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王太子礼服の入場時刻は、帰っていない人の足音を消せません

祝典客席裏では、楽師が拍子を一つだけ早めていた。


 金の椅子を並べる音、絹布を払う音、王太子礼服を運ぶために裏通路を空けろという声。その奥で、南門外の石畳だけが、まだ暗くなりかけている。


 ハルの靴音は、門の内側で止まっていた。


 外套は肩に戻った。小銅貨の皿も本人の前へ寄せられた。けれど門外へ一歩出る灯が消えれば、帰宅札はまた「未通過」のまま、礼服搬入済みの束へ押し戻される。


「王太子殿下の礼服が通ります。帰宅列は脇へ」


 祝典進行係が、赤い紐で裏通路を区切った。紐の端は南門灯の柱に結ばれている。灯を落とせば、王太子礼服の裾だけが明るい道を通る。


 エリナは灯油皿に触れず、まず床を見る。


「この通路は、何のために空けるのですか」


「礼服入場のためです」


「なら、帰る足音を消して作る道ではありません」


 門番が、今回は机の内側に残らなかった。腰の小灯を外し、南門の外へ半歩出る。灯は門札ではなく、ハルの靴先を照らした。


「通過済みは、門の内側で書けません。背中が灯の輪を抜けるまで、帰宅札は閉じません」


 ハルは外套の前を握り直した。皿の小銅貨を一枚だけ受け取り、残りを門番机に置く。


「家に着くまでは、全部は受け取りません。でも、今日の帰り道の分は、自分の名で受け取ります」


 ハルはそう言って、南門を出た。


 石畳に靴音が二つ、三つ、続く。門番は灯を少し前へ出し、ハルの背中が曲がり角へ届くまで、帰宅札の端を押さえていた。王妃付き記録係はその時刻を、礼服搬入簿ではなく「本人帰宅通過」の欄へ写す。


 ナギが、自分の小銅貨袋を胸に抱いたまま、帰宅列の後ろを振り向く。


「次は、リオです。外套の袖が濡れています。名前で呼んでください」


 呼ばれた少年が顔を上げた。名札はまだない。だがナギの声で列の中から一人になった。


 シオは封の閉じた次仕事札を見下ろし、客席裏の明るい燭台へ目を移した。


「私は、あそこで読みます。暗い門の下ではなく、読める明かりの前で。読んでも、今夜の帰り道を消す同意にはしません」


 エリナはうなずき、赤い通路紐を青糸で二つに分けた。


 王太子礼服入場路。


 帰宅列通過路。


「礼服が通る時刻と、人が帰る時刻は、同じ床を奪い合ってはいけません。先に閉じるのは、裾ではなく足音の安全です」


 進行係は唇を結ぶ。楽師の拍子が、また一つ早まった。


 その時、王太子礼服の袖口から、細い灰色の糸が垂れた。


 糸の端には、小さな布片が縫い込まれている。


 ――臨時者リオ、帰宅済み扱い。


 ナギが息をのむ。リオはまだ、門の内側にいる。


 エリナは袖口へ針を入れず、垂れた糸だけを青く仮止めした。


「帰っていない人の名を、礼服の中へ縫い込んでいます」


 南門の灯はまだ消えていない。


 けれど今度は、王太子礼服そのものが、帰っていない足音を着て入場しようとしていた。

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