子はまだ崩れていない。ミリアはまだ来ない。レオンの手袋も開けていない。
けれど、少なくとも今夜、候補者たちの歩幅は礼服の中へ吸われず、それぞれの足元へ戻った。
王妃陛下は、三枚目の名札なしを見つめた。
「エリナ。その欄は、ミリア様のものではないのですね」
「はい。切り幅が違います。七番核に縫うには、細すぎます」
レオンが一歩下がる。その拍子に、手袋の内側からもう一つ、銀の糸で留められた小さな番号が見えた。
八番。
候補者名簿には、七番までしか存在しない。
私は青い札の輪をほどかず、その番号だけを写した。
読了印欄、八番。本人名、未記載。生活影響欄、王太子側受領済み。
王妃陛下の声が、祝典用の絹より冷たく落ちた。
「存在しない候補者の歩幅まで、誰の礼服に縫うつもりだったのですか」




