切り取られた読了印欄は、ミリアの声を消すためではありません
切り取られた欄は、指先にひっかかるほど細かった。
採寸控えの右端。名前を書く場所でも、花文字を入れる場所でもない。本人が読んだあとに小さな印を置く、読了印欄だけが、紙ごと失われている。
「ミリアが切ったのだろう」
レオンはすぐに言った。
「都合の悪い欄を消した。ならば、ミリアの責任だ。候補者本人の不備として処理すればいい」
控室の奥で、リナリアが肩をすくめた。ほかの候補者たちも、自分の名札を胸に寄せる。誰かの欄が切られたなら、次は自分の空白も罪にされる。そういう空気が、薄い外套より先に廊下を冷やした。
私は切り口へ針を当てた。
「いいえ。これはミリアの声を消すための切り取りではありません」
「では何だ」
「ミリアが読めなかったことを、読めなかったまま残さないための切り取りです」
王妃陛下が、静かに採寸控えを見下ろした。
私は白布の上に三枚の札を並べる。
ミリア・ノルヴァ。肩幅、袖丈、歩幅。
祝典礼服芯布。候補者布より転用。
東門帰宅外套。靴擦れ当て布。面談待ち膝掛け。
「採寸控えは、体を美しく見せる数字ではありません。どれだけ歩けば裾を踏むか。どの靴なら帰れるか。長く待つなら肩が冷えないか。本人が読んだかどうかは、その生活影響を閉じる前の最後の声です」
レオンの白い手袋が、採寸控えを奪おうと動く。
私は青い糸で紙の角を押さえた。
「触らないでください。切り口の糸くずが残っています」
切り取られた欄の端には、淡い金糸が一本だけ絡んでいた。衣装室で採寸控えを切るときに出る麻の毛羽ではない。王太子礼服の芯布へ使う、硬い金糸だった。
セリアが息をのむ。
「採寸控えを、礼服の中へ?」
「欄そのものを縫い込んだのでしょう」
私は声を低くした。
「読了印欄が紙に残っていれば、本人未読と分かる。けれど欄を切り取り、礼服芯布の内側へ移せば、王太子側はこう言えます。読了欄は礼服側で受領済みだ、と」
「詭弁だ」
「詭弁でも、靴は脱げません」
私はミリアの採寸控えの下に、リナリアの名札を置いた。二人の歩幅欄は、ほとんど同じ数字に直されている。けれど、リナリアはさっき廊下を歩くとき、左足を少し引きずっていた。
「リナリア様。今の靴で、東門まで帰れますか」
彼女は小さく首を横へ振った。
「控室からここまでで、踵が痛いです」
「では、あなたの歩幅はまだ閉じていません」
私は青い保留札に書く。
リナリア・フォルド。読了印なし。歩幅確認未了。帰宅靴、転用不可。
続けて、ミリアの札にも同じ青を置いた。
ミリア・ノルヴァ。読了印欄切除。本人未読として保護。候補者布、礼服芯布への転用不可。
廊下に、ふっと息の戻る音がした。
ノアが靴箱を開け、踵当てを二枚取り出す。セリアは外套掛けから薄い灰色の外套を戻し、リナリアの肩へかけた。
「これで東門まで歩けます」
「ミリア様の分も、候補者控室に残します」
小さな報酬だった。
王太子礼服はまだ止まったまま。ミリア本人はここにいない。レオンの責任も、王太子の承認も、今この場で裁けるわけではない。
けれど、読んでいない人の欄は、読んだことにされなかった。
痛む踵のための当て布が戻る。東門まで帰る外套が戻る。ミリアの名で切り取られた欄も、本人未読のまま守られる。
王妃陛下は青い保留札を指でなぞった。
「この札は、空白を責めるためではなく、空白のまま守るためですね」
「はい。読めない欄を、誰かの罪にしないためです」
レオンは笑おうとして、失敗した。
「そんな札一枚で、祝典礼服を止められると思うのか」
「札一枚では止めません」
私は切り取られた紙端を、王太子礼服の芯布へ重ねた。
幅が合う。
斜めの刃跡も合う。
そして、芯布の内側に縫い込まれた小さな番号札の末尾が、採寸控えの残った番号とつながった。
候補者契約核、七番。
生活影響欄、王太子側受領済み。
私は青い糸を結ばず、ほどける形で留めた。
「止めるのは祝典ではありません。読んでいない人の歩幅を、王太子礼服の核に縫い込む手順です」
王妃陛下の顔から、はじめて祝典の色が消えた。
その奥で、レオンの手袋の内側から、もう一枚、同じ幅に切られた読了印欄が覗いていた。




