古い鍵番号三番は、休憩椅子の外套を予備布にできません
小休憩所の椅子には、まだ湯気の消えた温茶が一杯、置かれていた。
マルタの名札が差された低い椅子。その背に掛かっているはずの帰宅外套はなく、半刻分の賃金札だけが皿の上で乾いている。
「外套だけ、先に帰ったことになっています」
リネが椅子の足元を見て、唇をかんだ。
床に落ちていた銀糸の切れ端は、休憩椅子から王妃衣装補助棚の方へ、細く引かれている。
エリナは追いかけず、まず椅子の前に青い仮止め札を置いた。
「椅子が空いていても、休憩が終わった証明にはなりません。温茶が飲まれていない。賃金札が本人の手にない。外套が本人の肩へ戻っていない。この三つがそろうまで、マルタさんは帰宅済みではありません」
マルタは震える指で、札の下に自分の字を足した。
『まだ休憩椅子に戻っていません。外套を受け取っていません』
その一行が書かれてから、エリナは補助棚三番の前へ歩いた。
古い鍵番号三番の受け皿に、外套の紐だけが掛けられている。棚の内側には、王妃衣装の裏当て布に混ぜるための白い紙札が揺れていた。
『王妃読了補助済み。休憩代替可』
トマが貸出台帳を抱えて走ってきた。
「この鍵、外套掛けに戻る前の時刻で貸し出されています。補助棚三番が開いたのは、マルタさんの休憩終了より先です」
「なら、棚の中の布は予備布ではありません」
エリナは鍵を抜かなかった。代わりに、棚扉の取っ手へ青布を結んだ。
「開けないことが、今の手順です。外套紐を引き抜けば、棚は“材料あり”として閉じられます。けれど、これは材料ではなく、帰る人を待つ紐です」
リネが頷き、外套紐へ自分の指を添えた。
「引き抜きません。マルタさんが肩に掛けるまで、棚三番は到着未完了です」
王妃付き記録係が遅れて来た。彼女は白い紙札を読み、眉を寄せる。
「読了補助済み、ですか。王妃陛下が読まれたとは書いていませんね」
「読了を補助した、という上の言葉で、誰の灯りと誰の外套を動かすのかが抜けています」
エリナは小休憩所へ戻り、未飲用温茶の横にもう一枚の札を置いた。
『外套・半刻賃金・休憩椅子・読了灯。本人到着まで別々に保留』
記録係はその下へ、王妃の読了席の欄を加えた。
『王妃本人の読了灯なし。代替不可』
マルタが外套紐を見つめる。まだ肩には戻っていない。けれど、もう予備布にも、読了の飾りにもされていない。
「帰ってから、着てもいいんですか」
「帰るための外套です」
エリナは静かに答えた。
「働いた人の休憩を、棚の材料にしてはいけません。王妃陛下の読了も、誰かの外套で代わりにはできません」
そのとき、補助棚三番の鍵受け皿の奥から、薄い封蝋片が落ちた。
そこには、退職処理済みのエリナの針箱番号が、読了補助の責任欄として写されていた。




